45話 夢
過去に起きた出来事が、そのまま夢に出てくる。
夕食時の、切ない記憶だ。
食卓には煌びやかな食器。
その上に並ぶ豪勢な食事。
食欲をそそる油の匂い。
目線の先には好物の唐揚げ。
でも、それは全て優れた兄へのご褒美だった。
優秀な兄がいた。
二つ上の兄がいた。
成績はいつもトップで、運動も出来て、人当たりも良く、裏表の無い誠実な人間だった。
コミニュケーション能力も高くて、ユーモアがあった。
絵に描いた様な優秀さで、勝負事で誰にも負けた事は無い。
生まれついての勝利者。
それでいて、自らの力を奢ったりもしない。
だから誰の恨みも買わなかった。
みんなが兄の事が大好きだった。
ただ、俺を除いて。
物心ついた時から、両親からは明確に区別されていた。
兄はなんでも頼めば買ってもらえる。
好きな料理が好きな時に出てくる。
風邪を引いた日には、両親は仕事場から飛んできて、熱心に看病した。
そのどれもが俺には体験出来なくて、羨ましくて、悔しくて、悲しかった。
俺は兄とは対照的で、人付き合いが下手くそだった。
成績も兄を越えれず、運動方面でも越えれず、友達だって出来なかった。
そんなどうやったって越えれない兄がいたから、俺はすっかり捻くれていた。
ただ、やはり兄は天才で人格者だった。
両親にほぼいない者として扱われている俺にも優しかった。
自分だけに振舞われる美味なおかずを、偽りの無い笑顔で俺に渡すんだ。
それを見て、また両親は感動する。
『この子はなんて優しい子なんだ』
『本当によく出来た子ね』
この状況を作り出してる癖にその所業、頭がどうにかなりそうだった。
腹の中ではずっと、消えて欲しかった。
両親の愛を、俺だって受けたかった。
でもそれは叶わない運命。
次第にドス黒い事を時々考える様になった。
もし兄が死んだら俺はどうなるんだろう、と。
考えてはいけない事だ。
人として恥ずべき事だ。
それでも、心の奥底にはその邪悪な妄想がいつも潜んでいた。
そして、その妄想はあっさりと現実になる。
齢十二にして、兄は死んだ。
中学受験を控えていた年の夏、都心から少し離れた父方の実家に家族で来ていた。
そんな最中、山道で車に轢かれて簡単に死んだ。
蒸せ返る様なコンクリートの上で、潰れて死んだ。
葬式を行った日も、とても暑かったのを覚えている。
流れた汗を、母がハンカチで拭いてくれたのを覚えている。
俺はその日に泣いた。
兄が死んだ事では無い。
優しくしてもらった事に、俺は泣いたんだ。
最低の人間だ。
人が死んだのを泣いたんじゃなくて、自分の境遇だけを憂いて泣いた。
自分勝手で最悪な考えだ。
兄はもっと苦しかった。
死ぬ間際、どれ程痛かったのかは計り知れない。
そんな事も知らずに、俺は呪縛から解放された様に明るくなった。
両親が面倒を見ていたアイツはもういない。
これからは俺が、俺だけが、この人達の息子なんだ。
兄が死んで、初めて俺は『家族』を知るんだ。
三日後、俺は荷物を纏めて家を去る事が決定した。
決めたのは俺じゃない。
両親だ。
理由を聞いた時、母は何も言わなかった。
父は、『すまない』と一言。
俺の顔は見ない様に言った。
俺の態度が悪かったのか?
兄が死んだ途端によく喋る様になったから?
俺が兄より出来が悪いから?
理由は高校生になった今でも分からない。
俺はそのまま祖父の家に預けられた。
しかしまぁ、こんな事があった後じゃ俺もやさぐれる。
口もどんどん悪くなって、平気で嘘も吐く様になった。
授業も真面目に受けなくなった。
挙句の果てには、喧嘩もする様になっていった。
でも両親から貰ったトラウマは健在なもんで、誰かに必要とされたいって気持ちは常にあった。
誰しもが持っている趣味や嗜好の様に、俺は誰かに認めてもらう事に拘った。
勉強も変わらず努力したし、気まぐれに人助けしたりもしたけど、素行の悪い俺は、『どうせ、何か企んでいる』なんて思われて終わりだった。
住む場所が変わっても、結局疎まれて終わりだった。
そりゃあ、この時の俺はもう立派に不良少年になっていた。
自業自得だ。
それでも、やっぱり俺は夢を見るんだ。
あの時、あの唐揚げを食べるのは俺で、兄もいて、両親からも平等に愛を受ける。
そんな、普通な家庭。
たったそれだけで良かったんだ。
その夢が正夢だったなら、こうはならなかったんだ。
※ ※ ※ ※ ※
人生ってのは抗えない理不尽の積み重ねがあって、それをどう乗り越えるかが今後を左右する。
人によってはその比重が大きく偏る。
幸か、不幸か。
個人的に見れば不幸の連続だ。
かと言って、『しょうがない』なんて、ありきたりな言葉で納得出来るほど聞き分けもよくない。
昔っからクソみたいな目に遭ってきて、他人には良くしてきたのにこの始末。
だったら答えは出ている。
他人に期待出来ないんなら、自分でなんとかするしかない。
こんな所で、脳天ぶっこ抜かれて、はいサヨナラって、ふざけんなって話だ。
俺はまだ誰にも認めてもらえてない。
褒めてもらってない。
何も出来てない。
そんなんで終われるか?
無理だろ。
「……夢の続きは、まだ見れてないからな」
まるで眠りから覚めた様に、普通に体を起こした。
「…………え? 今、僕、殺した筈だろ?」
リオは信じられないものを見る目でこちらを見ている。
逆の立場だったら俺もそうなってるだろう。
何故、自分が生きているのか理解出来ない。
俺は防御出来なかった。
確実に致命傷になる筈だった。
なのに、俺はここに立っている。
一瞬気絶していたのは確かだが、俺は生きている。
まぁ、今はどうでもいい。
あの夢の続きはある筈だ。
恨みも憎しみも苦痛も無い、ハッピーエンドになる筈なんだ。
「みんなに好かれて、みんなに求められて、風間がいないと悲しいって、みんなが言う……そんな夢を俺は見るんだ」
「…………は? 何、言ってるんだ、お前」
「頑張ってクラスメイトも助けたし……ちょっとは誰かに認めてもらえるかな。そうすりゃちょっとは救われるってもんだ……」
「そんな未来は来ねーよ! バァカ!!」
「どうして否定すんだ……? 無理だと思うか? それはてめぇが為し得なかったからだろ……?」
「黙れ黙れ黙れ! そもそもお前は僕に負けてんだよ!! 雑魚の癖に調子に乗りやがって!!」
確かにリオの方が強い。
それは分かってる。
だが、一発殴った時に分かったのは、こいつも消耗してるって事だ。
俺が攻撃した所以外も、結構血や傷痕がある。
宇都見と戦って負傷したからだ。
アイツが命を張ってダメージを与えてくれたんだ。
俺だって頑張らないと。
あの世行ってる暇なんて無いんだ。
「もう一回だ! もう一回の攻撃でお前は死ぬ! 銃は、もういらない! トドメの一撃は自分の手で……!!」
拳銃を投げ捨て、再び煙が上がる。
「そりゃあ、同じ手は通用しないからな。銃の選択肢は無いだろ。でも、もう負けねぇ。てめぇこそ次で終わるんだ」
これは最後のチャンス。
たった一度だけ許された、リベンジの舞台。
ただ、策はある。
たった今思いついた最後の策が。
「来い、リオ……!」
今度は目を閉じない。
何故なら、見えるものがあるからだ。
アイツは魔術師、ならばアイツの魔力を見る。
宇都見に教えてもらった魔力感知、『フォーカス』。
魔力以外はボヤけちまうが、動く魔力が見えれば、その位置に奴がいる。
ゆらゆらと動いている。
攻撃するまで抑えてやがるのか、小さい魔力の塊みたいのが見える。
こっちの様子を伺っているみたいだ。
こっちも準備を整える。
魔力は、まだ打ち込んでやれる程には残ってる。
どうせ次に食らったら終わりだ。
下手な防御は考えない。
男なら一点突破。
この一発で勝負を決める。
正面、魔力の塊がこっちに向かってくる。
狙うのは顔面だ。
バッターボックスでストレート打ち返す時みたいに、この拳を振る。
「一手先を読んだのはこの俺だ……!!」
しかし、異変に気づいたのはすぐだった。
何か違和感がある。
耳を澄ませなかったから今分かったが、正面からは足音がしない。
それに、その魔力の塊は弧を描く様に向かってくる。
まるで本当に野球ボールが飛んできたみたいに。
って事は、俺が感知した魔力は、リオでは無い別の何か。
別の何かが俺目がけてやってくる。
「あははは! 今更気づいた!? もう遅い!! 僕は、二手先だっ!!」
後ろにリオの気配を感じる。
正面から投げられていた物はブラフ。
魔力を帯びた物体……つまり、結界装置を投げたんだ。
だが、そんな事は既に知っている。
元々、この拳は前を振りかぶるってフェイクだ。
最初から、後ろから来た野郎をぶん殴る算段だった。
「リオ、俺は三手先だ。最初に言ったぜ。てめぇの考えなんざ読めてるってな」
「……は!?」
前に踏み込んだ右足を軸に、体を半回転。
今度は左足で踏み込み、そのまま顔面の位置を殴り抜く。
「ぼげぇ……!!」
狙いは上々、頬に良いのが入ったらしい。
地べたに尻餅つきながら、煙が上がる。
無様に赤く腫れた頬を必死に抑えて、相も変わらず涙目になっている。
「まさか、透明人間と戦う日が来るなんてな。羨ましい能力だぜ。男だったらみーんな欲しがる力だよなぁ〜」
最後の拳に魔力を込める。
これで全部終いだ。
「うぅぅぅ……!!! 悪かった!! ぼ、僕が悪かったから!! だ、だから近づくなぁ!!」
威勢はどこかへと消え去り、弱々しい小動物の顔つきだった。
一時期は悪魔にさえ見えた小僧だったが、見る影も無い。
完全に、『狩られる側』の目つきだ。
しかし、その罪が消えるワケじゃない。
命は奪わないにせよ、許せるワケが無い。
「てめぇはとっくに犯罪者と同じなんだよ。ただ、こんなん警察でも対処しようがねぇだろうからなぁ、俺が裁いてやるよ。気は進まねーけど、私刑って奴だ」
「クソが……!! なんでこうなった……クソ……! だ、だったら……!」
リオは最後に能力を繰り出す。
「今更だろ! てめぇのやる事なんざたかが知れてんだ!!」
煙が上がる。
しかし関係は無い。
透明化はもう見破った。
ただの悪あがきに違いない。
「……!」
その場に現れたその姿、それは……
生きて帰ると誓い合った、伊吹涼香の姿だった。
「大切なガールフレンドの顔をよぉ!! 殴れるかぁ!? カザマよぉぉぉぉぉ!!!!」
リオは伊吹の姿に扮し、最後の反撃を仕掛けてきた。
しかし、見た目は完全に伊吹本人。
だが、この攻撃を止めなければ、やられるのは俺の方。
「終わりだ……カザマ!!!」
俺はノータイムでその伊吹の顔をぶん殴った。
「ぐぇぇぇぇぇ!?!?!? なんでぇぇぇぇ……!?」
「まだ、そんな仲じゃねーよ」
「なんだよ……その謎理論……! ぐふっ…………」
煙を撒きながらリオは倒れる。
仰向けで気絶したその様は、どっからどう見ても、ただのマセたクソガキだ。
こんな奴が恐ろしい魔術師だったなんて、これを見たら到底思えない。
「とは言え……すまん伊吹、お前の顔を殴っちまった……」
薄暗い空に、そっと謝罪を述べた。
聞こえてるかは分からないけど……いや、聞こえてるよな?
伊吹、お前だって無事な筈だよな?
心配も不安もまだまだある。
この戦いの後処理を考えると少し億劫になるが、勝利の美酒に酔ったっていいだろ。
俺はリオに勝ったんだ。
こんな薄暗い空が、晴れやかに見える。
「そうさ……俺は凄い奴なんだ……」
誰に言うでもなく、自然と口に出ていた。
自分にそう言い聞かせたかっただけなのか。
それとも、伊吹に伝えたかったのか。
どちらにせよ、これは紛れもない本心だ。
全てが兄に負けていたけど、魔術だけは、俺にしか出来ない事だから。




