43話 アクセル・ワン
「……ちょっと待ってくれ」
ヒトミはドアノブに手を伸ばす伊吹を呼び止めた。
「だ、大丈夫だって。別に無理しないし……」
バツが悪そうに、伊吹は渡されたナイフを背中に隠す。
「ああいや、そうじゃない。ほら、『死ぬな』って言ったろ? だからね、出し惜しみはしちゃいけないよ。もしもの時は全力でやるんだ」
「え? そりゃあ、一応いつも全力のつもりだけど……」
「……すまない。説明が少なかったね。前提として、君は魔術師になれる素質があるから、こんな厄介な目に遭っている。こんな事を勧めるのは気が引けるが……もし、本当にどうしようも無くなったら、遺物を強く握りしめるといい」
「アタシの、ブローチの事……?」
「ああ……おっと、物理的な話じゃないよ。気持ち的な意味合いだ。感情の強さが、時に覚醒を促す」
「それって、もしかして……」
「ああ……君も我々と同じ、魔術師になる。と言う事だ」
そう言い切った後、ヒトミは申し訳なさそうに床を見つめる。
その言葉がどういう意味なのかは理解していた。
この道を歩めば、超常的な力を手に入れる。
しかし、それと同時に人ならざる存在へと変わってしまう。
見方によっては、悪魔の誘いだ。
「……君が魔力に干渉したり、認識する事によって、魔術の才は芽を見せる。君が今まで目覚めなかったのはきっとそのせいだ」
「確かに……アタシはここ最近になって、初めて魔術師を知った。ただの形見だと思っていたこれがとっても希少な物だって事も……」
伊吹はポケット越しにブローチを手で覆う。
「あくまで最終手段だ。ボクは君を魔術師にしたくない。この力は人智を超えた力だ。後にどんな目に遭うか分かったもんじゃない」
ヒトミは脅し文句を言う様に、語気を強める。
「分かってるってば。もしもの時って話でしょ。もし、もしそんな時が来たら……」
「ああ…………障害を取り除くのに、一切の妥協をしてはいけないよ。その時が来たら、目の前の敵を叩き潰すんだ。完膚なきまでに……!」
琥珀色の目が微かに光る。
※ ※ ※ ※ ※
『加速』……それは、伊吹の遺物に込められていた固有魔術。
その能力は至って単純。
ありとあらゆる事象に『加速』を促す。
周りからすれば、早くなっている様に見えるのだろう。
ただ、伊吹にとっては逆。
周りがスローに見える状態。
それが、この加速能力の実態である。
先程黒木を助ける事が出来たのは、この加速によるもの。
残り一秒以内と言ったタイムリミットをものともせず、その場にいる二人諸共救助に成功した。
無論、それを鹿島は目視していたものの、その速さには着いて来れなかった。
過ぎ去った後の、伊吹の背中を眺める事しか出来なかったのだ。
「まさか……まさか、まさか! この土壇場で魔術師になるとは……!」
「遺物の力が手に入んなくて、残念だったね」
「いや……いや、いい。お前が死ねば、遺物へと力は還る。工程に一つ手順が追加された。たったそれだけの違いだ……だが、急がねばな。アンジェ・ルーガーがここに来るまでに終わらせなければ……!」
「うーん、三分くらい?」
「……何がだ。奴の到着時間を知っているとでも言うのか」
「……アンタがアタシに負けるまでの時間」
「力に目覚めたからと言って調子に乗るなよっ!!」
この時の伊吹はハイになっていた。
敵は魔術師、あくまで対等に戦えると言うだけ。
しかし、今まで魔術を使えなかった歯痒さが、逆にフラストレーションを爆発させ、自信と勢いを与えていた。
それに加え、伊吹は本能的に自分の能力を理解していた。
この能力ならば、この男に勝てる。
そう確信していた。
「りょ、りょーちゃん……! 一体何がどうなったの!? 私、生きてる……な、なんで?」
しかし、横にいる黒木は依然混乱したままだった。
「もう大丈夫……アサヒを連れて、少し後ろに下がってて。すぐに終わらせるからさ」
「どどどどうなって……」
「いいから下がって。落ち着いて、安心して。全部終わったら、全部話すからさ。今はアタシを信じてよ。ちょっと本気だすわ」
「わ、分かった……!」
そう言うと伊吹は、自らの頬を軽く叩く。
先程までの不安定な情緒は消え去っていたのだった。
ただ静かなる怒りを晴らす為、頭の中は常にフラット。
プラス、思考は高速化し、冴え渡る。
「魔術師になったばかりの素人風情が! 力量も理解出来ない自分の無能さを呪うんだな!」
「確かに、どのくらいの能力なのかはまだ分からない。だからまずは力試しから……」
伊吹は両手と両足を地に着ける。
膝を曲げ、左足は腹の下辺り、右足はそれより遠く。
その体勢はクラウチング。
短距離走等で用いられる、スタートダッシュの姿勢。
「ふざけた真似を……! 貴様なんぞこの鉄の拳だけで充分だ!」
鹿島がその憤りを言葉にした直後、伊吹は曲げていた膝を上げる。
次の瞬間、鹿島の視界から伊吹が消える。
「……き、消えた!?」
その次に来るのは、強烈な衝撃。
前方の視界から消え、気がつけば自分の脇腹辺り。
まるで弾丸の様な超加速、そしてその速さから繰り出される強力な両足での蹴り。
言うなれば、カンガルーキックである。
「ぐぅ、うおおおおお!!!」
それは特急列車に轢かれた様なインパクト。
実際にぶつかって来たのはか弱い少女の両足だが、もうただのキックでは無い。
魔力を纏わせた、高火力の一撃。
そして、それに加速が加わる。
結果、鹿島は数メートル後方の壁際まで吹っ飛ぶ。
「なんなんだ……!? あの女の能力は!? 速い、とにかく速い……! この鋼鉄の鎧が無ければ、やられていた……!!」
壁に当たった衝撃で、辺りに煙が舞う。
それ程の威力だったにも関わらず、依然として鹿島は無傷で立っていた。
鋼鉄の鎧に、いかなる死角も存在しない。
(……どう奴に攻撃する? 俺の能力ではあの動きに対応出来ん! しかし、それは奴も同じ! 俺の鎧を穿つ事は不可能の筈だ!)
「消耗させれば反撃の機会はやってくる……! 俺の鎧はどんな衝撃も防ぐのだ!」
「……じゃあこれならどう?」
『そんな事は知った事か』と、伊吹の攻撃は止まらない。
鹿島の目の前に再び現れたその時、伊吹の手には、先程投げた大斧。
「それは俺の武器! い、いつの間に……!?」
「これはアサヒの分だ!」
振りかぶる伊吹の攻撃に、鹿島は咄嗟に腕でガードしようとする。
が、その本来振りの遅いであろう大斧の動きは、捉える事すら嘲る様に、加速していく。
(まずい! 今この装甲を破れる物が存在するとしたら、同じ材質、同じ硬さ、この斧だけだ……!!)
判断出来たのは、己がピンチだけだった。
「うお……!」
叫ぶより先に、大斧と鎧が砕け壊れる。
ガードが間に合う筈も無く、鎧の頭部は無惨に崩れる。
露出した顔には、鋼鉄の破片が突き刺さり、顔半分を覆う様に出血していた。
鎧の弱点は、まさに自分自身の力であった。
「がぁぁぁぁぁ!!! こんな……事がぁぁ!!!」
「アンタのそのウザい顔、アタシがステキにしたげる。覚悟しな、ゴリラ野郎!!」
のけ反る鹿島、それに対し伊吹は大きく宙を舞う。
露出した顔面に、魔力によって強化された膝蹴りを食らわせる為。
(まずい! この一撃を食らったら終わる! だがしかし! だがしかし!)
「終わるかぁぁぁぁ!!!」
鹿島は空中にいる伊吹の首をしっかりと掴んだ。
「捉えたぞ!!」
「が、あ、あ……!!」
「くく……なるほどな……! 貴様のその加速能力、発動した直後にタイムラグがあるな! それもそうだ。常に加速した状態で動くなど肉体負荷により不可能! こうして掴んでしまえば、恐るるに足らん!!」
「ク……ソ野郎……!!」
『加速』は、自らの体や、物体に対して発動出来る。
しかし、対象が大きければ大きい程に持続出来る時間は限られる。
伊吹自身への加速は、発動してから最大でも三秒きっかりしか保てない。
そして、再び加速を使うには十秒以上の時間を要する。
このクールタイムは、見抜かれてしまえば大きな隙となる。
「俺の露出した顔面を潰す気だったんだろう。しかぁし! それはお前の方だったな! このままお前の頭蓋を叩き割ってくれる!」
デジャヴを感じるこの状況。
ポケットには先程と同じくナイフがある。
しかし、装甲が破れたのは頭部のみ。
前とは違い、腕に攻撃は通らない。
その上、魔術師となっても尚、単純な力比べでは鹿島に分がある。
それは経験と、男女の抗えない個体差。
故に今の伊吹には、鹿島に対する攻撃手段が無い。
加速を用いてパンチや蹴りを繰り出しても、鹿島はもうこの手を絶対に離さないだろう。
「先程の発言、撤回するなら今の内だぞ! 小娘ぇ!!」
伊吹が出来たのは、ただ苦しみから逃れる様、鹿島の腕を強く掴むだけだった。
そんな事では止まる筈も無く、空いている左手が繰り出すのは鋼鉄の拳。
回避不能、絶体絶命、そんな言葉が伊吹の頭によぎる。
と、鹿島は考えていたが、正確にはその全く逆。
何故なら、その拳はいつまで経っても振り上げたまま。
体は重く、沈む様に。
トドメのパンチが繰り出せない。
呼吸も段々と困難になっていく。
「なん、だ……!?」
伊吹は避けようとした訳でも無く、腕を掴んでいる以外は特に動きは無かった。
が、だからと言って何もしなかった訳でも無い。
そう、つまりは能力の発動。
「これは……!」
鹿島の目に自然に映ったのは不自然な大量の自分の血。
床に血溜まりが出来る程だった。
そして、それを確認した頃にはもう遅い。
鹿島は、グラつく視界を正すのに精一杯で、右手の拘束が緩んでしまう。
その瞬間を、伊吹は待っていたかの様に腕ごと跳ね除ける。
「し、しまった! 腕の力が……!!」
拘束を解いてしまったら最後、勝負は決した様なものだった。
フラつく視界に映った伊吹は既に臨戦体勢。
低めの前傾姿勢、右手を後ろに引き、左足を大きく踏み込む。
伊吹にも、魔術師との戦いの経験はある。
自らの体験だけで無く、横で見ていたからこそ学習出来た動き。
それは、地面すれすれから繰り出される。
「アッパー!!!!」
魔力を帯びたその拳は天を穿ち、鹿島の顎を粉砕したのだった。
背にしていた壁に打ちつけられ、その衝撃と共に床に崩れ落ちる。
理想的な角度で入ったアッパーカットは、立ち上がる事すら出来ない程に脳にダメージを与えた。
「ぐぉぉ……!! 後は拳を振り下ろすだけだったのに……何故貧血を起こしたのだ!? 確かに出血はしていた……だが、あんな量が一瞬で体から流れ出るなど……あ、ありえん!」
「いいや、あり得る。だって、アタシが加速させたから」
「貴様ぁ……!! まさかあの時、腕を掴んでいたのは……!!」
「そ。アタシは能力を使った。アンタに対してね。アンタの流れる落ちる血を、加速させた」
伊吹の『加速』は、無機物や、他人にも与える事が可能。
尚且つ、起こっている事象一つ一つ、別々に、加速を促す事も出来る。
伊吹は鹿島の出血する速度を加速させた。
そのせいか、急激な失血による症状の発現。
まだ耐えられる程の出血量だったが、『加速』はそんな時間を与えない。
それが不自然な血溜まりの正体。
鹿島を貧血にたらしめた道理。
拳が出せなかった真実。
伊吹の土壇場の策だった。
「……で、アンタさ、前言撤回しろとかほざいてたよね。いいよ、してあげる」
「何を、言っている……!?」
「つまりさぁ、『三分』じゃなくて、『一分』で充分だったって話!!!」
伊吹は助走をつけた二度目の大ジャンプ。
そして、槍の様に鋭い魔力が身を包む。
意識は朦朧、背には壁、完全に身動きの取れなくなった鹿島に対して行われるのは……
超高速の跳び膝蹴り。
当たった瞬間、膝と壁にサンドされ、鼻の骨がバキバキにへし折れる。
ついでにプライドも。
「こんな……小娘に………………」
その断末魔、最後まで傲慢さに満ちたものだった。
ただ、最終的に見下されるのは自分の方。
当然、見下ろすのはただ一人。
伊吹涼香、ただ一人。
「これが魔術……思ったよりも疲れるな。でも今は、ちょっとだけ気分がいいや」
その勝負、僅か一分程度の高速の死合。
常人が眺めるにはあまりに早く、突拍子が無く、馬鹿げている。
後ろで見ていた少女も、状況についていけず、未だにポカンと口を空けていた。
ただ、一つ分かる。
先程まで強大に見えた大男は、壁に背を向けながらへたり込んでいる。
何故か、とても小さく見えた。
そのもう一方で、清々しい顔をしている彼女はその対極にいた。
後光が差す様で、逆に大きく見えた。
しかし、顔を見合うと嬉しそうにピースサインを掲げてきた。
その表情は無邪気そのもの。
緊迫した雰囲気など、どこかへ吹き飛んだ。
「お疲れ様、りょーちゃん……」
本校舎三階廊下の戦いは、伊吹の勝利で幕を下ろす。




