39話 ゲン担ぎ / 鉄の男
自由さが売りのこの高校には数少ない校則がある。
それは、『廊下を走ってはならない』と言うありきたりなものだ。
ただ、この状況においてそれを守れる生徒はいない。
自称テロリストの子供が担任に化けていて、いつの間にか人質に取られ、寝返ったと思っていた人間が助けに来た。
荒唐無稽、混沌極まりない状況。
皆、宇都見が指示した校庭へと急いで足を進める。
しかしその最中、流れに逆らい立ち止まる者達もいた。
「風間……」
「……伊吹」
ふと目が合った時、自然と口から溢れたのは互いの名前だった。
「……う、えっと、昨日の事、なんだけどよ……」
口ごもりながら先に気持ちを吐露しようとしたのは風間だった。
「……今言う事じゃないでしょ」
「わりぃ……なんとなく、今言いたくて」
ずっと言い出せなかった謝罪は、この緊急事態に言い渡された。
そのせいか、やはり伊吹の表情は暗いまま。
「あん時は悪かった。お前をその……嫌な扱いしておきながら、結局助けられたし……」
「……うん」
「だから……なんつーか、えーっと……すまんかった!」
ハッキリとしない物言いに対して、伊吹は気の抜けた様にため息をつく。
「大丈夫……もう分かってるから」
「え……?」
「アタシだって、結局一人じゃ何も出来ないし。宇都見が来なかったら、今頃やられてただろうし。だからもう無理なんてしない」
「……そうか」
「でも、それはアンタだって同じ。一人でなんでもやろうとすんな。万が一風間がヤバそうな時は、アタシが絶対に助けるから」
そのあまりに真っ直ぐで強い瞳が、かえって風間の傷を抉る。
「そうだな……そん時は頼むわ。何せ、俺はあんなガキ一人止められねぇ。調子乗ってただけのてんでダメな奴なんだ……」
圧倒的な差に絶望し、もはや自尊心は地の底で潰れていた。
初めて見る弱気な風間に、伊吹は再び大きなため息をつく。
「…………バーカ」
そう一言呟き、伊吹は拳を前に突き出す。
「……何を?」
聞かれた伊吹は気恥ずかしそうにしかめ面を見せる。
「……ゲン担ぎ! これやると、うまくいく……そ、そういうおまじない的な……」
「……まぁ気合入れんのは大事だよな。うし!」
そして、風間も拳を合わせる。
互いの鼓動が、その手から伝わる。
「分かる……? アタシもう震えてない。だからこっちは任せて。そっちの仕事に集中して。」
「オーケーオーケー。すぐに結界を直してくる。そして、こんなめんどくせぇ騒ぎとはおさらばだ!」
「あったりまえ……! 大丈夫、きっとうまくいく……」
ハイタッチによく似た、なんの変哲も無い拳合わせ。
それなのに、何故か力が湧いてくる。
いつも仏頂面の二人の顔は、珍しく綻んでいた。
※ ※ ※ ※ ※
パタパタと駆ける音と共に、伊吹も昇降口まで駆けていく。
自身の非力さは痛感した。
しかし、そんな自分にも出来る事がある。
それは、万が一の時の為、クラスメイトと共にいる事。
何せ、魔術師を知っている数少ない一人の人間。
この武器は、その為の切り札なのだ。
走っていると、徐々に昇降口の方から声が聞こえてくる。
女生徒の声、それも二人。
詳しい会話の内容は聞き取れずとも、どこか揉めている風だった。
そして何より、聞き慣れた声だった。
「何やってんのあの二人……!」
無論、それはあのコンビ。
校庭まであと少しと言う所で、立ち止まって何かを言い合っていた。
「ちょっと! 何揉めてんの!?」
「りょ、りょーちゃん! 良かった〜。一緒にあーちゃん説得してよ。ほんと頑固なんだから」
「……何があったの?」
七瀬は不愉快そうに腕を組みながら口を開く。
「宇都見の奴を放っといたらヤバくねって……そういう話……だからウチは一人で行くってさっきから言ってんだろ!」
その剣幕に黒木は何も言えず俯く。
それと同時に、伊吹は黒木の横に立つ。
「……う、宇都見なら心配ないって。ほらアイツ、銃持ってたじゃん。だから、大丈夫……」
「だからって一人にしてられっかよ! ウチらの為に戦ってくれてんだろ!? だったら一緒に戦うのがダチってもんだろーが!」
「で、ででで、でも……! も、戻ったら私達も殺されちゃうよぉ!!」
「ヨルカはちょっと黙ってろ!」
「ひぃ!」
どもりながら話す黒木は一蹴されてしまった。
「ちょ、ちょっとアサヒ……ヨルカだって心配してるに決まってんじゃん。アンタの事心配してんだよ……?」
苛立っていた七瀬は、そこで一旦苦い顔を見せる。
「分かってるよ……! でもさ、宇都見がこれで死んじゃったら、絶対後悔するっしょ……?」
「それは……」
勿論、その答えはイエスだった。
ただ、この武器を持っていてしても、攻撃すら通せない。
そもそも当てられた所で、致命を与えられる確率など皆無に等しい。
魔術師と人間の溝は深い。
三度も魔術師と対峙してみてれば、それは嫌と言う程理解する。
それが七瀬には伝わらなくとも。
「分かってる……けど、無理なんだ。アタシじゃ多分、時間稼ぎくらいしか出来ない。アサヒは知らないかもしれないけど……アイツら、本当にヤバいんだよ……!」
「そ、そーだよ! マジで人間じゃなかったよ〜!!」
「あーもう……! じゃあいい! やっぱウチ一人で行く。あんな野郎共にビクついて、隠れてるだけなんて納得いかねーだろ!」
やはり七瀬には伝わらず、二人を押し除け教室へと引き返そうとする。
「アサヒ!!」
すかさず伊吹は腕を掴む。
しかし、七瀬は強引に振り払うのだった。
「止めんな! 第一、ウチは男にも喧嘩で負けた事ねぇーつぅの! ぶっ潰してやるし!」
「そういう問題じゃない! アサヒが行ったって何も変わんないんだよ!」
「別にあんなん、ただの手品師っしょ。そもそも、いきなり変身するなんてひぃ科学的過ぎだし! あんな奴、後ろから鈍器で殴りゃなんとかなるっ!!」
「待って!!」
「だから! 涼香とヨルカだけで逃げてろよ!!」
「違う……!」
「ああ!? 何がっ!」
「そうじゃなくて!!」
伊吹の視線は既に七瀬では無い。
その後ろだった。
「へ……?」
それは、鉄塊。
弧を描く様に湾曲した刃。
重々しく、分厚い鋼鉄。
日本では石器時代から用いられてきた、主に木の伐採を目的とした道具。
それらは大体片手で振るう事の出来る、手斧と呼ばれるに値する大きさ。
凶器として扱うには充分だが、戦に用いられる様な代物では無かった。
しかし、これは違った。
手元まで含めれば、女性の平均身長を優に超える長さ。
長尺の武器として知られる薙刀などと、そう変わらないリーチがあった。
それは、巨大な斧であった。
故に、そんな物を振り下ろされた丸腰の相手は、呆然と立ち尽くすのみ。
「早く逃げろ馬鹿ぁぁぁ!!!」
叩きつけた衝撃で、廊下に大きな亀裂と、地鳴らしの様な音が響き渡る。
それは、骨さえも容易に叩き切る無慈悲な一撃。
が、それは『当たれば』の話。
間一髪、伊吹は七瀬の腕ごと引っ張り、事なきを得た。
「あ……ああ……」
腕の中で怯える七瀬は、虚ろな目をしていた。
無傷ではあるものの、本能的に距離を取ろうと、抜けた腰を床に引きずる。
「アサヒ……! 大丈夫!? しっかり!!」
「悪くない反射神経だな、伊吹涼香……」
その凶器の主は、厳格な重低音の声色だった。
伊吹にとっては見覚えのある顔。
いつかに見た顔写真と一致する。
顔は強面、まるで任侠映画の登場人物と見間違うスーツ姿。
筋骨隆々、勝手につけたあだ名はゴリラ。
「アンタは……! 鹿島!」
「やはり、名前も知っているか……まぁいい。そのブローチ、今渡せば目を瞑ってやる」
「アンタ、何言ってんの……? この暴力ゴリラ……!」
鹿島は血に塗れたスーツを脱ぎ捨て、パツパツのワイシャツ姿を披露する。
まさに筋肉の塊。
魔術師と言うよりかは、差し詰め剣闘士。
その手に持った巨大な斧がいっそう雰囲気を漂わせる。
(最悪の展開だ……! とにかくアサヒとヨルカを避難させないと! それから、これも……)
「ヨルカ! これ持ってアサヒと一緒に逃げて!!」
そう言って伊吹はブローチを黒木に投げる。
「りょーちゃんは!?」
と、キャッチしたタイミングで聞き返した。
「時間稼ぎなら出来るって言ったでしょ! 大丈夫だから行って! 早く!!」
「うん……! 死んじゃ嫌だよ……!」
「さあアサヒも! 早く!」
伊吹は腰の抜けた七瀬の腕を再び引っ張り、立ち上がらせる。
「涼香……ウチ……!」
「アタシもごめんね。怖い思いさせちゃった……ここはアタシがなんとかする。だから……!」
「ごめん……! ごめん……!」
「あ、あーちゃん早く……!」
七瀬の慢心は既に断ち切られていた。
その勇気も、友人を救うと言う原動力そのものが打ち壊された。
あれが本当の殺意。
本物の死の匂い。
教室で間近に見ていたが、実際にここまでギリギリの攻撃をされた事は無かった。
そのせいか、伊吹を見捨てると言う非情な選択が、簡単に出来てしまった。
「……」
バタつきながら逃げる二人を鹿島は追う事は無かった。
と言うのも、既に視界には伊吹しか入っておらず、話が終わるまで微動だにしなかった。
もう、眼中に無かった。
「……逃がしてくれたってワケ?」
「さっきは邪魔だったから切ろうとしたまでだ。戦意の失った者までいたぶる趣味は無い」
「あっそ。大層な思想をお持ちな様で」
「ふん、そんな事はどうでもいい。あの者に遺物を渡した……その意味が分かっているのか? お前を殺した後、さっきの女が素直に渡さなかったら、俺はまた殺すぞ」
「どう考えても、その最初のステップが不可能でしょ。アタシを殺す? 馬鹿馬鹿しい……」
伊吹は親指で首を切る。
洋画から学んだ、伝統的なキルジェスチャー。
「寝言は寝て言え、クソ野郎」
「残念ながら、この俺に寝てる暇なんて無いんでな。だがその威勢は褒めてやる」
伊吹はナイフを取り出した。
目の前にいる大男に立ち向かうにはあまりに貧弱な装備だが、現状ではこれしか対抗手段が無い。
勝ち目も限りなく薄い。
しかし、こんな状況は既に慣れっこだった。
(結界が再展開されるまで耐え切れば、皆は結界からはじきだされる。そうすれば後は逃げ回るだけ……数分、数十分かは分からない。でもやるしかない。ここで退けば、あの二人だけじゃなく、クラスの連中も危ない……!)
既に損得感情なんてものは消え失せていた。
あるのはただ一つ、逆境に立ち向かう反骨精神のみ。
「……よし、ぶっ殺す!」
「やってみろ……小娘がっ!!」
野蛮な意気込みと共に、戦いの幕が上がる。




