20話 水羽大橋 1
夕焼け空に変化が訪れる。
騒がしかった人の声が一瞬にして止み、姿さえ見えなくなってしまった。
まるで世界から隔絶された様に、誰一人としてそこには存在しない。
自分と、目の前の女以外。
「……! これは、この前と同じ……!」
「ちぇっ! もっと暴れたかったのになぁ、残念だねー。このままじゃ消化不良じゃん。仕方ないから……」
女は熱を帯びた右手を再び掲げる。
「あなたを殺そうか!」
「やってみなよ。クソ女……!」
と、息巻いてみたものの、伊吹は魔術師ではない。
一ミリも魔力を練る事が出来ない。
ピンチである事は変わらず、喉元にナイフを押しつけられている様な現状は、覆す手立てが無し。
結界が展開され、一般人への危険は無くなったが、ターゲットが自分のみに絞られたこの状況は向かい風だった。
(前と同じ……! 誰もいなくて、助けも呼べない。でも、そんな時でも風間は来た。この状態でも風間は何故か、アタシの所に来る事が出来たんだ。他力本願な思考だけど、アイツが来るまでなんとかするしかない。十分か、二十分か、それ以上でも……やるしかない……!)
伊吹は渡された銃を構える。
一方的に教えられたやり方で、外さまいと照準を固定する。
「あ、そういえばそんなの渡してたわ。誰もいなくなって、好き勝手ぶっ放せるね。良かったねー。でも、その相手がこの私ってのはちょっと悲しいかな」
「撃ってもどうせ死なないんでしょ? アンタら魔術師は! だったらやってやる……やってやる……!」
言葉とは裏腹に、伊吹の手は震えていた。
敵は罪の意識すら存在しない極悪人。
裁きを受けなければならない様な人間だ。
しかし、例えどんな理由があろうとも、銃を扱う事自体に抵抗があった。
自分が撃たれた事があるからこそ、この凶器の恐ろしさを理解していた。
「……優しさじゃあ人は殺せないのよ? 逆もまた然り、優しさだけでは人は救えない。あなたが持ってるその感情は、クソの役にも立たないゴミの様な物。これ以上私を失望させないで頂戴な」
「アタシが……! アタシが撃てないとでも言いたいワケ……!?」
「もう私が何言っても、傷口に塩を塗るだけだよ。無様な醜態晒す前に終わらしてあげるわ」
アキノは右腕に力を込める。
(来る……! もう気合で乗り切るしかない!)
そして、射出。
その速度はバッティングセンターのボールよりも遅く、目で追えない程の速度じゃない。
距離も離れている。
範囲も、さっきの攻撃で見切っていた。
「こんな球、簡単に避けられる!」
右に旋回し、火球の軌道上から外れる。
火球はそのまま後方へと消え、それと同時に拳銃を再び構えた。
(死ぬくらいならやるしかない! アタシがやらなきゃ、誰がやる!?)
意を決した。
自分の身を守る為。
自分の尊厳を保つ為。
もう一度、風間に合う為に。
「あぁぁぁぁ!!!」
雄叫びと共に放たれた銃弾は確実にアキノの腹部へ飛んでいく。
狙いは良く、アキノが避けるのは無理な距離だった。
その為か、彼女は一ミリたりとも微動だにしなかった。
金属音の様な鈍い音が鳴った後、伊吹の目には呆れた様なアキノの表情が目に映っていた。
「無駄なんだよ。なんで拳銃を渡したと思う? それじゃあ魔術師は殺せない。私にとっては玩具に過ぎないから渡したのよ。そうだなー、次はもっと近くで当ててみなよ。そうすれば一歩後ずさるくらいはするかもね」
(クソ……! 分かってはいたけど、かすり傷さえつけられないなんて……!)
魔術師は、魔力を体に纏う事が出来る。
質量化されて魔力は、手練れであればある程に硬く、常人の力では傷つけられず、人類の叡智を用いたとしても無駄な足掻きだった。
それ故に、魔術師に傷をつけられるのは魔術師のみ。
魔力を持たない伊吹には、血の一滴を流させる事も不可能だった。
「よし、それじゃあ今度は……」
アキノは両手を前に出す。
「……!」
「狙いつけようと片手だけでやってたけどさー、避けられちゃうんじゃあ意味無いよねって話。ここからは数撃ちゃ当たるで行くから。全部避けられたら褒めてあげる!」
「……ったく、冗談じゃない!」
両の掌に蓄えられた魔力が形を成し、火球へと変貌していく。
だが、先程までとは違く、まだベースボール程の大きさにも関わらず、アキノは火球を射出する。
今度の火球は今までのよりも小さかった。
その為か、こちらの方が速度に優れていた。
そして、高速の火球が二発、直線上に飛んでいく。
小さくなった分、避けやすくはなった。
しかし、早い分は避けづらい。
「はい、はい、どんどんいくよー」
その上、四発、六発と数は増えていく。
伊吹は体勢を低く、出来るだけ小刻みに、素早く方向転換出来る様にと、一発一発を器用に避けていく。
が、それも時間の問題。
体力だけは徐々に削られていく。
(ダメだ……! 風間が来るまでの時間稼ぎにすらならない。このままじゃ一分と持たない。何か、何か、こいつの攻撃を止める方法は……!?)
敵の攻撃を避けながら思考を巡らせる。
次の一手を、戦況を覆す妙案を。
考え、考え抜いた結果、ある物が目に映った。
それは、火球が当たって、溶解した橋の柵だった。
無闇矢鱈に火球を撃ち込んだせいか、辺りの鉄柵はどれもボロボロに溶け崩れていた。
当然ながら、アキノの背後に位置する柵も。
(これしか無い……!)
思い立った伊吹は、立ち止まって銃を構える。
「ははっ! 無駄だって分からない〜?」
動きを止めた伊吹はまさに狙いの的。
更に一発の火球が容赦なく発射される。
それでも伊吹は動かない。
両手で構え、両足を広げ、肘を固定する。
確実に銃弾を当てる為に。
そして、迫り来る火球に向かって引き金を引く。
「んン〜?」
見事、銃弾は命中、火球は爆発を起こし、辺りは煙に包まれた。
アキノの視界から伊吹の姿が一瞬にして消え、その不可解な行動に思わず首を傾げる。
(なんでわざわざ拳銃で攻撃を? や、恐らく煙を撒く為かな。だとしたら、逃げるのが目的か。でもここは見晴らしが良い。橋の上から逃れる前に煙は晴れる。背後を見せたなら、その時に火球を……)
アキノの考えは間違いだった。
伊吹は逃げずにそこに居た。
煙の中から、拳銃が顔を覗かせる。
銃口はアキノの方を向いていた。
微かに伊吹の手も見える。
その指は引き金を引いていた。
煙は逃走の手段ではない。
攻撃に転じる為の起点。
煙から放たれた銃弾は、アキノの眉間に突き刺さる。
至近距離からの発砲は、防御をしていても相当な衝撃だった。
ましてや、それが不意の一撃であれば、傷はつけられずとも、体を後退させる事くらいは可能。
「アンタさっき、至近距離で当てれば後ずさるかも、なんて言ってたよね。その言葉がヒントになった……!」
「そんな物で私に勝てると……!!」
額を後ろに逸らしながらも、アキノは体勢を立て直そうと右足を踏みしめる。
「あれ……?」
が、足に浮いた様な違和感。
それもその筈、右足の半分が地に着いていなかった。
位置は橋の端、崩壊した柵の場所。
柵が無くなってしまったせいで、体は落ちる手前だった。
そして、それこそが伊吹の狙い。
はなから勝とうなどとは微塵も考えていなかった。
煙が晴れるその瞬間、伊吹は力任せに飛び蹴りを食らわせる。
「お、おち……嘘でしょぉぉぉぉぉ!?!?!?」
狙いは現実に。
アキノは流れる川底へ真っ逆さま。
上から見下ろしながら、伊吹は親指を下に向ける。
「そこで頭を冷やしときな。クソ女……!」
作戦は完璧だった。
アキノが落ちれば、またここまで上がってくるのに大きく時間がかかる。
その間に、風間とヒトミも合流出来る。
「やった……アタシ、出来たんだ……」
何も持たないただの一般人が、恐ろしい魔術師に一杯食わせたと、心の中でガッツポーズを決める。
状況を脱した安心からか、伊吹はその場で川を見つめる。
街を混乱に陥れた女の、落下する様を見届けていた。
きっとその顔は、憤りと悔しさで歪んでいる筈。
が、何故か、アキノは笑っていた。
半開きの目で、口を大きく開けて笑っていた。
突如、大きな爆発音が足元から聞こえた。
それと同時に、橋はひび割れる。
「……頭を冷やしとけ? じゃああなたも一緒にど〜お?」
想定外の出来事に成す術はなく、伊吹はそのまま落下していく。
導き出した勝利が瓦解する瞬間であった。
「……アキノォォォォォォッ!!!!!」
絶望は、寄り添う様に伊吹の手を掴んで離さない。




