1話 最悪な新学期初日 1
四月、新学年、新学期早々、教室は新しい期待と不安が入り混じって、全員が浮いた気分だ。
ガヤガヤと聞こえる話し声の中には、緊張気味な声色の者もいる。
楽しそうに今までの友人と談話する者もいる。
新しい環境と言うのはいつもこういうものだ。
毎度、この空気感は変わる事がない。
九日、今日は新しい門出の日だ。
しかし、そんな日でも俺のローテンションは揺るがなかった。
意味の分からないクラス分け、それによるコミュニティのシャッフル。
良く言えば出会い、悪く言えば別れ。
別に万人と仲がいいような聖人君子でも、誰とも話せないコミュ症でもない。
クラスが変わろうが、席が変わろうがどうでもいいタイプの人間だ。
例え環境が変わろうと、不動の精神でいつも過ごしている。
そうは言ったものの。
今、俺の隣の席にいる奴はスクールカースト上位とも言われる女、俗に言うヤンキーと言う位置付けの女だ。
キレ長の目、目にかかりそうな長めの前髪と、毛先を青く染めたふんわりセミロングの髪に、学校の規則など知った事か、と言わんばかりのリングのピアス。
学校指定のカーディガンも、こいつが着ているだけで何故かガラが悪く見える。
そして、キツい性格から繰り出される言葉には教師も中々口が出せない。
更には厄介な事に容姿端麗、スポーツ万能、成績優秀……は分からんが、とにかく隠れファンも多い。
モデルをやっているとか、実はハーフとか、様々な噂が飛び交う完全無欠の女子高生。
そう、その名は伊吹涼香。
まさに『近寄り難い』が概念として歩いている様な奴だ。
実際に、誰かと話している所は見た事無い。
キレた所を見たって奴はいたが。
とどのつまり、こいつは触れるのも危険な一匹狼。
これから先の学校生活は、この女に気を遣っていかなきゃならないのか?
否、冗談じゃない。
「なぁなぁ」
俺の熱い覚悟とは明らかに熱量の違う軽い声色が聞こえてきた。
宇都見集、この男もまた学園の人気者で、高一の頃からよく絡んでくる奴だ。
その長い茶髪をヘアバンドで巻いたチャラいハデ男。
そのコミュ力の高さから、知り合いは多いが、だからと言って特定の人間とずっとつるむ様な奴でも無い。
そして、こいつは何故かモテる。
そこは気に食わないが、それ以外は特に非の打ち所がない奴と言えるだろう。
俺は二年生になった訳だが、こいつとの縁はまだ切れそうにないらしい。
なんだって、俺ばかりに話しかけて来るのかは未だに謎。
時たま、煩わしさすら感じる。
「なんだよ宇都見、また下らねぇ事考えてんのかよ」
「……ふふ、横、当たりだな」
宇都見は奥に目線を合わせながら俺の耳元で囁いてきた。
伊吹涼香の事を言っているのだろう。
「……やっぱそういう話か。馬鹿言うなよな。お前もアイツの事はしってんだろ……?」
「……とんでもないツンツン女子って話だよな。でもさ、顔はいいよな。体型も……うん、悪くない。仲良くなれたら役得じゃねーか……?」
悪い顔でゲスい事を言う宇都見だが、確かに言う通りだ。
そこら辺の女とは一線を画した上物であるのは間違いない。
気が強そうってのも、見方によってはプラスだ。
もし良い関係になれたら色々と自慢出来るしな。
「……いっそナンパのつもりでよ……」
「……うし、そうだな。やってやるよ」
「……よしきた……!」
ひそひそと会話を済ませ、頭の中で誘い文句を考えながら、頬を叩いて気合を入れる。
クルっと椅子を半回転。
いつもより目をちょっと大きめに開き、よこしまな上がった口角から、爽やかフレッシュな笑顔に変身。
心臓を落ち着かして、普段より情熱的かつクールな声色で……
「…………なぁ俺、風間って言うんだけどさぁ」
「……」
「席も隣になった事だし、仲良くやろうぜ」
「……」
おかしい。
びっくりするくらいのスルー。
「あ、あのー……」
「……風間蓮斗」
「……へ?」
「喧嘩ばっかりして地元民や教師達を困らせている不良」
いきなり始まったのは、恐らく俺の説明。
「腕っぷしが強いだけで、そんな自分をかっこいいと思っている残念な頭。フラれた女の数は数えきれない、勘違い男の典型」
「う、うわー……」
後ろからドン引く様な宇都見の声が聞こえた。
「可愛い女子にはしらみ潰しに話しかけては連絡先を交換しようとする気持ち悪い奴、嫌がっている女子の顔にも気づけないデリカシー皆無男……ってこんな感じ?」
青みがかかったその瞳は俺の方ではなく、そっぽを向いていた。
こんな罵詈雑言を浴びせておいて目線すら合わせない、まさに外道。
つーか、俺はそんなにフラれてねぇ……!
「お前……俺の事知らねぇ癖にベラベラと!」
「大体そんな感じでしょ? アタシと仲良くしたいならまずは話かけんな。そしたら……マイナスも、ゼロくらいにはなるかもね」
「あぁ……? なんの話だ?」
「……好感度。アタシさ、アンタみたいな悪そうなのを売りにしてる奴、大っ嫌いなんだよね。分かる? もう既にアンタの好感度は地の底だって言ってんの」
頭の中でゴングが鳴った気がした。
「てめぇ……!」
「まぁまぁまぁ! 落ち着けって風間ちゃ〜ん。そろそろホームルームだぜ? 新しいクラスなのに怖がられちゃあ世話ないぜー?」
「くそっ……」
宇都見は俺の肩を押さえてなだめるが、今にも飛び出しそうだ。
だがしかし、宇都見の言う事にも一理ある。
今、こいつとバトったって泣きを見るのはこっちだ。
相手が女となれば尚更。
とは言え腹の虫が治らない。
すかさず机を奴の反対方向へ少し遠ざけた。
「……」
それに反応するかの様にあの女も机を少し遠ざける。
「こ、こいつ……!」
こうして、俺の最悪の高校二年目は始まったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
憂鬱。
あの一瞬は怒りの感情に支配されたが、時間が経てばめんどくさい気持ちが強くなる。
なにせ、人生で一番楽しい時期は高校生の時期だと、そう言う大人も少なくない。
だのにそれを邪魔されては勘弁ならん。
結局あの後、ホームルームすらふけって屋上で寝ていたが、こんな目に遭うとは思わなかった。
気がついたら既に夕日が顔を覗かせていた。
全く起こされなかった事を考えると、教師共も俺の事などどうでもいいらしい。
まぁ、問題児など、関わり合いになりたく無いんだろう。
「あぁ、かったりぃ……」
「結構図星突かれてたな」
共に廊下を歩く宇都見は面白い事を思い出したかの様に口を出す。
「図星じゃねぇよ! 俺は会った女全員にモーションかける様な安い男じゃねぇ!」
「うんうん、可愛い子限定だよな」
「ああそうだ……ってそうじゃねぇ! とにかく、相手が女ってのがめんどくせぇ。あの女には関わらねぇ様にしねぇと……あんな短気だと思わなかったぜ……」
「あー、一つ思ったんだが……」
宇都見はバツの悪そうな顔を見せる。
「ん?」
「俺らの会話、聞こえてたんじゃね?」
「え」
常識的に考えれば隣の席だ。
声を小さくしていても、耳をすませば聞こえる距離かもしれない。
それに、話していた内容も、顔だの体型だの女子が嫌いそうなワードばかり。
だとしたら……
「キレるのも無理ねぇか……」
「それに噂されんの嫌いそうだろ、あの子」
「うっ……」
一気にこちらに非がある感じになってきたぞ。
だとしてもあんなに言うか?
普通に酷くね?
流石の風間君もあれには堪えたぜ。
「まぁいいじゃん。こっちが放っておけば、あっちも何も言ってこねぇさ」
「……そうだな」
触らぬ神に祟りなし、もう関わんないのが正解だ。
あっちが勝手に燃え上がってんなら、その火には近づかない。
いつだって紳士で大人な対応を……
と、そんな事を考えた矢先に、例の女子は下駄箱で佇んでいる。
「げっ……なんてタイミング……」
「まぁ放課後だしな」
なんとも嫌な事に帰宅のタイミングが噛み合ってしまった。
あからさまに歩く速度を落とし、伊吹の奴が先に行くのを二人して見守る。
その時、スカートのポケットから何か光る物が落ちるのが見えた。
「ん……?」
そして伊吹はその場を後にする。
生徒の話し声と雑踏の音で、あいつは落とした事に気づいていなかった。
無論、その落とし物に気づいたのも俺と宇都見だけだった。
俺はすのこの上に落ちたそれを拾い上げる。
これは……
「ブローチ?」
それは花の形のブローチだった。
アクセントに散りばめられた装飾は宝石の様で、細かな彩色も、高級感を漂わせる一品だった。
まるで吸い込まれそうな魅力があった。
「すげぇ、綺麗だな……」
素人でも分かるその価値に息を飲む。
もし売ったらすごい金になるんじゃないか?
と、そんな下衆な考えがすぐに頭をよぎる。
「どれどれ……おお! 確かにこいつは凄そうだ! なんつーか、すげぇリッチな感じがするぜ」
「どんな感想だよ……」
なんかめちゃくちゃ有名なアーティストが作った。
とかは分からないが、宇都見から見ても、これは高級品に見えるらしい。
今分かっているのは、これをあの女が落としたって事だ。
いやはや、拾ってしまった事を少し後悔。
だって拾っちまったら……
「届けてやれよ」
「はぁ……まぁそうなるわな……」
気乗りしないが、こんな大層な物をくすねる程良い性格はしていない。
関わらないと決めた筈なのに、こんな目に遭うとは……
「仕方ねぇ。ちょっと行ってくるわ! じゃあなー!」
「おー、またなー」
背中で別れを告げながら伊吹を追う。
あいつの行った道はどこかは分からんが、とりあえず追いかけてみる。
いきなり泥棒扱いされそうとか、そういう事も頭にあったが、今は気にしている場合じゃない。
さっさと渡して、関わり合いを早々に終わらせよう。
それが最善だ。
だが、早く終わらせようとか、そう思ってる時ってのは大体うまくいかない。
なんというか、自分に不幸が降りかかるタイミングが最近になってよく分かる。
「あーあ、またかよ……」
背後の気配を察知して立ち止まる。
そう、降りかかる火の粉を払うってのは楽じゃない。
不良のレッテルを貼られるくらいだったらいいが、こう何度も来られては疲れる。
「お前らみたいのがいるせいでよ、俺の株が下がるんだ」
背後から現れた計三人、いずれも男、フードをしていて顔は見えない。
こいつらはいつもそうだ。
やっぱり今日は厄日だ。
でも、新学期早々に厄落としが出来たと思えば悪くない。
「かかって来いよ、馬鹿共……」
新学期初日の放課後、学校の目の前で喧嘩なんて、これは言い逃れが出来ないな。
あの女の言った通りだ。
確かにこれは、どう見ても不良そのものだ。