8.ピンチ
「……うぅん……んっ……ふわぁ……」
ツクモと出会った次の日、キャロルはいつもより二刻ほど早い鐘の音と共に起きた。外は明るくなったばかりで、まだ鳥のさえずりすら聞こえない。
「……にゃう……今日からツクモお兄ちゃんが一緒……嬉しいなっ」
昨日は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。両親が行方不明になってからずっと感じていた不安や孤独感を感じることなく、悪夢を見て途中で起きることもなく眠ることができたのだ。
これはツクモに出会って、笑って泣いて約束を交わしたおかげだろう。ツクモが迎えに来るのが待ち遠しい。
「ツクモお兄ちゃんが来るまであと三刻もあるんだ。何して待とうかなぁ……あっ、そうだ!」
やることを思いついたキャロルはベッドを抜け出しせっせと着替えをして、手提げの中に朝ご飯用のパンを入れる。
昨日までは毎日大量の花が入れられてあった手提げの中には、赤いリボンが一本。それを取り出して髪に着けた。
それは昨日ツクモにプレゼントしてもらった、キャロルの宝物と化したリボンだった。
「ふんふふん、にゃはっ、ツクモお兄ちゃん喜んでくれるかな?」
キャロルは鼻歌を準備を進めていた。ツクモと出会うきっかけになったものではあるけれど、昨日は枯れかけの花しか渡すことができなかった。
だから今日は今から採りに行って採れたての綺麗な花をプレゼントしよう。そうしたらきっと喜んでくれる。昨日は見せられなかったキャロルが好きな綺麗な花を見せてあげよう。そう考えた。
「あっでも……」
キャロルはツクモが迎えに来るまで家を出ないという約束をした事を思い出した。ツクモは宿から連れの女の人と一緒に迎えに来てくれるのだ。
でも、綺麗な花をツクモにプレゼントしたい。ツクモならきっと金貨3枚のプレゼントに成功しているはずだから、花と一緒におめでとうと言いたい。
そんな二つの思考を天秤にかける。
「……うん、時間まで戻れば大丈夫だよね……」
その結果傾いたのは花をプレゼントしたいという方だった。ツクモがやってくるまでまだ二刻もある。例え二往復しても間に合う時間だった。
「……いってきます……」
キャロルは家を出る。まだ屋台も出ていない静かな街を進み、花畑に繋がる門へと向かう。心なしか、朝日が少しまぶしく感じる。
花畑へとつながる東の門の開門時間は今さっき、キャロルが起きた鐘の音が示す時間だ。すでに門を開けて門番が守っていることだろう。
十分ほど歩いていくと、東の門が見えてきた。そこではやはり門番が門を守っており、もはや常連と化したこの門を守る門番に元気よく挨拶をする。
「門番さん! おはようございます!」
「猫の嬢ちゃんおはよう。今日はやけに早いな」
そこにいたのはいつもと同じ門番だ。毎日のように通っていたら顔を覚えられてしまったようだ。
「うん! 今日は少し早く起きちゃって!」
「ああそうか、確かにまだ街は動いてない時間だから早いな。……なんだかいつもより楽しそうだけど、良いことでもあったのかい?」
「にゃはっ! そうなの! すっごく良いことがあるの!」
ツクモお兄ちゃんが迎えに来てくれる。その時間が待ち遠しい。そんなウズウズした気持ちを抑え切れず耳をピクピクと動かすキャロルを門番は微笑ましそうに見る。
「そうかそうか……。今日も花を採りに行くのかい?」
門番は、毎日キャロルが花を採りに来ていることを知っている。ついでに言ってしまえば、それを売っているということも知っていた。
「うん! 今日はね! 売るものじゃなくあげるものなんだ!」
「ん? そうなのか。花を採るだけなら危険はないと思うけど、気をつけるんだよ?」
花畑は歩いて十分ほどの距離の場所にある。門から花畑は見えないが、少し離れた場所にある森に入らなければ魔物も出ないし、危険はない。それに、子どもとはいえ獣人のキャロルなら多少の危険なら乗り越えられるだろうし、そもそも危険を察知することも可能だろう。
だから、門番は安心してキャロルを送り出した。
「うん! 行ってきます!」
「あぁ、いってらっしゃい」
キャロルはよく整備された道を進む。すでに所々に花が咲いているのが分かるが、いつも花を採っている花畑はもう少し先にある。
暖かい日の昼にはパンを持ってお花見に来るくらい綺麗な場所で、魔物もほとんど出たことがない。出たとしても、森の中で生存競争に勝つことができなかったゴブリン程度だ。
もっとも、もし魔物が現れても獣人であるキャロルはそれをいち早く察知することが可能だし、すぐそこの門までは逃げ込むことができる。
だけど、警戒は忘れない。ここはあくまで街の外であり、街から近いといっても魔物のテリトリーなのだ。
「ここらへんでいいかな?」
花畑についたキャロルは早速花を採りはじめる。鼻歌を歌いながら様々な花を採って、丁寧に籠の中に詰めていく。色とりどりの花でどんどん埋まっていく手提げ、花が増えるたびにキャロルのテンションも上がっていく。
「ふんふふん、シャクヤク、たんぽぽ、ダリア! あっ! もう咲いたんだ!」
キャロルは、昨日は咲いていなかった花を見つけ籠を置いて駆け寄る。この花が欲しいとは思っていたけれど、まだ咲いていないと思っていた花だ。
「にゃはっ! ツクモお兄ちゃんと同じ真っ白なアジサイ! んしょ、んしょ、採れた! ……ッ!? ……あれ、ここ、どこ? ……違うよね?」
真っ白なアジサイを採った瞬間、一瞬キャロルの視界がブレたように感じた。
その違和感を感じ取った直後、匂いが変わったことを理解した。
景色も目に見えている花にも変化はないが、確かに空気が変わったことを感じ取った。
ただの人ならば視界がぶれたことにすら気がつかないような些細な変化だが、獣人であるキャロルには充分に感じ取れる違和感だった。
「も、戻らないと……きゃっ! なに……これ……」
本能的にまずいと判断して咄嗟に門の方向へ戻ろうとしたキャロルは、進路を見えない壁のようなものに阻まれた。進みたくても進むことができない。
わずか数メートル先にある手提げにたどり着けない。伸ばしているはずなのに、腕を見ると伸ばすことができていない。
この不可解な現象を目にして、手に白いアジサイを持ったままキャロルは途方に暮れる。
どうしようかと思い悩んだその時、遠くから物音が聞こえてきた。小さかったけれど聞こえたはずのそれは確かに人の声だった。
「……誰か……いるの?」
「ぐすっ……ひぐっ……ぐすっ……」
「……誰なの? ……泣いてるの?」
今度は誰かが泣いている声がはっきりと聞こえ、キャロルはその声がする方向へと進む。すると、キャロルと同じくらいの歳に見える赤い服を着た幼女が泣いていた。
「ここで何してるの? ……え? 血の匂い……? ケガしてるの……?」
「ぐすっ……違うの……。みんな居なくなっちゃったの……」
「……みんな? その血はみんなのものなの?」
支離滅裂なことを話す幼女。キャロルは一生懸命伝えたいことを聞き取ろうとする。
「……分からない……。でもこっちなの……。私はメイ、あなたはだぁれ?」
「そっちに行けばいいの? 私はキャロルだよ」
キャロルはメイの後を追って道なき道を進んでいく。はっきりということはできないけれど、どこか違和感を感じる森の中、徐々に濃くなっていく血の匂い。
すでに歩きはじめて一刻ほど過ぎ、森の奥へ進むたびにキャロルの不安が高まり警戒心が上がっていく。
「……ここにみんながいるよ」
メイに連れられて辿り着いたのは広場のようになっている場所だった。薄暗い森の中から光の当たる場所に出たことで目が眩み、それと同時に一気に血の匂いが濃くなった。
「ここは……ッ!? 嘘……」
そして、視界が回復して広場にあったそれを見た瞬間、キャロルが抱いていた警戒心も何もかもが消え去り、目に入ったそれに駆け寄った。
「……おとう……? ……おかあ……?……なん……で? ここ……に……? どうし……て……?」
広場には無数の死体。年齢も性別も、身分も種族も関係なく横たわる数多の亡骸。ただ一つ、共通点があるとすればそれは首がないこと。
でも、それでも、首がなかったとしても生まれてからずっと一緒に過ごしてきた両親の服は、においは、尻尾はすぐに分かった。いや、分かってしまった。
「なん……で……? 行方不明に……どういう……ッ!? 嘘……もしかしてこれ……全部……?」
風がとまる。音が消える。思考が纏まらない。
無意識のままキャロルは自分の服が血に塗れることも気にせず抱き起こす。その死体には首にしか損傷が存在しない。それどころか、まるで鋭い何かで首を一撃で切り取られたような傷のつき方。
つい先ほど殺されたと言われてもおかしくないほどの温かさ。だが、その手に触れる血とそこに存在しない首が両親が死んでしまっているということを嫌でも自覚させてくる。
血の気が引いていく感じがして、はっと周りを見渡してみればようやく同じ状態の無数の死体に気がついた。
そして、それらが全て今街で行方不明として捜索されている人たちだと言うことにも気がついてしまった。
嗅いだことがある美味しいにおいの料理屋さん、薬の匂いの薬師さん、汗のにおいの冒険者。首が無くても分かる、分かってしまう。
そして、そこに微かに残る犯人の残り香を感じ取った瞬間、突然後ろから強風が吹いてきた。その風に乗った香りとともに。
「……ッ!? ……どういう……こと……!?」
「……どうしたの?」
おかしい、明らかにおかしい。意味がわからない。理解が追いつかない。そんなはずがない、だけどそうとしか考えられない。
「……んで……なんで、ここにいる人たちにメイの匂いが残ってるの……?!」
「……なんの……こと?」
メイは分からないと言う。その言い方は本当に何を言っているのか分からないといった風で、嘘をついているようには思えなかった。
だけど、キャロルの嗅覚が、獣人としての優れた機能が、獣としての感が、キャロル自身の本能がそれを嘘だと判断する。
だから、気がついてしまった事実を指摘する。
「……だって、おかしいじゃん。……その血はメイのものじゃない。……一人のものでもない……なのに匂いが残ってる……そんなの……そんなの……」
メイはキャロルのつぶやきを聞き取り、その場で俯く。先ほどから何を考えているのか一切分からない。
だからキャロルは、決定的な言葉を投げかける。嘘であってほしいと願いながら、それでも多分本当なのだと確信しながら。
「メイが……おとうとおかあを殺したの?」
その言葉を受けてメイは顔を上げる。
たとえ本能がそうだと主張しても、キャロルは、理性は違うと信じたかった。
いや違う。自分と同じくらいの歳にしか見えない子が、貴族を、商人を、平民を、冒険者を、そして両親を殺したと信じたくなかったのだ。
だが、顔を上げたメイの表情は、ゾッとするような笑みが浮かんでいて……。
「アハッ! 気がついちゃった?」
口調も表情も雰囲気も先ほどとは全てが違う。今ならメイが殺したと信じられるほどの冷酷な笑み。そして目は深紅染まっている。
それを見て思わず後退りをするキャロル。今から言うことはおかしい。そう分かっていながら問いかける。
「違う……あなたはメイじゃない……。あなたは……一体だれなの?」
幼女は冷酷な笑みを浮かべたまま答える。
「アハッ! 私はメイ、メイは神隠し。神隠しは、メイの絶望だよ?」
「どういう……こと……?」
意味が分からない。突然メイが別人のようになったかと思えば神隠しだなんて言い始める。神隠しなんて嘘をつくにしても他にもっといいものがあったはず。
だけど、これがみんなを、両親を殺したということだけは分かった。
「私も……殺すの?」
「当たり前じゃん♪」
明るい笑顔でそう言い放つ神隠し。それを聞いた瞬間キャロルは逃げ出した。
「くっ……!」
その姿を見て表情を変えた神隠しは小さな声で呟く。
「……無駄なのに」