2.道中
「お逃げくださいシャーリー様! お嬢様を連れて街まで急いで行ってください!」
執事は絶望の淵にいた。なぜ魔の森に生息しているはずのこんな魔物と、この道で出会すのか。そしてなぜよりにもよって今日、今までで初めて護衛を付けなかった日に出会すのか。
しかしそんな言葉を執事の後ろにいたシャーリーが切り捨てる。
「無理よ。シルバーウルフは馬よりも早い。群で行動すればAランク冒険者でも死ぬこともある魔物よ。それに……結局ラナの解呪もできなかった私はきっとここで死ぬ運命なのよ」
「諦めてはなりません! 街に戻れば旦那様が解呪薬を準備しているかもしれないんですぞ!」
だが、シャーリーは動かない。確かにシャーリーの言うことも一理あったが、それしか生き残る手段が存在しないのも事実なのだ。
「わざわざこうして隣街の解呪師のところまで行ったのに無理だったのよ? S級レートのバジリスクから取れる解呪石が無いと助からないなんて、不可能じゃない……」
執事は歯噛みする。約二十日前、自分が仕える領主の一人娘であるラナが突然倒れた。
原因不明の上、回復魔法の使い手がその身に回復魔法をかけ続けても衰弱していくラナは、五日ほど前についに呼びかけても一切反応を示さなくなってしまった。それを見た医者はラナの余命を残り十日と判断した。
最愛の娘の変わっていく様に耐えられなかったシャーリーは、もしかしてと思い、隣街にいるという高名な解呪師のもとへラナを連れて向かった。
やはり病の原因は呪いで、しかしその呪いは高名な呪術師ですら治すことができない代物だった。さらに、治すことができなければあと五日も持たないと判断された。
その呪いは、徐々に衰弱していき最終的には眠るように命を失うというものであり、非常に珍しいうえに解呪が難しい代物だった。
解呪師が言うにはその呪いを解くには聖女か大司教クラスの聖魔法かバジリスクから取れる解呪石が必要だと。
だが、大司教にアポイントメントをとるなんて五日では不可能だし、S級レートの魔物から取れるそれはオークションに出れば王族が破格の値段で落札するような代物。
そのことをシャーリーが魔道具を使って夫である領主に知らせたことによって、領主が金貨百枚でギルドに解呪石の依頼を出したが、S級レートの魔物を倒せるのは同じSランクの冒険者のみだ。
そして今Sランク冒険者は街にはいない。さらに言えば、たった金貨百枚でS級レートの魔物の討伐を引き受けてくれるとも思えない。
もっと言ってしまえば、バジリスクが住んでいるのは未開の地である魔の森の深部。Sランク冒険者でも運が悪ければ死んでしまうような魔物が跋扈していると言われている魔境でバジリスクを探し出すなんて不可能に近かった。いや、不可能だ。
簡単に言ってしまえばラナを救う手は存在しない。
だからシャーリーはここでラナと共に死ぬことを選んだ。もしも護衛を連れていたのなら助かったのかもしれないが、護衛が居たらその分移動が遅れて街へ戻る前にラナの命が尽きていた。
一人で逃げるくらいなら共に死ぬ。シャーリーにとってラナは自分の命より大切な娘だった。
もし、ラナだけを逃がすことできるのなら迷いなくその選択肢を選ぶが、ラナの意識は戻らない。
「諦めないでくださいシャーリー様! 旦那様を信じてください!」
「シルバーウルフは逃げる物を追う習性があるわ。だからここで倒さないと逃げることすらできない。いくら元Aランク冒険者だったあなたでも、この数に勝つなんて不可能だと分かっているでしょ?」
分かっていた。シャーリーが言っていることは全て正しいし、こうして剣を向けながら留まっているからこそシルバーウルフはまだ襲ってこない。
襲い掛かってきたら勝てる見込みはない。だけど、諦めずに自分がシルバーウルフを引き付けているうちに逃げて欲しい。そう願って叫んでいた。
意識不明の娘を連れて馬に乗って逃げることなどシルバーウルフ相手には不可能、つまり助かるにはラナを置いていかなければならない。
そんな選択肢をシャーリーが選ぶはずがなかった。執事は決意する。
「ならば、私がこの命に代えても倒しきってみせます。それまで決して馬車から出ないようにしてください」
「……お願い。でも、もしもの時は私のことは良いからラナだけは助けて」
執事は答えずに、シャーリーが馬車の中に隠れたことを確認してから剣を構える。いや、沈黙こそが執事なりの答えだった。
執事は考える。あの日シャーリー様に救ってもらい、拾ってもらった恩を返しきれていないのにまだ死ぬわけにはいかない。
だからこそ、もしもここで死ぬ運命だったのだとしても最低でもシャーリー様より後に死ぬということはあってはならないのだ。
「グルルルル……ガァッ!」
ゆっくりと前方で展開していたシルバーウルフは、ついに息を合わせて飛びかかってきた。
一匹目を切り裂き、二匹目を剣で貫く。しかし、二匹目のシルバーウルフに隠れるように接近していた三匹目に気が付けなかった。
剣は二匹目に突き刺さったままで三匹目に対抗する手段がない。しばらく剣を握らないうちに勘が鈍ったか。
意地でも抵抗しようと剣を投げ捨て、素手で三匹目を殴りつけると、目の前に四匹目が迫っていた。
「ギャン!」
反射的に目を瞑ってしまい、もはやここまでかと思い衝撃と痛みに備えるが、中々やってこない。それどころか、シルバーウルフが警戒するような声すら聞こえてきた。
「グルルルルル……」
「気配を感じたから急いで来てみれば、ただのシルバードッグか。ねぇ、こいつの価値ってどんなもん?」
「そうですね……。シルバードッグはゴブリン並みに繁殖している魔物ですし、恐らく二束三文にしかならないでしょう」
何やら話すような声が聞こえてくる。既に死んで、ここはもしやあの世なのか? そう思い、目を開けると衝撃の光景が目に飛び込んできた。
「なっ……」
二十を過ぎたほどと思われる青年と、その従者と思われる少女が馬車とシルバーウルフの間に立ちはだかっていた。その隣には綺麗に落とされたシルバーウルフの首が二つある。
突然の出来事にシルバーウルフも戸惑っているようだった。
「お、お前たち早く逃げろ! そいつはシルバードッグじゃなくてシルバーウルフだ!」
「ん? あぁ、こいつらのことか? 安心しろ。もう終わってる」
「グルルルル……ガッ……?」
シルバーウルフが青年に向かって飛び込んだと思った瞬間、青年の姿が一瞬ブレたかのように見え、シルバーウルフの首が全てずれた。
終わっている、いつでも殺すことができた。つまりすでに勝負はついていたのだ。
魔の森にすむシルバーウルフが切られたことに気がつかないほどの剣速、相手にならないほどの強さ。
一瞬の瞬きの間に一体何度剣を振ったのか、想像するだけで身が震えた。
もしも感が鈍っていなければ剣を捉えることができたのだろうか? いや、不可能だ。こんな芸当をできるのは昔一度だけ見たSランク冒険者くらいだろう。
「それより急ぎましょう、もう食料がないです。今日中に街へ着かなければお腹が減ってしまいます」
「そうだよなぁ……行くか。なぁ、ここをまっすぐ行ったら街に着くか?」
「は、はい! ここを馬で二刻ほど進むと街に到着しますぞ!」
「ふぅん、ありがとう。お礼代わりに、もしこの先で魔物にあったら討伐しておいてやるよ。じゃあ行くか」
「そうですね」
一連の出来事に呆気にとられてしまったが、もしこの青年を護衛として雇うことができればこの先の安全は保証されたものだ。
それに、貴族たるもの助けられれば謝礼を渡すものだ。執事は急いで二人を呼び止めようと声を上げる。
「そこの二人! ……あれ? もう居ない……?」
しかし、そこにすでに二人組の姿はなく、シルバーウルフの死体だけが残されていた。そのことに呆然としてしまったが、一部始終を聞いていたであろうシャーリーが馬車から出てきたことで正気に返る。
「……シャーリー様、私たちは助かりました」
「……何がおきたの?」
「……わかりません。ですが、あの強さは恐らくSランク冒険者、その中でも上位の存在でしょう。昔見たSランク冒険者よりも強かったと思いますぞ」
「そう、上位のSランク冒険者……ッ!? 彼らはどこに行ったの!?」
「こ、この先をまっすぐ行けば街かどうかを聞かれたので、三刻ほど進めば着くと伝えましたが」
「……彼らの風貌は?」
「二十を過ぎたくらいの白と黒のメッシュの青年と、その従者らしき成人したての黒髪の少女ですぞ」
「セバス、街に急いで。彼らを探して! なんとしても見つけ出して依頼をするのよ! ラナが助かる可能性はそれしかないわ!」
今から急いで街に向かっても、ラナの命が助かるまでの猶予は二日も残っていないだろう。だが、偶然シルバーウルフを圧倒するほどの実力を持つSランク冒険者が現れ自分の街へと向かっている。
しかも、助けておいて謝礼を要求してこないような相手だ。
見つけて頼み込めば依頼を受けてくれるかもしれない。諦めていたところに降ってきた一本のクモの糸、シャーリーはそれを何としてでもつかみ取ってみせると心に決めた。
執事、セバスは馬車を走らせる。貴重な軍馬を連れてきたが関係ない。三刻で馬を使い潰すつもりで街へ急いだ。
セバス達の馬車から一刻ほど先に進んだ場所に馬車などとは比べものにならないくらいの速度で走る青年とその青年に背負われている少女がいた。
「シキ、もうすぐ着くみたいだよ。さすがに発動させっぱなしはきついね……」
「申し訳ありませんツクモ様。私がもっと速く移動できれば……」
少女、シキはツクモの背中の上でしゅんと顔を落とした。
「シキのせいじゃないよ。元々俺がヘマをしなければ旅に行く必要もなかったんだから」
「そのヘマも私が原因で起きてしまったようなものですし……」
「あれは俺が対処できた問題だったからね。ま、起きちゃったことはしょうがないよ」
シキはうずめていた顔を上げて言う。
「そうですよね! いくら起こそうとしても反応しないんですからツクモ様が悪いんですよね!」
「立ち直り早いなぁおい!」
話をしながら走っていると前方に大きな壁のようなものが見えてきた。そこが先ほど執事が言っていた街なのだろう。
大きな壁は魔物から街を守るために作られたものだろう。
「あの執事が言ってたとおり街があったね。そろそろ降りる?」
「そうします。ツクモ様もそろそろ能力を解除してもいいと思います。それと、体調はどうですか?」
「そうするかぁ……。体調はまだ眠いかな」
解除とツクモが呟くと、ツクモの体から光が現れ、光が一枚の紙のようなものに変化する。そして、その紙はツクモの体の中に吸い込まれていった。
光が治った時、そこには青年などおらず、成人したてのような白髪の少年が立っていた。
「んじゃあ、そろそろ行こう」
「はい! ……そういえば、さっきツクモ様が助けた馬車の中に呪いにかけられている人がいたと思いますが、助けなくて良かったんですか?」
「あー……あれかぁ。確かに治せたけど、生を諦めてる人を助けても意味がないじゃん。馬車の中の女の人はもう死ぬつもりだったみたいだし」
「確かに、あの馬車の中にいた女の人も戦っていたら、ツクモ様が出る必要はありませんでしたからね」
シャーリーは、Aランク冒険者ほどとは言わないが、魔物が多く生息する辺境の街に住んでいるだけあってある程度の戦闘能力を持っていた。貴族だったため、魔法を使って対処することもできただろう。
しかし、彼女は抗うこともせずに死ぬことを選んだ。きっとこれが運命なのだと。
「俺が助けるのは生きたいと願っても生きられないようなやつだけだよ。それに、俺は正義の味方なんかじゃない」
「……それなら呪いにかけられていた人は条件に当てはまる気がするんですけど」
そう言われて、少し考えてみる。生を諦めていたのは中にいた女の人であり、呪いを受けていたのはその女の人に抱えられていた少女だ。
パッと見た感じではあの呪いは他者からかけられたものであったから、少女に非はない。
「……ミスったかな?」
「良いんじゃないでしょうか。あれが最善だったと思いますよ」
「そうだよなぁ。シキは最初から否定的だったし、多分助けても助けなくても結果は変わらないと思うんだよね。いや、俺の刀が粉々になったし……もしかして不運?」
ツクモは鞘だけしか残っていない刀だったものを掲げてそういうが、一体どこに不運な要素があったのか。シキはため息をついて言う。
「あの武器は一体いつのものだと思っているのですか……。シルバードッグごときでの戦闘で砕けてくれて運が良かったですよ」
「それもそうか。……って、執事はシルバードッグじゃなくてシルバーウルフだって言ってなかったっけ?」
「シルバードッグに決まっているじゃないですか。シルバーウルフは鎮守の森の奥から出てきませんし、あんなに弱くありません。大方、増え過ぎたシルバードッグが縄張り争いに負けて鎮守の森から出てきたのでしょう」
確かにシルバーウルフはもっと大きいし群れで行動などしない。行動したとしても家族単位だから十匹以上一緒に行動していた以上、あの魔物はシルバードッグなのだろう。
「なら、なんであの執事はシルバードッグのことをシルバーウルフって呼んでたんだろう?」
「鎮守の森の外にいるシルバードッグしか知らないから勘違いしてしまったのか、あるいは……いえ、なんでもありません」
「あるいはの先が少し気になるけど……もう門に着いちゃうからいいか」
二人は入場待ちの列に並ぶ。前には商隊が一つ並んでいたようだが、すぐに入場できるだろう。
シキは、もしかしたら人族の実力が下がったことによってシルバードッグとシルバーウルフを間違えたのかもしれないと思ったが、魔物の強さは変わっていなかったためそれはないと判断した。
もしも魔物だけ強さが変わらずに人族が弱くなっていたとたら、魔物にあっという間に滅ぼされてしまい、国など存在することができないはずだから。