12.救出
木が折れる音がする。鋭い何かが耳元を勢いよく通り過ぎたような音が聞こえてきた。逃げられない。見つかる。死にたくない。
「はぁ……はぁ……いやっ! こないでっ!」
「あはははは! そろそろ諦めたら? どこにも出口がないことが分かったでしょ? 君じゃ私を殺せないことも分かったでしょ?」
「そんなの……でも……私は……!」
キャロルは逃げ続けていた。どれほど時間が経ったのか分からない、だけど少しずつ希望が絶望に変わって行く感覚がする。
いくら逃げても追いつかれ、離れたと思ったのにいつの間にか近くに迫られ、隠れたと思ったら的確に謎の攻撃が飛んでくる。
でも、攻撃は決して直接当ててこず、まるで徐々に追い詰めるような、いつでも殺せることを教えるかのような攻撃が続いている。
極めつけは謎の壁のようなものに阻まれて進めない場所の存在。どの方向に逃げても結局はそこにたどり着く。
逃げ続けて、迷って回り道をしてようやくたどり着くことができた花畑はなぜか通ってきたはずの白いアジサイの花から先には進めない。進もうとしても進むことができない。
目の前に置いていってしまった手提げは見えているのにそこまでたどり着くことができない。なぜ? なぜ? その疑問が解消されずに次々と積み重なり、どんどんと膨れ上がってくる。
なぜ逃げられないの?
なぜ見つかるの?
なぜ追いつけるの?
なぜ進めないの?
なぜ? なぜ? なぜ? そんな疑問ばかりが頭の中に溢れていく。
「なん……で……! いやっ! 来ないでよぉぉぉ!」
逃げられない絶望より、両親が死んでいたという現実よりもなぜかツクモとの約束を破ってしまった事による罪悪感ともう会えないかもしれないという不安と悲しみがキャロルの心を支配する。
もしも花を採りに来ていなければ、もしもツクモの言う通り家で待っていればこんなことにはならなかったのではないだろうか。
いやそもそも、昨日ツクモは一緒の宿に来るようにと言っていたのにそれを断ってしまったのはキャロルだったのだ。
プロポーズが成功してほしいからなどという意地など張らずに一緒の宿に泊まっていれば良かったのだ。
ごめんなさいと何度も心の中でツクモに謝る。
居なくなってごめんなさい。
心配をかけてごめんなさい。
約束を破ってごめんなさい。
本当は直接謝りたい。だけど、もう会うことはできないかもしれない。だから精いっぱい心の中でツクモに伝える。
でも、まだどこかでもしかしたら助けに来てくれるかもしれないと思っている自分も存在する。約束を破ってしまった自分の助けなど来てくれないはずなのに。
「ごめん……なさい……。キャロ、約束を破っちゃった……」
きっとこれは罰なのだろう。約束を破ってしまった、人を悲しませてばかりの自分へ与えられた罰なのだろう。
あの日もそうだった。
花畑でピクニックをしようという約束をしていた日、おとうに仕事が入ったから行けなくなったと言われてしまった。
おとうはまた明日行こう、明日はもう休みを取っているとまで言ってくれたのに、キャロルは「もう知らない! 仕事から帰ってこなくていい!」と酷いことを言って家から出て行ってしまった。
その時のおとうはとても悲しそうな顔をしていたのに、そんなの自業自得だと思って気にすることなく飛び出してしまった。
でも、本当は分かっていたのだ。自分が暮らすために両親は毎日遅くまで働いていることも、ピクニックに行くような時間なんてないのに何とか時間を作ってくれていたことも。
明日といわれたときも、そんな余裕がないはずなのにキャロルのために無理してでも時間を作ろうとしていたことも。
おとうが頑張って働いて偉くなって、こうして幸せに暮らせるからこそ時々偉くなったおとうじゃなければできない仕事が存在していた。
あの日はおとうじゃないとできない仕事が偶然重なってしまっただけだったのだ。
でも、家を走って出てきちゃったけど、キャロルが言った言葉に傷ついたような悲しんでいるような表情が頭から離れなくて……酷いことを言っちゃったと自覚して家に戻った時にはおとうもおかあも仕事に行ってしまっていた。
急に静かになってしまったように感じた家の中には、テーブルの上にごめんねと書いた手紙と、お詫び代わりにこれで楽しんでと置かれた一日で使うには多すぎるお金しか残っていなかった。
これはピクニックに行くときに使う予定のお金と同じ量だったはずだ。だけど、キャロルに謝るためだけにそんなお金を置いていった。
それを見て、自分がどれだけ酷いことを言ってしまったのかを自覚して、キャロルは自分もごめんなさいするためにお花畑に花を採りに行った。
そして、手提げ一杯に花を詰め込んで、帰り道の途中にある屋台で美味しいお肉を人数分買って両親の帰りを待つことにした。
帰ってきたらすぐに「酷いことを言ってごめんなさい。明日一緒にお花畑に行こう」そう言おうと心に決めて。
……でも、いつまで経ってもおとうとおかあは家に帰ってこなかった。
まだ仕事をしているのかなと思って頑張れと伝えようと思ってこっそりお店を覗きに行ったけれど、そこにおとうとおかあの姿は無くて……もう一度家に戻っても帰ってきていなかった。
だからおとうとおかあはどこにいるのかとお店の人に聞いたら、すごい勢いで仕事を終わらせてから早めに切り上げて帰ったと言われてしまった。
まだ二人が帰ってきていないことを説明して、お店の人たちも一緒に探してくれたけれど見つからなくて……途方に暮れてしまった。
だけど、最後に今日お店で会ったと言っていたお客さんが、「ピクニックに行くと約束を破って娘を怒らせてしまったから、花畑で花を採って帰る」と言っていたと教えてくれた。
あの時は花畑に向かう途中で何かが起きたのかと思っていたけれど、キャロルは花畑でこんな目にあっている。毎日通っていたのに、なぜ今日こんな目に遭ってしまったのかは分からない。
多分、おとうもおかあも、そしてキャロルも約束を破ってしまったから罰を与えられたのだと考えた。
だから、花畑に向かったと言っていたおとうとおかあも多分同じ目にあったのだろう。こうして嬲られ追い詰められ、最終的には殺された。
つまり、花畑にさえ来なければ……あの日喧嘩さえしなければ今も三人で過ごせていたはずだったのだ。
例え仕事が忙しくても、一緒にいる時間が少なくても、美味しいご飯を作ってくれるおかあと、いつの間にか寝てしまっていたら起こさないようにとベッドまで運んでくれるおとうと幸せに過ごせていたはずなのだ。
その幸せを奪った自分はこうして罰を受けて当然なのかもしれない。死ぬべき人間なのかもしれない。だけど、できるならば、叶うならばせめて……。
「ツクモ……お兄ちゃん……。キャロ、謝りたいよ……」
直接会ってごめんなさいをしたい。家から出ないという簡単な約束すら守れない自分を叱ってほしい。だけど、それを神隠しは否定する。
「無理だよ? この空間からは誰も出られない! 誰にも私を傷つけられない! ……一人も逃がさない」
「いやだよ……助けて……死にたくない……」
だけど、まだ幼い獣人の女の子は、ずっと逃げ続けたせいか、慣れない足場のせいかそれとも気持ちの問題か、その先にあったほんの少しだけ荒れた地面に気がつくことができなかった。
「あっ……」
注意していればよけられたのに。獣人の驚異的な身体能力と本能を頼りに逃げ、走り続けていたキャロルの足が取られて、そのままもつれて転んでしまった。
休むために隠れていた時とは違う、敵の目の前で転んで止まってしまう失態。
慌てて立ち上がり、後ろを振り向いてみればもう目の前には神隠しの姿。
立ち上がったはいいものの、走り続けたキャロルは、一度止まってしまったことによって足に疲れが一気にやってきて痙攣して動かず、前に一歩も踏み出すことができない。
先ほどまでの希望がわずかでもあった状態ではなくなり目の前に迫った死。貴族を、商人を、両親を殺した存在、それが持つ暗く深い紅色の目を見て、もう逃げることができないことを悟った。
はらりと落ちてきた赤いリボン、キャロルの宝物が手の中に落ちてきた。それを見て、キャロルの中に残っていたわずかな希望が絶望に変わる。
生まれてから最も死を意識して、全身が震え、うまく言葉を紡ぐことすらできない。足が崩れ、膝をつく。
「ぁあ……ぃゃ……やだ……」
「あはっ! やっと折れた」
そう言いながらキャロルの周囲にある木を切り、消滅させる。
死にたくない。
どうやって切ったのか、どうやって消滅させたのか一切わからない。だけど、どんどん広がっていく空間はまるで、キャロルの処刑場のようで……。
まだ死ねない、死ぬわけにはいかない。……なのに。
「……いや……助けて……ごめんなさい……」
生きる希望が一切湧いてこない。キャロルの心はとっくに限界だった。だけど、もう一度ツクモに会いたいという気持ちだけを頼りに走り続けていた。
限界を超えていたのに、耐えていた心は走ることができなくなると同時にぽっきりと折れた。
縋るようなキャロルの言葉も神隠しは一蹴にする。
「助けるわけないじゃん、それに……謝られるような事は何もしてないし?」
「……そん……な……。いや……死にたく……ない……。助けて……助けて……ツクモお兄ちゃん……!」
「あはっ! それじゃあバイバイ?」
痛みに備えてぎゅっと目を瞑る。次の瞬間、キンッ! という音がなって何かが吹き飛ぶような音が聞こえた。痛みはなかなかやってこない。
ふわっとした風が肌を撫で、血の匂いしかしなかったキャロルの世界に優しい香りが漂ってくる。メイが神隠しだと気がついたときに一緒に感じた優しい香り。
「キャロ、絶望するにはまだ早い。言ったでしょ? 俺が守ってやるって」
力強くも優しい声が聞こえる。幻聴にしてははっきりとしすぎている、もう聞けないと思っていた声。
もう天国に着いちゃったのかなと思いながら、キャロルはゆっくりと目を開く。目の前は森、切り倒された木がある。だけど、さっきとは違うものが一つだけ存在して。
そこには大きな背中があって、優しい香りがして。温かいぬくもりを感じて。
もう動かないと思っていた足を奮い立たせて、一歩進む。そして触れた、もう一度触れることができた温かくて力強い大きな背中。幻なんかじゃなくてそこに確かに存在する。
途方に暮れた自分を助けてくれた人。
悲しみが溢れた自分を支えてくれた人。
一緒にいてくれると言ってくれた人。
離れないと言ってくれた人。守ると言ってくれた人。
そして、一番会いたかった人。
確かめるように、居なくならないように、湧き上がってきた気持ちが無くならないようにゆっくりと口を開く。
「ツクモ……お兄ちゃん……?」
こちらをゆっくりと振り向いたその人の顔を見た瞬間、昨日であったばかりなのにもう何年もあっていなかったかのような気持ちが湧いてきて……。
「そうだよ。ごめんな? ……遅くなって」
その声を聞いた瞬間、恐怖心が安堵に変わって、絶望の代わりに涙が溢れてきた。縋るように抱き着く。離れないで、一人にしないでと小さな腕でその身体にくっ付く。
「お兄……ちゃん……ごめん……なさい……! キャロ……約束……破って……ごめん……なさい……!」
キャロルは大声で泣きだす。堪えていたものを、一人で抱え込んだものを吐き出すかのように謝り続ける。
ツクモは剣を鞘に戻し、キャロルを力いっぱい抱きしめる。前に抱きしめた時と同じくらい、いや、もっと強く、間に合ってよかったという気持ちを込めて抱きしめる。
「遅くなってごめんね。不安にさせてごめんね。でも、もう大丈夫だから。よく頑張ったね」
ツクモの言葉がキャロルの中に染み渡り、ツクモの温かさが安心感を生む。
「キャロ……キャロ……! もう……死んじゃうんだって……!」
「大丈夫」
大丈夫、その一言だけで安心感が溢れた。そうしたまま数分がたった頃、ガサガサという音が聞こえてきた。
「あ……お、お兄ちゃん!」
「大丈夫」
キャロルがそう叫んだ瞬間再びキンッ! という音が響く。ツクモの右手にはいつの間に抜かれたのか、一本の剣が握られていた。
ツクモが神隠しの攻撃を防いだのだろう。しかし、その攻撃はやはり見えない。
「アハッ! 今の攻撃防ぐんだ!」
歪んだ笑みを浮かべる神隠しがツクモに言う。
「お前こそ、空間を動かすだけじゃ俺を殺せないよ?」
ツクモは立ち上がり、キャロルを背中に隠してそう言う。
その言葉を聞いた瞬間神隠しの表情が一瞬驚愕に染まった後にすっと消え、ツクモを睨みつける。
「私の能力を知ってるなんて……あなた……何者? マーキングもないし、例え迷い込んだのだとしても生かして帰さないよ?」
「生かして帰さない? お前は……何を傷付けようと、何を殺そうとしたのか分かってるの? 甚振り嬲り追い詰め……挙げ句の果てに心を折ろうとした! ……生かさないのはこっちのセリフだよ」
完全な臨戦態勢、いつ戦いが始まってもおかしくない緊張感、しかし両者は動かない。いや、動くことができない。
ツクモはまだ動かない。背後にキャロルが、守るべき存在が居るから。シキが来るまでは動くことはできないのだ。
神隠しは動けない。隙がない、動けば狩られる。そう思わせる覇気を当てられていたから。静かに、穏やかに見えて激動のような覇気を。
近づいてくる複数の足音。その音を聞き取り、神隠しは舌打ちをする。
「ツクモ様! ……良かった、助けられたのですね……」
「あれが……行方不明事件の犯人……? 嘘……まだ幼女じゃないの……」
ちょうどそこにシキ達が追いついてきた。シエラは神隠しの正体を知り呆然としている。
「シキ! キャロルをお願い! 命以外の全てをかけて守りきれ!」
「はいっ! キャロルちゃんこっちへ!」
ツクモに促され、キャロルはシキの元へと歩いていく。その間にも、ツクモは神隠しから一切目を離さない。
「お姉……ちゃん? だれ?」
「私はシキ。ツクモ様の仲間ですよ」
「仲間……台無しにして……ごめん……なさい」
多分、ツクモのプロポーズを台無しにしてしまったと思っているのだろう。シキは再び泣きそうな顔になってしまったキャロルを抱きしめて言う。
「私たちはキャロルちゃんが大事だったから助けにきたのですよ。謝るんじゃなくて……」
「あり……がとう……」
「そう、よく言えました」
キャロルは助かったことを確かに自覚したのか、再び泣き出してしまった。その背後で、剣と何かが打ち合うような音が響いてきた。
ツクモと神隠しの戦闘が始まったのだ。




