介入
薄気味悪い赤の照明が、血管のように張り巡らされたパイプと機械の群れを照らす。まるで巨大な生物の胃にいるようで、気が滅入る。居住性の悪さは『鉄の棺桶』の異名を取るに相応しいと、この半月間で思い知った。
ああ、本国での生活が懐かしい。寝返りすら打てない硬いベッドのせいで、身体のあちこちが痛く、頭もまともに働かない。こいつらと違って、頭脳労働者だというのに。
「間もなく目的地です」右前から声がする。彼は航海士らしい。その席には計器ばかりで窓の一つもないが、それでよく操艦できるものだ。
「タンクブロー、浮上」
「タンクブロー」
「政治委員殿、その取っ手に捕まっていてください」潜望鏡に齧りつく男は、泣く子も黙る政治委員に一瞥もくれない。
船が大きく傾き、張り出したパイプに頭をぶつけた。手すりを深く握り直す。
「地上より、光信号。『任務ご苦労、到着を歓迎する』」
「予定どおり、入り江に接岸します」
「ああ、輸送隊にいつでも出れるように命じておけ」
「了解、伝達します」
政治委員に就任して以来、恐れ、畏怖されることに慣れきった身には、この狭い空間は異質そのものであった。
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アンゴラス帝国 属領 ハバラント王国
これほどまでに、人生において空気が美味しいと思ったことはあっただろうか。星が見えることに感動を覚えたことはあっただろうか。
ようやく目的地に到着し、鉄の棺桶から開放されたことを喜ぶと同時に、帰りもこの船で帰らなければならないことを思い出し憂鬱な気分になる。
海には小さな光が浮かんでおり、潜水艦と陸を行き来する。舟艇が潜水艦から運び出すのは、銃に弾薬、そして…。
「こんなものまで持ってきたのか。いらんだろ!」
潜水艦搭載のクレーンが持ち上げているのは最新型のN-29型榴弾砲だ。誰かの言葉通り、明らかな過剰戦力だが戦力は多くて損はない。
「最新型か、嫌な予感しかしないな」荷降ろしの様子を眺めている乗組員が呟いた。
「君は連邦の科学技術が信頼できないのかね?」私は乗組員の肩を叩くが、彼は微動だにしない。
「使い慣れた物のほうが、いろいろとやりやすそうですので」本国の連中なら、震え上がるに違いないのに。どうも、ここでは調子が狂う。
榴弾砲を積んだ舟艇は、けたたましいエンジン音を響かせ陸地に向かう。
「委員殿の番です」
「ああ…。」私は船縁を跨いで、舟艇に乗り込む。クレーンに吊り下げられ、船はゆっくりと海面に近づいていく。塗りつぶされたように黒い海は、どこまでも深く、底がないようだった。
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「総員、政治委員殿に敬礼!」連邦の兵士だけでなく、現地人からなるパルチザンも、一糸乱れぬ動きで額に手を当てることには驚いた。よほど丹念に仕込まれているのだろう。潜水艦の連中には辟易としたが、やはりこうでなくては。
粗末な服を着た群衆の中から、現地人のリーダー格と思しき者が一歩前に出る。
「お初にお目にかかります。パルチザンを取りまとめている、ハバラント共産党書記長、トワンクと申します。本日は我々のためにありがとうございます」トワンクは感激したように目を潤ませて、手を差し出す。
「コングラー連邦政治委員、ボクダンだ」その手を握ると、トワンクは今にも泣き出しそうに目を潤ませる。
「連邦の素晴らしい技術、文化、何より政治制度には深く感銘を受けました。独立が叶ったその日には、是非とも、連邦に加盟いたしたく存じます」
「少し早いが歓迎しよう」ボクダンは新たな同志と抱擁を交わす。
「我々ができるのはここまでだ。独立はお前達、自身の手で勝ち取れ」
「はい!」
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アンゴラス帝国 ハバラント総督府
箱のように四角い三階建ての建造物から、申し訳程度に尖塔が飛び出している。そのデザインの単調さは、帝国にとってこの国の重要さを表しているようだ。
この国は資源に恵まれず、地政学的にも重要ではない。それ故、戦力の抽出がこれでもかというほど行われ、帝国軍は弱体化していた。それでもなんとか統治を続けられるのは、戦列艦の持つ大火力のおかげだろう。
「そういや最近、蜂起が起こっておらんな」総督はしばらく港から動いていない戦列艦を見て、ふと思う。
「野蛮人でも、学習はするのでしょう」
若干の違和感を感じつつ、そんなものかと自分を納得させる。
そんなときだ。雷が落ちたような爆音が、優雅な午後を引き裂く。分厚いはずの壁をすり抜けて、悲鳴と怒号が聞こえてくる。
「総督、あれを!」窓の外では、戦列艦が燃えていた。まだ沈んでこそいないものの大きく傾いており、ここからの復元は絶望的だろう。
「保守を怠ったことが祟ったか?」相次ぐ反乱への連続投入は明らかなオーバーワークだ。その上、工兵が抽出されたことにより、点検や修理などがまともになされない状況になっていた。しかしその疑問は打ち消された。二隻目、三隻目の戦列艦、ハバラント全ての海上戦力が爆発したのだ。こんな偶然はありえない。
慌てて、執務室から飛び出る。
「敵襲だ!兵士を集結させよ!」そう言い終わる前に、何かが弾けるようなが響く。
「総督、お逃げください。敵がそこまで!」
「まさか!」敵はあまりにも統率が取れすぎていた。農地を耕すしか脳のない、野蛮人には到底できない所業だ。
階段から穢らわしい格好をした男たちが現れる。その手に持っている物に心当たりがあった。他の列強やニホンの使う武器、銃だ。
兵士は咄嗟に杖を構えるが、敵の方が早い。彼の背中に穴が開き、血と肉片が一緒になって飛び出す。若い兵士は仰け反ったように倒れ、起きることはなかった。
「ひぃ!」私は隣で固まっている部下を置き去りにして、執務室に戻る。そして扉に鍵とチェーンをかけた。
「総督、総督!」ドアを叩く音がするが、私は耳を塞いでそれを無視する。破裂音が響く。ノックの音は止んだ。
そう思うも束の間、再びドアが叩かれる。今までより激しく、暴力的に。
バリバリと木が削れる音に、執行を待つ死刑囚のような気分になる。
扉は三十秒と持たずに、真っ二つになった。間髪入れずに、銃を構えた野蛮人どもがなだれ込んで来る。
「待ってくれ!」その声音はひどく震えている。自分がこんな情けない声を出したことが信じられない。
「待て、そいつは撃つな!」リーダー格と思しき男は私を凝視する。
「お前、総督だろ」まともに声が出ないので、私は首を縦に振る。命乞いをするように激しく。
「こいつは、捕らえろ!」太い縄を持った二人の男が、私に近づく。銃は構えたままだ。
「余計なことはするな、頭が吹き飛ぶぞ」床から見上げる野蛮人の顔は、勝ち誇るようであり、哀れむようでもあった。その表情が、燃え尽きたはずの虚栄心に火を点けた。ありえない。この私が野蛮人どもの捕虜になるなどありえない。そんなこと、あってはならない。
「杖を床に杖を捨てろ」
「この下等生物が!」杖から炎が吹き出る。舐めるような炎は、瞬く間に3人の野蛮人達を屠る。
「うわぁぁぁああ!」肉を焦がす香ばしい匂いと、髪が燃える刺激臭が鼻の中でごっちゃになる。炎を纏った彼らは芋虫みたいく床を転がり回り、カーテン、本、絨毯、部屋中の可燃物に火が燃え移る。
「大丈夫ですか!」ドタドタドタと、悲鳴を聞きつけた反逆者達の足音が聞こえる。私は破れた扉から杖だけ出して、炎を撃った。断末魔の悲鳴が轟く。
「拘束は諦めろ。あいつを撃ち殺せ!」銃声が響く。銃弾が杖の木製部分を抉り、ユニコーンの琴線が剥き出しになる。滝のように流れていた炎が枯れる。
どちらにせよ、私は死ぬのだ。せめて最後くらい貴族らしく、そして帝国の提督らしく死ぬべきだろう。私は総督席、尻の部分だけ凹んだ革張りの椅子に腰掛ける。しばらく待つと、反逆者の男達が部屋に押し入って来た。
焼け焦げた同志の死体の惨状を見たからか。炎の中にたたずむ私が、悪魔に見えたのかは知らない。
だが、彼らの表情は恐怖で歪んでいた。
そうだ。その顔が見たかったのだ。
瞳を恐怖で満たしたその顔が。
彼らが銃を撃つ前に天井の梁が落ちてきて、私と野蛮人を分離する。野蛮人に殺されずに済んだこと、意識が長く続かなかったことは、せめてもの幸運だろう。