新たな門出2
「嫌だと言っているだろ、危険ではないのか!」エゴンは体に取り付いた腕を叩く。
「危険かもしれないです」しかし、逞しく太いそれはびくともしない。
「私はこの国の首相だぞ!そしてお前は私の部下だ!」
「存じております」
「分かっているなら離せ!」
「お断りします」
ジタバタと足を動かすが、それで筋骨隆々な男から逃れられるはずもなく、エゴンはズルズル引きずられていく。
「お前達だけで行けばいいだろ!」
「私達に交渉なんて務まると、本気でお思いで?」今回の行軍の幹部は経験が豊富な者で固めていた。しかし言い換えると脳筋ばかりで、せいぜい事務仕事ができるものが数人いる程度だ。まともな交渉ができるのは、エゴンしかいない。
「ああ、もう分かった。自分で歩く」取り敢えず、彼らの真意がどうであれ交渉が成り立つ相手なのだ。そう自分に言い聞かせ、エゴンは足を進める。
謎の物体の側面に窓や扉がついており、帝国の竜とは似ても似つかない。扉は既に開いており、地味で麗美さの欠片のない制服を纏った男達が並んでいた。
「貴方が、この軍の指揮官か?」その中で唯一、異なる服を着た男が言う。
「ああ…。それに加えてこの国の首相だ」男が少し驚いた顔を見せると、優越感に満たされる。
「なら、話が早い。我々はコングラー人民連邦より、貴方達と交渉を行うために来た」コングラー人社会主義連邦共和国。帝国の将官と会話を交わしたときに名前だけ聞いたことがある。確か列強国だったはずだ。
「具体的には、貴国の連邦への加盟を提案しにきた」
「加盟、ですか?」
「そうだ」エゴンには、彼等の真意が読めた気がした。また植民地時代に戻れ、ということだろう。帝国なら数で押せばなんとかなったが、今回はそうはいかない。あの空に浮いている物体を破る手段など、我々にはない。私の懸念が伝わったのか、男は続ける。
「我々は帝国とは違う。帝国は魔法の使えぬ者を蔑視し、支配し、殺してきた。しかし連邦では、全ての国民が平等なのだ」
「全ての国民ですか?」
「そうだ。我が国も貴方たちがやったように、特権階級に革命を起こし貴族や王を追放した。連邦に特権階級はない。人種や民族による差別もない」エゴンは連邦の情報収集能力に舌を巻く。
そして、男は連邦についての説明を始める。歴史、技術、軍事。それらは胡散臭い英雄譚のようで、とても信じられないようなものだが、空に浮かぶ物体が信憑性を担保していた。中でも、政治体制については何か悪い冗談を聞いているようだった。
全ての企業の国有化、平等な富の分配。大商人のエゴンにとっては狂気としか思えない。しかしどうやら、そう思ってるのはどうやらエゴンだけのようだ。
「素晴らしい!」
「そんなことが、可能なのですか!」
「ええ、我々は実際にそれを行い、成しています」
「おお…」軍幹部、すなわち理想に身を捧げる脳筋達は口々にそれを称賛する。
「いくら私が首長であるにしても、一人で決めるには大きすぎる案件です。返答は日を改めてでよろしいでしょうか」
「構わない。我々はここで待っていよう」
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凱旋パレードで街が賑わう中、エゴン邸の応接間では渋い顔をした役人達が円卓を囲んでいた。その全てはエゴンと親交のある者で、商業に勤しむ傍ら、公務も行っている。
「そんなことは、許容できるわけがありません」
「そうです。全ての商人が破滅します」彼らは口々に叫ぶ。
商人にとって今まで築き上げてきた財産は、ただの金ではない。彼らの人生、もしくは家の歴史そのものだ。富の再分配や、企業の国有化などあってはならない。
「分かっている。だが、私は連邦の力をこの目で見たのだ。到底、叶う相手ではない」商人としては、最も初期から革命に携わっているエゴンの言葉には重みがあった。元より答えは決まっているのだ。生まれたての小国に選択肢などない。
「今ある資産はどうなるのですか」
「基本的に全て没収だ。だが、連邦への協力者は免除される」
「一つ幸運なことは帝国のように総督が政治を行うのではなく、連邦が選挙制であることくらいだ。次回の選挙まで私が首長を務めることになるらしいが、その間に色々と手を回すしかない」
まるで自らが水をやり、丹精込めて育てた果実を獣に奪われる気分だ。だが、その獣はあまりにも強すぎる。なら、せいぜいそいつを利用してやろうじゃないか。
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王宮前中央広場
連邦の空飛ぶ船が鮮やかな橙色の瓦に影を落とす。事前の通告のおかげで、パニックこそ抑えられていたが、市民には動揺が広がっていた。
「くそっ。俺たちが血を流して、勝ち取った独立だというのに」男が木箱を蹴る。箱が引っ繰り返り、トマトの群れが転げ出る。それらは通行人に踏み潰される。
「同盟に加入するみたいなもんで、独立自体はしたままだろ?」
「首都にあんな兵器に持ち込むやつらだ。ろくなことになんねぇよ」
「それではサンドール共和国のコングラー連邦加入を祝して!」広場の中央で演説していた、連邦人が旗を振る。すると空に鎮座していた、巨大な影が動き出す。何が始まるのだろう。胸を掻きたくなるような不安に襲われる。船は向きを変えると、枝のように飛び出た幾本もの棒から煙を出す。爆音が聞こえて来たのはその後だった。
「あいつら、攻撃を始めやがったのか!」
「俺達を騙しやがったな!」
「待てよお前ら、通告書に書いてあっただろ。あれは祝意を表してるだとよ」
「何が祝意だ。こんなもん、脅しじゃねえか!」海の向こうに水柱が上がる。これが街に落ちたら……。喉を冷たい唾が伝う。
かくしてサンドール共和国は、サンドール人民共和国として再出発することとなった。間もなく軍事拠点、諜報拠点も設置され、帝国方面の重要地点となる。