7話 消えない呪い
頭の中心に脈打つような痛みが走る。熱を帯びたその痛みに、じわじわと怒りが湧いてくる。
少し腫れた患部をさすりながら降り立った現世は、またもや森の中だった。木の感じからして、おそらく東北といったところか。
「まーたケンカしたのかい」
出来たてのたんこぶを押さえる私を呆れた顔で出迎えた千代は、辺りをキョロキョロ見回してさっそく亜種探しを始めた。
同時刻に門を通った望月は、どうやら別件の仕事に向かったらしい。
てっきり仕事を持ってきた望月も一緒だと思っていたから私は面をくらった。
「奏、あんたの耳は使えっかい?」
「ああ、うん。一応······」
千代に聞かれ、私は耳を澄ませた。目を閉じて聴覚だけに意識を向ける。
だがどうにも上手く音を拾えない。音が混ざり合ってどれが亜種か、全く判別がつかなかった。
私は躍起になって耳を澄ませた。だんだん耳の奥が痛くなってくる。
「ダメだよ姐さん。奏ちゃんはまだ本調子じゃないんだから」
生馬の手が私の耳をそっと塞いだ。そしてムッとした表情で千代を見つめた。千代は生馬に文句を言ったが「ダメなものはダメ!」と返され、諦めて式神を召喚する。不満そうに蝶々を追って先に進んでいった。
「生馬······無事なのか?」
私は生馬の手を離して顔を見た。生馬はいつもの明るい笑顔で頷いた。一緒に襲われたとは思えないほどの血色の良さ。生きていたならどれほど健康に見えただろうか。
「僕はすぐ妖術が解けたからね。奏ちゃんもきっとすぐ出来るよ」
『受け入れろ』
精霊の言葉が脳裏をよぎった。私にそんなことが出来るわけがない。妖術を解くどころか、進行さえ抑えられないというのに。
「············そうだね」
私はそれしか返せなかった。
光の蝶が案内する樹海を三人揃ってただ黙々と歩く。私は生馬の背中を追いながら、考え事をしていた。
──もし受け入れるのなら、私は役立たずの自分を認めるということだ。思い通りにならなかった自分を肯定する必要がある。
それが私に出来るだろうか。自分自身がそこにいるだけで、腹が立つというのに······──
『なら消えてしまえよ』
いつの間にか、私の後ろに『私』が立っていた。
彼女は恨めしげに私を睨んでは、絶えず『消えろ』と吐き続ける。
──いちいちうるさいな、私だってお前に消えて欲しいんだよ。
『いつだって『私』が悪いんだろ? 何をやったって『私』がダメなんだろ? なら消えてしまえよ。自分ごと私は消えるんだから』
「お前だけが消えればいいんだよ。そもそもの原因がお前にあるんだから······」
「奏ちゃん!!」
生馬の声で我に返った。
すぐ近くまで迫った雑音と、私の視界に広がる大きな口。横から攻めてくる二匹の蛇と、それら全てを頭部に収めた女。──二口女だ。表についた顔がにやりと笑った。
──しまった。考え事にふけって反応が遅れた。札を出す時間もない。
私はどうすることも出来なかった。目の前に迫る口に、ギュッと目をつぶった。
喰われる······!!
「千の蝶 万の花 我がために働け
風を起こせ厄災を祓え 悪しきを滅ぼす剣となれ」
突然、千代の呪詛が響き渡った。何万にもなる蝶がひらりひらりと飛んでくると、光を放って風を起こす。一緒に吹き飛んだ私の体を木が優しく受け止めた。
目の前では、ヨダレを垂らして口をパクパクさせる二口女が倒れていた。二口女は狙いを私から千代に変え、二匹の蛇を走らせた。
私はまだ混乱していた。札を出そうにも、出す前に千代が噛まれてしまう。でも札を出さねば戦えない。
どうしたらいいか。必死に考えた。必死に考えたが──
「どっせりゃぁぁぁぁぁ!!」
咄嗟に飛び出した私は二口女の頭を蹴り飛ばし、奴を千代から遠ざけた。よろめく二口女の後ろの口に札を貼り付け、念を込める。
「爆!」
短い呪詛と同時に爆発を起こして、二口女はその場に倒れた。耳を澄ませて森の音を拾う。体制を立て直せる場所がどこかにあると、そう思っていた。
『やっぱり馬鹿だ』
憎い『私』のその一言が生馬の悲鳴に気づかせた。
横を向くと、ちょうど生馬が吹き飛ばされた瞬間だった。対峙しているのは赤い巨鳥──あの以津真天だ。
「餌の熟成具合を見に来たんだよ。あ〜、いい感じになってきたね」
「人を餌呼ばわりかよ」
以津真天の青年は、ニコニコと笑って私に近づいてくる。鳥は生馬の腹に乗って、嘴をカチカチと鳴らした。
千代が私の服を引いて下がらせた。怖い顔で睨んでいるが、千代は青年と以津真天の、どちらに注意すべきか迷っていた。
「消えてしまえよ」
青年は『私』と同じことを言う。青年は私に乾いた笑みを浮かべ、冷たい声で言う。
「未熟な過去は今のお前だよ。どう足掻いたって、『要らない自分がいる』事実は変わらない」
手足が重くなった。力が入らなくて、鉛の枷がハマったような錯覚。最初からいなかった方が······なんて、何度も思っていた。
『消えてしまえよ。お前なんか要らないんだから』
────でも、私は必要なんだよ。今を作った『私』が。私を取り戻すきっかけになった『私』が······。
額が痛かった。硬いものにぶつけて、血が出そうなくらいに。目の前で青年が倒れた。私を睨みつけて草の上に横たわる。千代が驚いたまま、ポロンと煙管を落とした。
私は頭突きの痛みに、我を取り戻した。
「うるっせぇな! お前ごときが偉そうに!」
聴こえなかった音が、私の耳に溢れてきた。
「空に感謝を 大地に恵みを
命の芽吹かす土の祝詞
慈愛の腕で還らせ給え」
草が動き出し、青年の体を大地に結えつけた。土は草の上を登り、体を飲み込んでいく。
まだ妖術に苦しんで数日だ。だが懐かしいとさえ思える。土の唄が足から染み込んでくる。風の唄が手のひらを握る。私に寄り添う音は、愛おしいほど優しい。
私は妖術を解いた。
それだけでも心が満たされる。それに愛しいものが私に力をくれるのだ。この上ない、喜びだろう。
「命を愛せよ 命を癒せよ
誰にも知られぬ恵みの雨を
誰にも分からぬ感謝の風を
全てに支えられた慈愛の果実
そして我も支える巡りの橋を」
私が大地の唄を紡ぐ度、青年が土の中へと消えていく。もがき苦しんで、悔しそうに腕を伸ばして沈む体はあと少しで見えなくなる。そう、あと少し───
『 イ ツ マ デ モ 』
氷のような冷たさが、私の心臓を射抜いた。一瞬動きを止めた私の体を赤い鳥が蹴り飛ばした。地面を転がる私の胸を、鋭い嘴が貫いた。
声も出ない痛みに全身が裂かれそうになる。私が何とかもがいても、鳥の嘴が抜ける気配はない。
青年は土から這い出ると、勝ち誇ったように微笑んだ。私の傍にあのローファーが見えた。
嘘だ。なんて思ったところで本当のことだ。事実は変わらない。
私が認め、受け入れたはずの『私』はいつまでも私に毒を吐き続ける。
『いなくなっちまえ』




