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祓い屋の幽霊  作者: 家宇治克
いつまでも続く唄
20/28

5話 過去と今の恨み合い

 破り捨てた三桁満点のテスト。

 埃をかぶった何かの賞状。

 背中しか見たことのない家族。



 これが『私』の世界。『私』を作り上げた世界の全てだ。



『私』が努力する傍らで家族は楽しそうに笑っている。『私』が出した成果に見向きもせずに、兄と妹の頭を愛おしそうに撫でている。




 ──羨ましかった。




『私』が得られない言葉を兄妹は容易く得られ、兄妹に向けられるのことない言葉の剣は、いつだって『私』一人に向けられる。それを『私』は一身に受けるのだ。


 彼らが楽しそうに外出する間、『私』は努力の足りなさを自覚して、更に勉強に励む。



『私』の涙に、誰も気づかない。



 * * *


「うっっわ!!?」


 全身を巡る悪寒と体に張り付く汗の気持ち悪さ、それに加えてあまりの恐怖に飛び起きた。私がいたのは自分の部屋の布団の中だった。窓から月が覗いて室内を淡く照らしている。

 荒い呼吸を整えて状況を確認した。


「──夢、ゆめ。ユメ? ······夢なのか」


 激しい動悸と震える手。落ち着かせるように胸を叩くと部屋の戸が開いた。



「起きたか」



 桶を脇に抱えた望月が静かに入ってきた。

 望月はぬるま湯に手ぬぐいをつけて絞る。濡れた手ぬぐいを私に渡して、押し入れから着替えを探す。


「体を拭け。その、まぁ何だ。具合はどうだ?」

「これが良く見えるなら目の医者を紹介するよ。絶対腐ってるだろ。私知ってる」

「軽口を叩く元気はあるな。井戸に突き落とすぞ」


 着替えを布団の横に置くと、望月は正座した。かなり真剣な面持ちで私と向かい合った。だから私も自然と背筋が正される。


「自分の体を見て違和感は?」

「は? 違和感?」


 望月に言われて体を見た。



 ──ある。あった。とても大きな違和感が。



 うっすらと透けた体に語彙力が消失した。窓に手をかざしてみると、手の向こう側から月が見える。

「マジか」の一言しか出なかった。望月が深いため息をついて腕を組んだ。


「千代いわく、妖術の類だと。恨みを媒介に、狂わせて魂を喰らうと言っていた。生馬も少し透けていた」

「恨みを媒介にねぇ······。遠隔で霊力が喰われるのはちょっとな。とりあえず霊域にいて、飯食っとけば霊体は何とかなる。ちょうどいいや。腹減ってたんだ。あの野郎、焼き鳥にしてやる」

「そうもいかん。恨みが強ければ強いほど、妖術の効果は絶大だ。現に、お前の方が生馬以上に酷い」


 望月にぴしゃりと言われて反論の術を失った。自覚があったからだ。それは望月も知っている。

 望月は「大人しくしていろ」と言って私に背中を向けた。それはとても大きな背中で、迷いのない堂々としたものだった。

 そして、その背中は、夢に出たかつての家族と重なって見えて······──






『 イ ツ マ デ モ 』






 私は耳を塞いだ。私の中に、消えかけていた恐怖が戻ってくる。心臓の音がうるさかった。体の芯から冷えるような寒気と、全身に垂れる汗が、私の吐き気を引き起こす。



(やめろ。やめてくれ。来ないでくれ。頼むよ。───お願いだから)



 そう願ったところで、『私』は無情にも現れる。

 地元の高校の制服、下ろしたストレートの黒髪、血塗れた胸と虚ろな表情。くすんだ山吹色の瞳は、この世の全てを睨めつける。


 全てすべてが、かつての『私』と同じだった。だからこそ、余計に怒りが掻き立てられ、憎らしい気持ちが抑えられなくなる。


『消えちまえばいいのに。居なくなってしまえばいいのに。家族に愛されない『私』なんて要らないんだろ? 家族にさえ愛されなかった『私』が、ここでは愛されるなんて妄想抱いてんじゃねぇよ』




「························うるっせぇな」




 反射的に出る言葉。望月が異変を感じて私に向き直す。私よりも辛そうな眼差しで見つめていた。しかし、今の私に、望月なんて眼中に無い。



『さっさと消えろよクズ。お前みたいな奴なんざ、いない方が世間様のためだろ』


「たかが過去のくせして偉そうに。努力しても無駄だったお前が何言ってんだよ。誰にも愛されなかったのはお前の責任だろ」


『未来は違うなんて思ってんじゃねーぞ』


「自分を守ってんじゃねーよ」




『お前なんて最初からいなければ良かったんだ!』

「お前なんて最初からいなければ良かったんだ!」




 ────憎い。憎い。恨めしい。


 過去の自分が、愛されない自分が、この身を焦がすほど······。どうしてお前は、『私』は、存在そのものを消さなかったのか。どうして死んだ後も、こうやって『私』がいるのだろうか。


「奏!」


 目の前が暗くなった。目元が温かい。望月の手が私の目を隠していた。望月の震える声が耳元に降ってくる。


「きっと、きっとお前には、過去の自分が見えているんだろう。お前の恨めしい相手は、過去の自分なんだろう」


 ──そうだよ。


「いくら恨んでも、いくら憎くても、『居なければ』なぞと言ってくれるな」


 ──それは無理だ。


 私は生まれたことも死んだことも、自分の存在自体にすら後悔してるんだ。どうして誰の望みも叶えられず、邪魔にしかなれず、迷惑ばかりを振りまく私がこの世にいるのか、と。


「少し眠れ」


 望月の優しい声がそう言った。普段聞かない声に、私は意識が逸れた。

 望月が何かを小さく呟くと、私は深い深い意識の底へと誘われた。とろんと甘く、心地の良い重みに私は体を預ける。そして再び訪れた夢の中で私はまた、胸を締めつけられた。


 繰り返される悪夢の中で、何度も何度も繰り返される叱責の中で、私はぽつりと零した。





 ──私は、どうして生まれてしまったの?





 そう問いかけてみたが、誰も何も教えてくれなかった。

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