お嬢様と冒険者への憧れ
「ルナ様!ルナ様ー!!……いったい何処に行ってしまわれたんだ…!くそっ!!ルナ様ー!!」
暗い森の中、我が主の子であるルナ様の名前を叫びながらひた走っていた。あの方は好奇心旺盛で屋敷の中でも幾度となく行方不明になった。その事もあり今日、「森へ散歩に行きましょう」と言われたときはいつもより数段警戒していたつもりなのだが……
ルナ様の行動力はそんなものではどうにも出来なかったようだ。
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「はぁ…!はぁ…!…だっ、誰かっ!!」
私は、そう叫びながら走った。後ろを振り返ると、凶悪な顔をした小鬼、"ゴブリン"が此方を追いかけてくる。いつも従者のジュエルが居たから散歩気分で初めて森へ来てみたが、まさかジュエルが私を見失うなんて思ってもいなかった。そのうえゴブリンに遭遇するなんて、想定外も想定外だ。
走る速さでゴブリンに勝てるはずがなかった、ゴブリンが特別速いわけではないが、私は商人の娘である。逃げる知識も方法も全く知らないのだ。
「づあっ!!?」
ついに、ゴブリンに追い付かれた。襟を乱暴に掴まれ、そのまま強く押し倒された。ゴブリンの目は、純粋な殺意を色濃く表している。…あぁ、前に読んだ本と一緒だ、魔物は人間を一目見れば、殺意だけで行動する。だが、これほどまで執念深いとは。
まぁ、この知識を生かすことはもう無いかしら。…人間って、死ぬ間際は案外冷静なのね。
「ーッ!間に合えぇっ!!」
ふと、誰かの声が聞こえた。刹那、炎で作られた矢が私の目の前に居たゴブリンを吹き飛ばし、焼き尽くした。呆然としていると、数秒も経たない内に一人の男性が姿を現した。
「…完全に間に合ったわけじゃなさそうだが、良かった、無事だな…!」
現れたのは、革鎧を着こんだ赤髪の男性だった。
「貴方は…冒険者ですか?」
私は、身を起こしながら、この世界で最も盛んに活動しているであろう職業の名を口にした。
冒険者。それは、各地に現れた魔物と戦い、その素材を売却したり、人々の依頼を受けその報酬で生計を立てている人物の総称である。
赤髪の男性は、こくりと頷いた。
「あぁ、その通りだ。俺の名はルフリート、冒険者だ。位で言うと鋼鉄、まぁ下から二番目だな」
「ルフリートさん、助けてくれたこと、感謝します。私の名はルナと言います」
ルフリートは私の名にピクと反応した。
「ルナ…?聞いた名だな……あ、そういやクロウズ商会の指導者の娘がそんな名前だったような……はっ、まぁ流石に…、…待てよ?」
ルフリートが、私の服装をまじまじと見る。私が今着ているのは散歩用の私服だが、それでも私の身分を判断するのは十分だったようだ。
「…なぁ、もしかしてあんた、"その"ルナか?」
私は、ゆっくりと頷く。
「マジかよッ!?クロウズ商会の指導者って言えば大商人の中の大商人、”商いの神”とも呼ばれる大富豪だぞ!?その娘がなんで…あんた、どうしてこんなところにいるんだ?」
「散歩です」
「は?」
「だから、散歩に来ていたのです。私の従者はとても強いですからね。…ただ、もう散歩ではなくなってしまったけれど」
「散歩…?にしたってなんで魔物のうようよいるこの森に……ッ!!」
ーガサガサッ!!ー
「チッ!言ってるそばから来やがったか!」
ルフリートが、突如揺れた茂みを見据え、身構えた。飛び出してきたのは先ほどと同じ、ゴブリンだ。
「さっきの騒ぎを嗅ぎ付けてきたな?…1、2……5匹か、ちょいと分が悪いな。ルナ、走れるか?」
「っ、ええ」
「よし、なら逃げるぞ!吹っ飛べェ!!」
ルフリートがそう叫んだ後右手から炎の矢を射出した。それを受けゴブリンたちが怯んでいる隙に、私たちは一目散に逃げだした。
ーーーーー
「…フゥ、何とか逃げ切ったか?」
ルフリートが後ろを振り返りながら呟いた。
「…大丈夫そうだな。畜生…、結構な数が居やがるじゃねえか。あんた、なんだってこんなところに散歩しに来たんだ?」
「父様の教えですよ、"好奇心に抗うな、知ることに貪欲であれ"…と」
「なるほどねぇ…、んじゃあ、これから野営の仕方を教えてやるよ。実を言うと迷った」
「…え?迷ったって…」
「いや、まぁ"迷ってた"が正しいな。俺もこの森の中で彷徨ってた身でな…まぁその最中にあんたの悲鳴が聞こえたってわけさ」
「…なんというか…これからが不安になりますね」
「心配すんなよお嬢様。ここにいるのは冒険者だぜ?そんじゃあまずは火を起こすか。あんたは…そうだな、手ごろな木の枝を集めてきてくれ。お嬢様だからってわがまま言うんじゃねえぞ?」
「木の枝…ですか、…あぁ、薪の代わりにするのですね。…これもまた知識、それでは行ってきますね」
「お、おう、…たくましいな。あ、魔物が出たら大声出せよー!」
//////////
もう辺りは薄暗く、夜が来ようとしていた。私たちは焚火を挟み、ルフリートが持っていた携帯食を口にしていた。
「…不味いですね」
「絶対言うと思ってたぞそれ。…まぁ不味い干し肉にゃ違いねえけど食わなきゃ力出ねえぞ」
「そういうものですか…」
「そういうもんだな」
「…そうですか、……父様に携帯食の開発でも提案してみようかしら」
「あ、それ絶対売れるな。携帯食を不味いと思ってる冒険者なんてごまんと居るからなぁ…。じゃ、食い終わったら寝るぞ。簡易的な寝袋しかねぇが我慢しろよ。あぁそれと、二時間おきに見張り交代な」
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「…で、なんで一緒に見張りするんだよ。見張りの意味ねえだろうが」
「いえ、冒険者の見張りの仕方が気になったもので見学させていただこうかと、最初の二時間だけで結構ですので」
「…あんたほんと好奇心の塊というかなんと言うか…、まぁ好きにしろよ」
それからしばらく、二人で火を絶やさぬようにしながら暗闇に目を凝らしていた。…が、正直暇だった。だって、ずっと同じことしかしないんだもの。
「…あの、見張りにコツ等は無いのですか?あまりにも退屈で」
「退屈ってあんたなぁ…、自分の命がかかってるんだが…。まぁいい、そうだな…コツっていうもんは特にねえが、そんなに退屈なら俺の方法を教えてやる、鍛錬だ」
「鍛錬…?」
「そう、鍛錬だ。腕立て伏せ、上体起こし、まぁその他色々だな。いいか、鍛錬は絶対に裏切らねえ、絶対にだ。必ずどっかで役に立つだろうよ」
「鍛錬…なるほど、ルフリートさんは私の知らないことばかり教えてくれるのですね。是非ご教示ください」
「…お、おう。……なんかすげえなその適応力」
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ルフリートの指示通り、鍛錬というものを行ってみた。屋敷の中でずっと暮らしてきた私にとってはとても厳しかったが、終わった後は中々気分がよかった。退屈しのぎにもなったし一石二鳥というところね。
朝が来て、ルフリートに起こされた。野営の片付けを済ませ、いざ、森からの脱出を試みる。
「あぁそうだ。ルナ、これ持っとけ」
そう言われ、一本のこん棒を受け取った
「これは…?」
「実は昨日の夜、ゴブリンが何体か襲ってきたんだよ。あんたはぐっすり寝てたみたいだけどな。そのこん棒は戦利品だ、"自分の身は自分で守れ"ってのが冒険者の鉄則でな、俺も守りながらの戦いなんて荷が重いからな、前線に出ろとは言わねえが、自分の方へ来たゴブリンを追っ払えるくらいにはなっとけ」
「自分の身は自分で…いつも守ってもらっている自分には考えられない言葉ですね。ありがとうございます、ルフリートさん」
「ははっ、大したことはしてねえよ。あぁそれと、俺の事は普通に"ルフリート"って呼んでくれねえか?さんなんてつけられたらむず痒くってしょうがねえ」
「そうですか…わかったわ、ルフリート」
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「ッ、止まれ!」
森の中を歩いていると、突然ルフリートに制止された。
「っ、どうしたの?魔物かしら」
ルフリートは、そう言われると静かに木々の向こうを指さした。
「ああ、アングリーボアだ」
指さした先を見ると、そこでは体躯1m程の猪が木の根元をあさっていた。
「…どうするの、避けて通るのかしら?」
私がそう問うと、ルフリートはにやりと笑う。
「それはな…こうするんだよっ!」
ルフリートは、そう叫ぶとアングリーボアの前へと飛び出した。
「吹っ飛べッ!!」
ルフリートの手から炎の矢が発射される。完全に不意打ちだったため、アングリーボアは抵抗もできずそのまま息絶えた。ルフリートは、小さくガッツポーズをとるとこちらを向いて満足そうな表情を浮かべた。
「ルナ!冒険中のご馳走を教えてやるよ!」
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「…や、野生の肉を食べるの?」
「その野生がいいんだろうが。安心しろ、火を通しゃ腹は壊さねえよ」
言いながら、ルフリートがアングリーボアの死体を焚火で炙り始めた。
「いえ、だけど…少々野蛮じゃないかしら?」
「この状況でそんなこと言えんのかよ。まぁ騙されたと思って食ってみろって、ちったぁ獣臭えが美味いぞ?」
「うぅ…、こ、これも経験よね…い、いただくわ」
そう言うと、ルフリートが肉のついた骨を差し出してくれた。
「…えーと、これは…」
「そのままいくんだよ、がぶっとな」
「そ、そのまま……、こう、かしら…はぐっ」
どうにでもなれ、と思い切りかぶりついた。…確かに、野営の時に食べた干し肉よりも数段美味しかった。獣臭さは大分残っているようだが、歯ごたえもあり、満足感は十分に得ることが出来る。
「どうだ、美味いか?」
「え、ええ…正直、食べていてもっと気持ち悪くなるものだと思っていたけど、そうでもないのね。昨日の干し肉よりもずっと美味しいわ。…はぐっ」
「お、食うねぇ。体力付けとかねえと体も動かねえから食っとけよ。食える魔物なんていつでも巡り合えるわけじゃねえしな、…あんぐっ…んーっ!やっぱ美味えなぁ…!」
ーガサッ ガササッ!!ー
「…っ!!……あー、ルナ、この肉美味いんだが実は欠点があってな…」
「…理解したわ、匂いに釣られてやってくるのね?」
「…そういうこった。あいつらー」
ーガサガサッ!!ー
茂みから、凶悪な小鬼達が飛び出してきた。
「ゴブリンが!!」
「ゴブリンがな!!」
「ルナ!!もっかい言う!自分の身はー」
「自分で守れ!でしょう?」
「…ははっ!無理すんじゃねえぞお嬢様ぁ!」
「飛んでけェッ!!」
「飛びなさいッ!!」
ルフリートの手から、そして、私の手から、二本の炎の矢が打ち放たれた。見事それぞれ一体ずつに命中し、そのゴブリンはそのまま息絶えた。
「なっ!?ルナ、お前…!!」
「ふふっ、見よう見まねでも上手くいくものなのね、魔法って」
「こいつぁ…ははっ!!すげえじゃねえか!初めてにしちゃあ上出来だ!んじゃあ残りもやっちまうぞ!」
「ええ!」
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「…フゥ、終わったか…!」
「…っ、疲れた…まさか……仲間を呼ぶだなんて……」
「ああ、第三波くらいあったな…ルナ、お嬢様のわりによく耐えたな。すげえよ」
「…ふふ、昨日の鍛錬が役に立ったのかしらね?…フゥ、動いたらお腹が空いたわ」
「おう、気が合うな、俺もだ。何とか肉も守りきったし、丁度良いや、ここで野営しちまうか?」
「賛成ね。じゃあ、もっと枝を集めてくるわ」
「ああ、頼んだ。……ほんと適応力高えなあのお嬢様…」
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「…で、今日も二人で見張りかよ」
「ええ、だって興奮で眠れないんだもの、屋敷の外がこんなに楽しいなんて思わなかったわ!だって、従者のジュエルは野営なんてさせてくれないし、魔物が出たら一人でみーんな片付けちゃうんだもの、そんなの全然楽しくない!あーあ、私もただの平民に生まれたかったわ…」
「…ははっ、……まぁ…、なんだ、…そいつはちと買い被りだぜお嬢様、冒険者なんていつ死ぬか分かったもんじゃねえ、金だって、いつまであるかわからねえ。ずっと必死で、心休まらねえぜ?…ルナの方がずっと幸せだろ」
「私の方が幸せなの?ならルフリートも商人になればよかったじゃない。平民が商人になれない決まりなんてないでしょう?」
「…それじゃ…それじゃ駄目なんだよ!!」
「…っ!……ルフリート?」
「…あ、あぁすまん。…つい。…忘れてくれ」
「……いいえ、聞かせてちょうだい。私、冒険者の事、ルフリートの事をもっと、もっと知りたいもの」
「……そうかよ。ったく、つくづく不思議なお嬢様だな。……えーと…どこから話すか…、そうだな…俺が冒険者になった理由は、家族の…仇をとるためだ。……魔物に殺されたんだよ、俺の家族は」
「…え…あっ…ご、ごめんなさい!思い出させるつもりじゃー」
「いいよもう、自分から訊いたんだろうが。なら、最後まで聞いてろ。俺は、魔物が憎くて、憎くて、憎くて……しょうがなかった。大半の冒険者はそうだ、親を、兄弟を、恋人を、友を…全て、何もかも魔物に奪われた。俺達にはその瞬間から、魔物を殺すか、魔物に殺されるかのどっちかしかねえよ。……ルナ、冒険者に憧れなんて持つんじゃねえ、お前は、こんなドロドロしたもんになっちゃいけねえ、お前はずっと大商人の娘でいるんだ」
「……嫌」
「あのなぁ…」
「私は!…冒険者がただの復讐鬼だとは思わないわ。魔物から、人々を守っている!もう二度と犠牲者を出さないように自分の命を懸けている!商人よりも余程名誉なことよ、英雄だわ。……ルフリートは、私を助けてくれた。あれは、…あのゴブリンを倒したかったの?」
「…!……違う、俺はお前を助けようと…!」
「そうでしょう?……ねぇルフリート、私ね、決めたことがあるの。……私、冒険者になる」
「なっ……本気か?」
「本気よ。…実を言うとルフリートに会う前から憧れてたの。でも、ジュエルが「冒険者は野蛮人だ」とか言って絶対に許してくれなかった…。……でも私分かったの、ルフリートに会って、冒険者は野蛮人なんかじゃないって。心優しい、同じ人間なんだって」
「は……ははっ!…そいつぁ、光栄だな」
「見てなさい。今に冒険者として、人々を守って見せるわ!」
私達は、笑いあった。お嬢様と冒険者ではなく、二人の冒険者として。
「ルナ様!!……良かった…!ここにいらしたんですね…!」
と、暗闇から聞き覚えのある声が聞こえた。私のよく知る、従者の声。
「…ジュエル……!」
「ええ、ジュエルです。お怪我はありませんか?…さぁ、主様が心配しております、早く帰りましょう。……おや、貴方は…冒険者、ですか?」
「あ、ああ。ルフリートという。あんたが、ルナの言ってた従者か?…っ!?」
瞬間。ジュエルが、ルフリートに短剣を突き付けた。
「ルナ様の名を軽々しく口にするな」
「ッやめなさいジュエルッ!!ルフリートは私の命の恩人よ!」
「っ、しかしルナ様…!」
「やめなさい、短剣を下ろして。下がりなさい」
「……承知致しました」
ジュエルは、その言葉とともに、短剣を下ろし、一歩下がった。
「ルフリート、残念だけどここでお別れみたい。貴方と過ごした一日、とても楽しかったわ」
「あぁ、俺もだ…」
すると、ルフリートがジュエルをちらと見た後、私の耳に顔を近づけ、囁いた。
「ルナも、冒険者稼業頑張れよ」
「…ふふ、ありがとう。お互い頑張りましょう」
「おい貴様、ルナ様に何を吹き込んだ」
「何でもないわ、ジュエル。それより、ルフリートも道に迷っているの。方位磁石と地図を渡してあげて」
「なっ、何を仰るのです!?両方とも貴重な品物ですよ…!こんな野蛮人にー」
「いいから、渡しなさい」
「……くっ、……承知致しました」
「では、ルフリート。これで……」
「ああ、お別れだな。元気で」
背を向けて、歩き出した。決意を胸に秘めて。
ふと、振り返る。もう、誰も居ない。
「ルナ様?早く参りましょう、主様が待っておられます」
「ええ、今行くわ」
きっと、もう一度会えるだろう。
その時は、私も冒険者として。
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「ぐあぁっ!!……っ、畜生…馬鹿力……かよ…!っ、やべえ、次が…!」
「間に合ええぇっ!!」
「なっ!?」
「完璧とはいかなかったけど、間に合ったな!!助太刀するぜ冒険者さん!…今度は、オレが助ける番だ」
「…お、お前まさかっ!…ははっ!!はははははっ!!なんだその口調!!」
「う、うるせえな!お前を参考にしたんだよっ!」
「はっ、そいつぁ光栄だな!!」
「これ以上の話は後!んじゃあ行くぞ、ルフリート!」