不思議な少年
過去。
クライアントの皇子であり、軍師であった「サノイ」は、ラバースの兵士だった「ラナン」と戦った経験があった。
クライアントは、ラナンの剣によって滅びたのだった。
滅ぼした張本人であるラナンと、現在旅をするサノイ。
苦難は多く……。
リオが言うには、ラナはラバースSクラスに在籍してもおかしくないほどの実力を持っているらしい。SとDクラスとでは、報酬も待遇も雲泥の差だと聞くが、ラナは決して昇進を望まなかった。あえてDクラスに甘んじていたのだ。勲章ものである功績をあげながらも、最下位クラスに甘んじ続けた。
だが、彼が利口なのかどうかといえば、正直返答しかねる。ラバースDクラスで隊長を務めていたときも、実際のところは副長であるリオが戦場でも指揮を執ることが多かったと聞く。
※
地図はない。
この小さき隊長ラナの抜けた言葉を聞き、いっきに脱力した私は、ふいに足元がふらつくのを覚えた。 アースに加わってからというもの、ほとんどろくなものを食べていないせいもあるかもしれないが、やはりこのように謎な男、どこか頼りない男についてきてよかったのかと、少しばかり考えさせられるのだ。少なくとも、ラナのような男はクライアントの兵の中には居なかった。それを私が許さなかったからだ。一般兵であろうとも、国のために戦う戦士のひとりだ。甘えや弱音は決して許さなかった。
「サノ、大丈夫ですか?」
リオが走るペースを落として、私の横を並走しはじめた。この男は気も利くし、頭もよく働く。ラバース在籍中、五本の指に入るほどの優秀な兵士だといわれていたことは、嘘ではないと頷ける。彼とは一度も手合わせをしたことはないが、普段の身のこなしからも、かなりの使い手だという事はよくわかる。
「あぁ……すまない」
それに対してラナはというと……。身のこなしはさすがに問題ない。ラナとは一度、実際に真剣でやりあったことがあるが、私は負けた。私が今、こうしてラナたちと共に行動している理由のひとつがそこにある。
今から、三年も前になるのか……。私は、クライアントを敵国フロートから守るために、戦場を駆け巡っていた。毎日のように争いをした。しかし、どの戦も私たちクライアント軍の大勝に終わっていた。クライアントだけは、フロートの手に落ちることはしばしなかったのだ。そして、そのような日が来ることは決してないと、私は信じて疑わなかった。
しかし、これまでラバース軍の指揮をとっていたものが突如として代えられた。その指揮官では、我らクライアント軍には歯が立たないと考えたのだろう。戦い方が突然変わったために、私はすぐにそのことに気づいた。
そして気づいたその日に、私たちは敗北を喫することになったのだ。その、新たに指揮官となり、ラバースの最下位クラスを使って戦場に姿を現したのが、当時、どこからどうみても未だ少年であったラナだった。いや、指揮を実際にとっていたのはやはりリオだったのだが、とにかく私は、このふたりに負けたのだ。そして、命を助けられた……。
私は単なるクライアントの一介の兵士ではなかった。身分はクライアントの第三皇子だったのだ。本来ならば、即日死刑といったところであろう。私は、他の国の皇子たちとは違い、軍師も兼ねていたのだから尚更だ。しかし、私は必至であるはずの死刑を免れた。それは、ラナの働きかけのおかげであった。
彼がラバースの主君、クランツェに直訴してくれたのだ。
どうしてそのようなことをしたのかは未だに分からない。単なる気まぐれだったのかもしれない。けれども、そのおかげで私が今を生きていることに違いはない。その時に私は、ラナがこの後私の力を求めた時には、ラナに全てを奉げ協力しようと心に誓ったのだ。そして、今に至るのだが・……。
(まさか、ラナがこれほどまでに子どもだったとはな……)
ラナン・ヴァイエル。
年は、私よりも四つ下。色素の薄い茶系の髪に、本来人間が持つべき色ではない緑の瞳の容貌だ。色白で華奢な体つき。一見女にも見える、現在十八歳。まだ未成年なのだが、もう大人扱いされてもよい年頃だ。それなのに、彼ときたら……。それでも、剣の腕は立つというのだから……全く、ひとは見かけによらないものである。
「ふたりとも、遅いぞ? 早く来いってば」
速度を落として並走している私とリオを先導するかのように、ラナは前方を走り続けていた。ラナは一向にペースを落とす気配がなかったため、私たちとの距離が次第に広がりはじめていたことを気にしていた。
「ラナ、後ろ!」
そのとき、突然リオが声をあげた。私たち以外の人の気配をすぐに察知したのだ。
「えっ……?」
私たちに気をとられていたラナの背後には、身長が二mほどはあるのではないかと思われる巨漢が仁王立ちしていた。それだけならまだしも、男の手には、がっしりと剣が握られていた。
(斬られる!)
私が男に気づいたときには、すでに男はラナに向かって剣を振り下ろしはじめていたときであった。今から速度を上げて走っても間に合うまい。そこで私は魔術によってラナを守ろうとした。
そう、私は魔術士だ。黒き髪に黒き瞳を持つ魔術士。魔術を唱えようと口を開いたが、明らかに男が剣を振り下ろす方が早い。魔術は声を媒介にして発動する。ゆえに、言葉を発しなければ魔術の効果は具現化されないのだ。
「ありゃ……」
切羽詰った私たちをよそに、ラナは間の抜けた声をだすと、軽くそれを避けた。まったく無駄のない動きでそれを避けると、すぐさまラナも剣を抜いた。そして、男が再び振りかぶった瞬間。ラナは男の後ろに素早く回りこむと、いとも簡単に巨漢を斬り倒してしまった。いや、巨漢からは一滴の血も流れ出ていないところを見ると、剣を抜いたのではなく、剣を鞘に入れた状態のまま、それで殴ったのかもしれない。
「やっぱ、警備兵がいるかぁ……。しかも、けっこう手ごわそうな奴だよなぁ」
手ごわそうだとか自分で言う相手を一発で伸してしまい、ラナはけろっとした顔をして男の前に立っていた。もはや「手ごわそうであった」と過去形にするべきだろう。
そしてラナは呆気に取られている私たちに気づくと、手をひらひらと振ってみせた。いや、私たちを手まねいているようにも見える。
「何してんだよ。早く行こうってば」
ラナという男は、本当によくわからない男だった……。
私がこれまでに出会った中で、もっとも不可解な男であった。