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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第二章
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  波乱の幕開け7

 『きみがフェイラーだって知っていたら、特許の話はしなかった』


 ヘンリーは自室のベッドの上に足を伸ばして座り、唇を噛んでもう一度飛鳥の言葉を思い返していた。膝の上に置いたノートパソコンで、記憶に引っかかる言葉を次々と検索していく。

 飛鳥はこのところ図書室で勉強している。消灯前の点呼までこの部屋には戻ってこない。それでも、彼に見られては困る書類をこの場で開くのは気持ち的に(はばか)られた。

 


『ベンジャミン・フェイラー大量保有株式一覧』

『マーレイ銀行大量保有株式一覧』


 杜月飛鳥、保有特許。『三次元空中映像表示装置』『レーザー媒質用石英ガラス、およびその製造方法』『光導波型ガラスレーザー増幅器、およびその製造方法』


 三つの特許のうち、一つしか飛鳥は言わなかった。蛍の映像を見せ、これが彼の持つ特許だと言った。


『きみだって、特許の内容を知らずに言っているじゃないか!』


 あの時、カマを掛けられて、誘導されたのだとしたら……? 

 僕はあの時、何て言った?


 特許の使用権の許可を思いつきで口にして、飛鳥はすぐにOKした。

 その後、確か、そんな大事なことに即答するな、と詰ったはずだ。

 その特許の内容は空中映像のことだと、思い込まされたとしたら……。現に、それ以外の特許については調べようともしなかったのだ。


 本当に守りたいのは、これではなかったのだとしたら……?


 いやそれ以前に、一番初めに特許の話を聞いたのは、エドワードからだった。


 なぜ、彼がこのことを知っていたんだ? 特許なんかに興味を持つ奴じゃないのに……。



 ヘンリーは、残り二つの特許内容に目を通した。だが、医療用レーザーに使用する特殊ガラス製法は、特にガン・エデン社や、祖父、マーレイに繋がるものとは思えない。それに、エドワード……。


 レーザーガラス、ガラス、レーザー……。

 そうか! 解った!


『杜月』、フェイラー、ガン・エデン社、マーレイ銀行が一つの線で繋がった。それに、エドも。


 ヘンリーは、悲痛な面持ちで眉を寄せて、瞼を閉じた。湧き上がってくる怒りをなんとか押しとどめようと、奥歯をぎゅっと噛み締めていた。


 こんなことが許されていいはずがない。


 飛鳥、僕を信じろ。

 僕を頼ってくれ。


 祈るような想いで呟いていた。





 Aレベルの試験期間中は、何事もなく平和に過ぎて行った。

 二月も半ばに近づき、もうじきハーフタームに入る。冬期Aレベル試験を終え、校内の緊張も緩やかに溶けてきていた。



「杜月先輩、試験はいかがでしたか?」

 授業を終え、艶やかに磨かれたオーク材の階段の先を行く杜月飛鳥の背中に、ウィリアム・マーカスは終わったばかりの試験のことを訊ねかけた。

「うん。思ったより簡単だった。きみは?」

「ええ、なんとか」

 振り向いた飛鳥に、ウィリアムは上品な笑顔で応じる。飛鳥は少し驚いたように目を見開いた。


「前から思っていたんだけれど、きみ、ヘンリーに似ているね。笑い方とか、ちょっとした仕草とか。時々、錯覚するよ」

 困ったように飛鳥は首を傾げ、苦笑う。

「え……、そんなことを言われたのは初めてです」

「そう? じゃあ、僕だけなのかなぁ。もしかして、またヘンリーに怒られる! と思ってびくびくしているからかなぁ……」

「怒る? ソールスベリー先輩が?」

 飛鳥は頷いて、訝し気な後輩に、眉を上げお道化て続けた。

「ネクタイの結び方が汚いとか、髪がぐしゃぐしゃだとか、爪が汚いとか。きみもだよ。ヘンリーみたいに煩く言わないけれど、さりげなく直すだろ? 気付いていた?」

 ウィリアムは納得したようにクスクス笑い、飛鳥に優しい眼差しを返した。

「ここはやはり、ソールスベリー先輩を見習って、僕も口うるさくなるべきかな?」

「勘弁してよ。弟が何人もいるみたい、」


 最後まで言い終わらない内に、飛鳥の身体は階段から離れ、真っ逆さまに飛んでいた。咄嗟にウィリアムは段を蹴って腕を伸ばす。宙を舞い広がる漆黒のローブを掴むと巻き込むようにして引き寄せ、その長い指で飛鳥の頭を庇いしっかりと抱き締めて、階段を転がり落ちていく。その指越しに感じた衝撃と視界を覆うローブのせいか、飛鳥の意識は急速に遠ざかっていた。





 聞き慣れた声がする。柔らかい、響きの良い優しい声。

「申し訳ありません。油断しました」


 ウィリアム?


「充分だよ。アスカも、きみも無事で良かった」


 ああ、やっぱりヘンリーの声だ……。


「トヅキ先輩は?」

「軽い打撲と脳震盪で、二週間は安静だそうだ」

「申し訳ありません」


 どうしてウィリアムが謝っているの?


 飛鳥はこじ開けるように瞼を持ち上げると、声の方へ顔を向けた。なぜだか異様に瞼が重い。

「アスカ、気が付いたかい?」

 ヘンリーがほっとしたように微笑んでいる。そっと飛鳥の髪に手を添える。だが直ぐに拳を握り込み「先生を呼んで来る」と、彼は席を立った。



 飛鳥は、ぼんやりと彼のいた椅子の向こう側、隣のベッドに横たわるウィリアムに目をやった。腕には包帯が巻かれ、綺麗な顔にもガーゼが幾つも張られている。

「ごめん。ウィリアム。僕のせいで……」

 ウィリアムは、いつもの柔らかい笑顔で首を横に振った。

「僕は、ここにいるだけでみんなに迷惑をかけているみたいだ」

 飛鳥は今にも泣きだしそうな顔で声を震わせている。

「それは違います。先輩が僕に取って大切な存在だから、思わず手が伸びて捉まえていただけです。どうせなら褒めて下さい」

「あり、が、と、う」

 声が詰まって、上手く言葉にならなかった。



 ヘンリーが校医を連れて戻ってきた。飛鳥は通り一遍の質問をされ、おそらく問題ないだろうと言われた。だが頭を打っているので、六時間以内は異変が出る可能性があるから、と今夜一晩は医療棟に泊まり、翌朝寮に戻ることとなった。



 


 その夜。ロレンツォは消灯後のノックの音に、訝しみながらドアを開けた。

「ルベリーニの名も地に落ちたな。守るという意味が判らないらしい。アスカに怪我をさせて、そんな不手際を僕が許すとでも思っているのかい?」

 わざわざ部屋までやって来て、ヘンリーは冷ややかな口調でそんな嫌味を言い捨てた。そして、一言の弁解も聞かずに踵を返した。



「くそっ!」

 ドアを閉めるなり、ロレンツォは本棚にあった本を片っ端から床に投げつけていく。

 肩で息をして歯ぎしりし、大きく深呼吸する。かと思うと、大きな手を広げて顔を覆い、今度はくっくっと笑い出す。


「俺のマスターは容赦ない」


 ルベリーニが、ルベリーニである所以(ゆえん)を見せてやる!


 理性はそう叫んでいるのに、地に堕とされた自負心は、焼け焦げ爛れてロレンツォを苛んでいた。






 

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