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ハ―フターム

 待ちに待ったハーフタームになり、ヘンリーが帰ってきた。


「サラ、なんだか熱いよ。熱があるみたいだ」


 正面玄関で出迎えてくれたサラの頬に、ただいまのキスをしたヘンリーは、眉根をしかめて顔を離す。

 サラは、小首をかしげる。

「寝てないの?」

 首を横に振る。ヘンリーは、サラの手首を掴んでみた。やはり熱がある。

「部屋に戻ろう」

 そのままサラの手を引っ張って歩き出した。


 サラは、素直に従いながらも、潤んだ瞳でじっとヘンリーを見つめている。

「熱だけかな?頭は痛くない?咽喉は?」

 サラはまた首を横に振った。


 来たばかりの頃のサラに戻ったみたいだ……。


「サラ、何かしゃべって」

 ヘンリーは、困惑した表情を見せて懇願した。

 サラは立ち止まり、長身のヘンリーを見上げて、甘えた声で小さく呼んだ。

「ヘンリー」

 ヘンリーの表情が和らぎ、笑みがこぼれる。

「ヘンリー」

 もう一度。サラの頬も、自然にほころんでいる。

「ヘンリー」

 ヘンリーは嬉しくなって、サラのこめかみにキスを落とす。

「サラ、淋しかった?」

「ヘンリーも、ファッジを食べる?」

「ファッジ? サラは、ファッジが好きなの?」

 サラは嬉しそうに頷いた。


 案の定、サラは風邪をひいていたらしい。薬を飲ませるとそのまま、夕食も食べずに寝てしまった。どうも、サラには薬が効きすぎる気がする。ここに来たばかりの時も風邪をひいて、風邪薬を飲ますとまる一日爆睡していた。


「楽しみにしていたのに」

 夕食を終え自室に戻ったヘンリーは、不機嫌そうに呟いて、持ち帰った彼の荷物を片付けているメアリーに声をかけた。

 メアリー・ボイドは四十代の小太りの女性で、マーカスと同じくヘンリーが生まれる前からこの屋敷で働いているベテランの家政婦だ。


「原因は何? また、水のシャワーを浴びたんじゃないだろうね」

 サラは綺麗好きで、毎朝五時頃にシャワーを浴びる。インドでの習慣なのだろうが、ここではさすがに無理があった。夏でも、朝晩のイングランドの気温は低く、水浴びには向いていない。サラはてきめんに風邪をひいた。


「疲れがでたんじゃないですかねぇ。二週間もの間、地下室に籠っておられたので」

「そう、それも聞きたかったんだ」

 ヘンリーは、ベッドにごろごろと転がりながら、メアリーに顔を向けた。

「スミスさんと、もう一人来ているって?」

「スミスさんも、エンジニアの方も昨日帰られましたよ」

「そのエンジニアがファッジか!」

「ファッジ?」

 ヘンリーは、勢いよく起き上がるとベッドに腰かけて息巻いた。

「菓子でサラを釣るなんて!」


 メアリーは片付けの手を止めて、身体を揺すって笑いだす。

「おや、まぁ、坊ちゃん、焼きもちですか?」

「笑うなよ、メアリー。……僕も何か買ってくれば良かった!」

「私はよくは知りませんけどね。マーカスさんの話じゃ、地下の機械が出来上がる頃には、同じテーブルでお茶を飲むぐらいに仲良くおなりだそうですよ」

 メアリーは愉快そうに言った。

「あ~あ、サラにいろいろ聞きたいのに、風邪だなんて……。すぐ治るかなぁ、メアリー?」

「治りますとも」






 「できたか?」

 ノックの音とほとんど同時に、ジョン・スミスが部屋に入ってきた。


「まだですよ。勿論」

 ロンドン市内にある自宅フラットの書斎で、デスクトップパソコンに向かって作業していたエンジニアは、振り返ることすらせずに返答した。広い机には、大きく引き伸ばされた写真が散乱している。サラと共に組み立てていた基板の写真だ。

「あと十五台分です」

 エンジニアは、写真の基板配置を画面上に置き換えて設計図を画いている。


「まぁ、先に食べろ。冷めてしまう」

 スミスは、瓶ビールの栓を抜きグラスに注ぎながら言った。


 やっと、エンジニアがこちらを向いた。

 ローテーブルに置かれたフィッシュ&チップスを見て、

「お、『ジョージズ』ですか」

 と、立ち上がりスミスの向かいの一人掛けソファーに腰かけ、注がれたばかりのビールを一気にあおる。


「見本と、おれが組んだ十六台の、合わせて十七台以外、全部使われているパーツの種類と数が少しずつ違うんですよ」


 エンジニアは、イライラをぶつけるように少し冷めたフライに大きくかぶりつく。


「配線を見るまで、気が付かなかった」

「お陰で、こっちは夜中に写真撮影会だ」

 スミスは、ゆっくりとビールを飲みながら嫌味たらしく呟いた。

「なんだって、そんなこそこそと隠れて写真を取らなきゃいけないんです? 同時進行でやっていけば早かったのに」

「あの子は、フラッシュとシャッター音が嫌いなんだ。パニックを起こす」

「魂を抜かれるとか?」

 エンジニアは食べかけのフライを置いて、二本目のビールを、そのままぐびぐびと飲んだ。


「殺されたんだよ、祖父を。目の前でな」


 エンジニアは、むせそうになりながらビールを飲み下す。

 スミスは、食べるのを止め、煙草に火をつけた。

 その間、エンジニアは、話の続きを待っていた。


「まだ聞きたいのか、食事中に?」

「ここで止められるわけがないでしょう!」

「なら、先に食べてしまえ。食欲がなくなるぞ」

「平気ですよ。教えて下さい」

 

「もともと、この廉価版スーパーコンピューターの設計は、うちの会社があの子の祖父に依頼したものだったんだ」


 スミスは、思い出すのも苦々しそうに話し始めた。

「お前が組んだ十六台、あれと同じ物を五十台組むはずだった。ところが、途中から変更になり、チームの皆が締め出しをくらって、極秘で進められることになった。彼は、いつも孫を同伴してきていた。彼が設計者でチームの責任者だ。誰も文句を言わなかった。邪魔にもならなかったしな」

 スミスは、煙草を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


「だが、そのせいで、あの子は誘拐されたんだ。産業スパイの雇ったマフィアにな。スパコンの設計図と引き換えだ。だが、その要求を聞いて、あの男は泣き出したんだよ。そんなものはないと」


 エンジニアは、顔をしかめたままじっと聞き入っている。


「設計していたのは、サラだ。サラは、設計図が画けないんだ。いや、正しくは、サラの画いた設計図は、誰にも読めない、理解不能だ。だから、サラの祖父もパーツを直接組ませて、そこから図面に起こしていたんだ。俺たちみたいにな」


 スミスは煙草をもみ消し、グラスを手に取った。


「それで、どうなったんです」

「ん? サラの祖父はマフィアと交渉に行き、あと少しというところで、先走った警官が発砲して銃撃戦になって死んだよ。あの子を庇ってな」

 エンジニアは、身じろぎもせずに聞いていた。歯を食いしばっているのか、唇が震えている。

「おれも、その場にいたんだよ。報道陣も何人かいた。銃撃が止むと、あの子の安全を確認するよりも先に、あの子と、その上に覆いかぶさって死んでいるあの子の祖父に向かって、大量のフラッシュが焚かれたのさ」


 エンジニアは、その大きな両手で顔を覆って言った。


「あんなに、小さいのに、そんな惨い目に……。」

「いまだに、あの時の血だまりが、目に焼き付いて離れない」

「行きで、話していたこと、冗談だと思っていました」

 エンジニアは、手で顔を覆ったまま、絞り出すように言った。

「冗談さ」

「今の話が、本当なんですね」

 スミスは、答えなかった。


「サラがもう一度やる気になってくれて助かったよ。あのままじゃ、うちは大損害だった」

 エンジニアは驚愕して、顔を覆っていた手を下して握りしめ、スミスを睨み付けた。

「ランチを済ませてしまえ。『ジョージズ』のだぞ」

「捨てて下さい……」


 スミスは、二本目の煙草に火をつけた。








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