クリスマス・マーケット6
演奏を終えたヘンリーは少女から豪華な花束を受け取ると、お礼のキスをするようにその頬に顔を寄せた。
「邪魔だ。今すぐそこをどけ」
彼女の耳元でそう囁くと、ヘンリーは受け取ったばかりの花束を第二奏者のエドガー・ウイズリーに手渡した。
少女はよろめくように後ずさったが、硬直してしまったかのようにその場に立ち尽くしている。
その最中、ロレンツォ・ルベリーニが舞台に上がってきた。
「くそっ」
舌打ちして足早に舞台に上がり、エドワードは少女の腕を掴み舞台袖に曳いていく。素直に従いながらも、少女の視線はずっと悲し気にヘンリーを追っている。
ロレンツォとヘンリーは、真正面に向き合い、ほんの数秒視線を合わせた。
おもむろに、いかにも優雅に、ヘンリーは甲を向けて右手を差し出した。ロレンツォはその手を受け、片膝をついて跪き、ヘンリーを見上げて何か呟くように告げる。
ヘンリーが黙諾する。ロレンツォは、彼の手の甲に接吻を落とし、やがて立ち上がり花束を渡した。
会場でやんや、やんやの喝采が起こる中、驚愕の面持ちで二人を凝視する幾人かの年配者たちがいた。
飛鳥の隣に座っていた老人もその一人で、
「まさか、ソールスベリーとはな」
とか、
「次代のルベリーニが……」
と、小声で囁き合う声が断片的に聞こえてきた。
どういうこと?
飛鳥は気になって耳を欹てるが、小声のうえ、老人特有の不明瞭な発音でそれ以上は判らなかった。たまらず席を立ち楽屋へ向かった。
「キャル、お前のせいで台無しになるところだった。お前は僕の邪魔をしに来たのかい?」
飛鳥がドアを開けるなり、ヘンリーの怒気を含んだ威圧的な、それでいて静かな声が響いた。
ヘンリーが本気で怒っている時の声だ。
そっとキャルと呼ばれた少女に目をやると、少女はセレスト・ブルーの瞳を涙で雲らせて、じっとヘンリーの不機嫌な顔を見つめたまま必死に謝っている。
部屋の中には、この二人とエドワードだけでロレンツォはいない。
「ヘンリー、ごめんなさい。ごめんなさい」
「お前もフェイラーの端くれなら、あの意味くらい」
この子、もしかして……。
「ヘンリー」
飛鳥はヘンリーの背中に声を掛けた。
「アスカ! あれ? 花はないのかい? きみから貰えるのを楽しみにしていたのに」
「ごめん」
「ひどいな」
ヘンリーは呆れたように、だがあっけらかんと明るい笑い声を立てた。
「じゃ、今から付き合ってくれ。僕の出番はもう終わったし、今日は昼抜きなんだ」
いつもと変わらない柔らかな笑顔と物腰の彼だ、と飛鳥が安堵したのも束の間、打って変わった冷たい声で、ヘンリーはキャルに突き刺すような視線を向けた。
「着替える、出てくれないか」
キャルは俯いたまま、しゃくりあげている。
「ごめんなさい、ヘンリーに会いたかったの」
「エド」
エドワードは頷くと、彼女の肩を抱いて部屋を後にした。飛鳥もそれに続こうとすると、「きみはいいんだ」と、ヘンリーに呼び止められた。
「あの子、きみの妹だろ? びっくりしたよ、ロレンツォの持っていたきみの写真にそっくりで」
「写真?」
しまった! ごめん、ロレンツォ!
「あいつ、まだそんなものを持っているのか……」
時すでに遅しで、さっと血の気の引いている飛鳥の眼には、さも嫌そうに眉根を寄せるヘンリーが映っている。
飛鳥は話題を変えようと焦り、眼を白黒とさせて言葉を探した。
「あの子、アメリカからきみに会いにわざわざ来たんじゃないの? 僕はいいんだよ、また今度で。せっかくだし妹さんと……」
「母の娘っていうだけだよ。僕には関係ない」
ヘンリーは不機嫌さに輪を掛けたように、言い捨てた。
「お待たせ。さぁ、行こうか」
普段の制服に着替え終わったヘンリーは、早々と荷物と花束を手にしている。ロレンツォの渡した花束だ。
ホワイトマグノリアと、桔梗……。
白と紫のコントラストが上品で、強く芳香を放っている。
「すごく甘い香りだね」
頭がくらくらしそうだ……。
飛鳥はぼんやりと、その華やかな花束と、それに負けないくらい高貴で美しいルームメイトを見つめた。
ホワイトマグノリアの花言葉は、崇敬。桔梗は、従順。
ちゃんと自分の立場をわきまえている……。
ヘンリーは薄く笑うと、「今回は、合格だ」と、飛鳥には聞こえないように、口の中で小さく呟いた。




