部屋8
星々の煌めく宇宙空間から緩やかに明度を増す空へと、彼らを包む景色が変わり、やがて視界の彼方に海と大地が、そして、地上に構築された都市が見え始めた。
見慣れた時計塔はビッグベンだろうか。とすると、長く蛇行する川はテームズ川だろう。ここはおそらくロンドンだ。
国会議事堂、バッキンガム宮殿、ロンドンブリッジ――、ロンドンの名所と言われる場所はすぐに判った。街並みも確かにロンドンのそれなのに、どこか違う。
「ガ―キンみたいな高層ビルが増えてない?」アレンが眉をひそめて首を傾げた。クリスは「間違い探しみたいだね!」とシールドガラスに鼻をくっつけ、楽しそうに下界を覗きこんでいる。「面白い! 見覚えのある街並みなのに、360度VRの世界を眺めているような現実感のなさだね!」
確かに自分たちの知っているロンドンなのだ。それなのに違和感を拭えない。その違和感を払拭しようと、三人は右へ左へと身体を寄せては、近づいてくる地上に視線を漂わせる。
「あ、違うところ、見つけた! あれはモノレールの駅じゃないかな!」
クリスが自分の発見を声高に告げた。
彼の指さした方向へ、残る二人の視線が集中する。
見慣れた歴史的街並みの要所要所に、ポールが立っている。それは透明のトンネルで繋がれ、その中を細長い銀色の繭状の物体が滑るように移動しているのだ。
そのポールは地上が近づくにつれ、それなりの面積を持つ細い塔の様な建造物だと判り、クリスが言うように、モノレールだか、空中バスだかの交通機関なのだと見当がついた。
「へぇ!」と、アレンとフレデリックが合わせて声を上げる。
これが未来のロンドンとはとても信じられない。けれど、20世紀初頭の人々が想像した未来の街並みだと言われれば、なるほど、そうかも、と頷ける。
過去に生きていた先達も、この街が根本を覆す変化を遂げるとは、思い描かなかったのだろう。けれど、先駆的なもの、便利なものは先陣を切って取り入れていくに違いない、と想像したのではないか。
「ロンドンの街並みは、100年や200年くらいじゃ、そう変わらないか」フレデリックがしみじみと呟いた。
「皆さん、上空からの景色、お楽しみいただけましたか? それではこれから、懐古的未来人の住まう館内をご案内します」
TSアレンが微笑を湛えて振り返り、すっとその手を上げた。
ゴーカートが止まった。
TSアレンに気を取られていた間に、いつのまにか、ゴーカートはどこかの室内にいる。アレンたちがきょろきょろと辺りを見回していると、「降りてかまいませんよ」という声とともに、シュッと音を立ててシールドが開いた。
そろそろと足を下ろした先は、滑らかな床の上。そして、彼らを囲む部屋は、白い壁に囲まれた箱のような空間だった。
「注意事項を確認します。壁の手前に見える赤いラインよりも外側には行かないでください。夢から醒めてしまいますからね」
人差し指を立てて微笑むTSアレンに、すかさずクリスが「了解!」と威勢よく答えた。後の二人は、そのラインを確認しようと首を伸ばし、四方を囲む赤外線を目視しているような光のラインにまず驚き、それから神妙に頷いた。
「それでは、まずはオーソドックスなレトロフューチャーの内装をご覧ください」
TSアレンがついっと腕を高く上げ、パチンと指を鳴らした。
ジジッと機械音がして、空間が歪んだ。と見る間に部屋は鮮やかに色付けされて蘇る。
ターコイズブルーの天井に、オレンジやレモンイエローなどのアシッドカラーを基調とした幾何学模様の床、同色の家具や調度品でまとめられた、ある種奇抜な、インパクトのある部屋だ。
だが当初の驚きが冷めてくると、スチール製の土星とその環をガラスで繋げたような円形テーブルを中心に据えたこの部屋は、鮮やかな色彩にも拘わらず妙に落ち着く。
アレンはふらふらと長いソファーに向かうと、力が抜けてしまったようにとすんと腰をおとした。背もたれにもたれかかって頭を反らせて、廻り縁の代わりに水色のネオンモールで縁どられた天井を見上げた。
「さすが。デヴィッドさんは本当にすごいなぁ」
「彼のデザインなの?」
ため息交じりの呟きに、隣に腰かけたフレデリックが応えて訊いた。
「そうだと思う。こんな色見本と格闘しているところを、横で見ていたんだ」沈んだ声音で応えながら、アレンは目を閉じた。
何をしているのか、何を作るのか、もっと積極的に訊ねればよかった。そうすれば、今、こんな淋しさを感じることもなく、誇らしい気持ちで皆を案内できたのに。今日のこの日まで、自分はいったい何をしていたんだろう、とそんな無力感が、アレンの押しこめていた陰鬱な気分に拍車をかけた。
請われて手伝っていたつもりで、役に立てていたつもりでいたのに、この完成された部屋のどこにも、自分が関与した片鱗すらないのだ。デヴィッドがきりきりと忙しく働くのを、横で見ていただけで――
「うわ!」
突然上がったクリスの声に、落ち込みかけたアレンの意識が跳ね上がる。
「どうしたの?」同じくびっくりしているフレデリックが尋ねた。
「このテーブル、映像だよ! 手をつこうとして、つんのめった」
なるほど、手を伸ばしてテーブルのガラスを叩こうとしても、指はガラス面をすり抜けてしまう。
「本物はこのソファーだけか――」
フレデリックはゆっくりと周囲を見渡した。
「そういうこと。あ、俺も本物だけどな!」
テーブルを挟んだ向かいのソファーに座る吉野が、にこにこと笑いながら言った。




