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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十一章
804/805

 部屋8

 星々の煌めく宇宙空間から緩やかに明度を増す空へと、彼らを包む景色が変わり、やがて視界の彼方に海と大地が、そして、地上に構築された都市が見え始めた。

 

 見慣れた時計塔はビッグベンだろうか。とすると、長く蛇行する川はテームズ川だろう。ここはおそらくロンドンだ。

 国会議事堂、バッキンガム宮殿、ロンドンブリッジ――、ロンドンの名所と言われる場所はすぐに判った。街並みも確かにロンドンのそれなのに、どこか違う。


「ガ―キンみたいな高層ビルが増えてない?」アレンが眉をひそめて首を傾げた。クリスは「間違い探しみたいだね!」とシールドガラスに鼻をくっつけ、楽しそうに下界を覗きこんでいる。「面白い! 見覚えのある街並みなのに、360度VRの世界を眺めているような現実感のなさだね!」


 確かに自分たちの知っているロンドンなのだ。それなのに違和感を拭えない。その違和感を払拭しようと、三人は右へ左へと身体を寄せては、近づいてくる地上に視線を漂わせる。


「あ、違うところ、見つけた! あれはモノレールの駅じゃないかな!」

 クリスが自分の発見を声高に告げた。

 彼の指さした方向へ、残る二人の視線が集中する。

 見慣れた歴史的街並みの要所要所に、ポールが立っている。それは透明のトンネルで繋がれ、その中を細長い銀色の繭状の物体が滑るように移動しているのだ。

 そのポールは地上が近づくにつれ、それなりの面積を持つ細い塔の様な建造物だと判り、クリスが言うように、モノレールだか、空中バスだかの交通機関なのだと見当がついた。

 「へぇ!」と、アレンとフレデリックが合わせて声を上げる。


 これが未来のロンドンとはとても信じられない。けれど、20世紀初頭の人々が想像した未来の街並みだと言われれば、なるほど、そうかも、と頷ける。

 過去に生きていた先達も、この街が根本を覆す変化を遂げるとは、思い描かなかったのだろう。けれど、先駆的なもの、便利なものは先陣を切って取り入れていくに違いない、と想像したのではないか。


「ロンドンの街並みは、100年や200年くらいじゃ、そう変わらないか」フレデリックがしみじみと呟いた。

「皆さん、上空からの景色、お楽しみいただけましたか? それではこれから、懐古的未来人の住まう館内をご案内します」

 TSアレンが微笑を湛えて振り返り、すっとその手を上げた。


 ゴーカートが止まった。

 TSアレンに気を取られていた間に、いつのまにか、ゴーカートはどこかの室内にいる。アレンたちがきょろきょろと辺りを見回していると、「降りてかまいませんよ」という声とともに、シュッと音を立ててシールドが開いた。


 そろそろと足を下ろした先は、滑らかな床の上。そして、彼らを囲む部屋は、白い壁に囲まれた箱のような空間だった。

「注意事項を確認します。壁の手前に見える赤いラインよりも外側には行かないでください。夢から醒めてしまいますからね」

 人差し指を立てて微笑むTSアレンに、すかさずクリスが「了解!」と威勢よく答えた。後の二人は、そのラインを確認しようと首を伸ばし、四方を囲む赤外線を目視しているような光のラインにまず驚き、それから神妙に頷いた。

「それでは、まずはオーソドックスなレトロフューチャーの内装をご覧ください」


 TSアレンがついっと腕を高く上げ、パチンと指を鳴らした。


 ジジッと機械音がして、空間が歪んだ。と見る間に部屋は鮮やかに色付けされて蘇る。

 ターコイズブルーの天井に、オレンジやレモンイエローなどのアシッドカラーを基調とした幾何学模様の床、同色の家具や調度品でまとめられた、ある種奇抜な、インパクトのある部屋だ。

 だが当初の驚きが冷めてくると、スチール製の土星とその(リング)をガラスで繋げたような円形テーブルを中心に据えたこの部屋は、鮮やかな色彩にも拘わらず妙に落ち着く。

 アレンはふらふらと長いソファーに向かうと、力が抜けてしまったようにとすんと腰をおとした。背もたれにもたれかかって頭を反らせて、廻り縁の代わりに水色のネオンモールで縁どられた天井を見上げた。

「さすが。デヴィッドさんは本当にすごいなぁ」

「彼のデザインなの?」

 ため息交じりの呟きに、隣に腰かけたフレデリックが応えて訊いた。

「そうだと思う。こんな色見本と格闘しているところを、横で見ていたんだ」沈んだ声音で応えながら、アレンは目を閉じた。


 何をしているのか、何を作るのか、もっと積極的に訊ねればよかった。そうすれば、今、こんな淋しさを感じることもなく、誇らしい気持ちで皆を案内できたのに。今日のこの日まで、自分はいったい何をしていたんだろう、とそんな無力感が、アレンの押しこめていた陰鬱な気分に拍車をかけた。

 請われて手伝っていたつもりで、役に立てていたつもりでいたのに、この完成された部屋のどこにも、自分が関与した片鱗すらないのだ。デヴィッドがきりきりと忙しく働くのを、横で見ていただけで――


「うわ!」

 突然上がったクリスの声に、落ち込みかけたアレンの意識が跳ね上がる。

「どうしたの?」同じくびっくりしているフレデリックが尋ねた。

「このテーブル、映像だよ! 手をつこうとして、つんのめった」

 なるほど、手を伸ばしてテーブルのガラスを叩こうとしても、指はガラス面をすり抜けてしまう。

「本物はこのソファーだけか――」

 フレデリックはゆっくりと周囲を見渡した。


「そういうこと。あ、俺も本物だけどな!」

 テーブルを挟んだ向かいのソファーに座る吉野が、にこにこと笑いながら言った。

 




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