部屋7
人目を避けて中庭の隅の方で食事を済ませ、イベント会場へと戻ってみると、第一部とは打って変わって、わいのわいのと人でごった返していた。事前に告知されていなかった”待ち時間の余興”が人づてに伝わり、インターバルの間にこれほどの数を動員したのだろうか。困り顔で顔を見合わせるクリスたちを尻目に、この展開を見越していたのか、吉野は満足そうに目を細めている。
「入場者用の通路は確保しているからさ、ぎりぎりに行けばいいよ」
「だけどその通路までは、人混みをかきわけて進まなきゃいけないだろ?」フレデリックはアレンを気遣っているのだろう。
「裏側からTSは見えない様にしてあるんだ。整理券持ってる奴はそこで待つことになってる。でもそいつらだって、ぎりぎりまで表のアトラクションを見たがるだろ? だから裏側は空っぽだよ。校舎沿いを回って行きゃ、もみくちゃにされることもない」
なるほど、と吉野に従い人混みを避けて建物沿いに回ると、まったく言葉通りで、人垣ができているのは赤いロープの三方だけで、校舎側にあたる一方は閑散としていた。「受付」と書かれた立て札の前にはスタッフの姿しかない。
彼らがその場に到着すると、ぽっかりと空いた薄闇に染まる芝生を挟み、赤いロープで区切られた向こう側に、何かに集中して恍惚としている幾つもの顔が並んで見えた。どこかで聞いたことのあるような、馴染み過ぎて題名を思い出せないBGMが流れている。こちら側からは見えないだけで、彼らはTS映像を眺めているのだ。
つい先ほどまでデヴィッドの挨拶と注意事項を説明する声が聞こえていたから、今は、あの下品な”アレン”がいるのだろうか、とそんな想像が過り、アレンは微かに唇を噛んだ。
「ここでのお前の出番はもうないよ。一部で終わりだ」
自分の心に落ちた暗い染みを見透かしたような声をかけられ、アレンは驚いて吉野を見つめた。
「余興の幻燈に”アレン”は出ない。二部は過去のヘッドランナーのコンサート映像をTS化してダイジェストで流すんだ。これほど見物人が増えたのはそのせいだよ。館内放送とSNSで周知させたんだ」
「僕じゃ役不足?」
悲愴な声音をあげたアレンの額をピンッと指で弾いて、吉野は笑って首を振った。
「まさか! どっちかってえと、お前の希少性を高めるためだ。見れなかった奴らが悔しがるようにな。それに、このコンサートにしても運営さまの御希望なんだ。例年、ヘッドランナーは有名どころのバンドが来るからな。”アレン”の演目も、それも、どっちも捨てられないんだと。本当にマイケルらの要求って貪欲だよ」
後半、吉野は冗談めかして軽く肩をすくめていたが、唇にはどこか自嘲的な笑みを浮かべていた。アレンとフレデリックは微かに眉を寄せ、吉野の心中を慮って瞳を曇らせた。だがクリスはあっけらかんと「へぇ! それは僕だって見たいよ! その為ならあの中に突入する覚悟だってできるって!」と羨ましそうに、ざわざわと落ち着かない観衆を指さした。
「今、彼らは何を見ているの?」フレデリックが冷静な眼差しを吉野に向けた。「オープニングクレジット、あ、始まるぞ。ほら、行くぞ」吉野がすっと片腕を上げる。
気がつくとゴーカートが用意され、いつの間にかその横にデヴィッドがにこにこと立っていた。遠目では判らなかったが、このデヴィッドはTSだ。アレンはすぐに気づいたが、クリスやフレデリックは慌てて”彼”に挨拶している。TS”デヴィッド”のソツのない応答に関心しながら、人工知能で接客するのは自分だけではないのだ、とアレンはほっと胸を撫でおろした。
鏡のように艶やかな銀色で、緩やかな曲線ボディの美しいゴーカートは、広々とした四人乗りで、アレンにしろ、フレデリックやクリスにしろ、当たり前に吉野も一緒に乗るものだと思っていた。だが、吉野は彼らを乗りこませると「そこは案内人の席なんだ」と同乗を拒んだ。「とは言ってもさ、俺も一緒にいるよ。お前らの反応をみたいからな」と意味ありげにウインクして――
シュッとシールドが閉まると音もなくゴーカートが動き出す。スポットライトを浴び、衆人の注目が自分たちに注がれているのをひりひりと感じながら、身を固くして進んでいった。だがやがて前方に開いた渦巻く漆黒の穴に呑み込まれ、一切の視界を奪われたと思った瞬間、ぼわりと薄明かりが辺りを照らした。車体が発光しているのだ。そして、ひとつ開いていた座席には、いつのまにかふわりとした金髪を風になびかせたアレンが座っていた。フレデリックがその透きとおるような肌の横顔を見つめると、TSアレンは、小鹿のように小首を傾げて微笑んだ。
「気持ち悪」
背後から機嫌悪そうな呟きが聞こえた。
フレデリックはククッと吹き出しかけた笑いを堪え、「確かに、これは問題になりそうだね」と座席越しに振り返って、背後に座るアレンに声をかけた。
本当に――、そう応えようにした時、身体がふわりと浮くような感覚に囚われた。と、同時に舞台の幕が上がるようにするすると視界が開けていく。隣に座るクリスがアレンの腕をぎゅっと掴んだ。顔を見合わせ、互いに深い息をつく。
アレンはここに来たことがあった。だが、クリスやフレデリックには初めての――
「アスカさんの宇宙!」
喜色を帯びたアレンの声に、クリスも「ニューヨークの伝説だね!」と負けじと声を張り上げた。
星々の渦巻く宇宙空間を、銀のゴーカートが飛んでいるのだ。透明のシールド越しに見える宇宙は、どこまでも果てがない。
「これより宇宙空間を抜け、懐かしい未来の館に到着いたします。ここでは、実現されることのなかった過去、先人たちの飽くなき幻想を体験していただきます」
TSアレンの艶のある声が告げた。




