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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十一章
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 部屋4

 呆気にとられている3人が喰いいるように見つめていた芝地が、一瞬、モザイクのように乱れて見えた。

「え、バグ? アスカさんが!」

 驚いたアレンが思わず声高に口走ると「な、訳ないだろ。わざとだよ」、と背後からの声が応えた。


「ヨシノ!」

 アレンだけでなく、クリスもフレデリックも一斉に振り返って、ようやく顔を見せた吉野を取り囲む。

「ほら、見ろよ、これから始まるんだからさ」と注意を促し伸ばされた腕は、ウイングカラーシャツの袖を捲り上げている。

「カマーベストはちゃんと着てるんだね」

 しげしげと吉野を見つめて、アレンがまたもや驚いたように呟いた。


 イベントは始まったばかり、日も暮れていないというのに、吉野の服装は遊び尽くした後のようだったのだ。ドレスコードの通りタキシードを着てはいる。けれど、ディナージャケットも、ブラックタイもどこへいったのやら。それなのに、あの吉野が、ルールを守ってカマ―ベストは着用しているのが不思議だった。

「どうでもいいことで、ちゃちゃ入れられたくないもん」

 それこそどうでもいいことのように応えた吉野の視線は、じっと芝地にそそられている。吉野自身に気を取られていたアレンは、あ、と慌てて前を向いた。


 夕映えのなか、白い鳩が一斉に飛びたっている。その中心に、自分がいる。シルクハットに燕尾服。長い杖を持った姿は、マジシャンみたいだ。

「僕はあんな趣味の悪いカマーバンドは着けないよ」

 忌々しげに呟いてしまった声を拾って、横で吉野がクククッと笑った。確かに、瞳の色に合わせたセレストブルーの蝶ネクタイとカマーバンドはアレンの好みではないだろう。腰の細さを強調する全体のシルエットは、ここにいる本人よりもずっと中性的で妖艶にさえ見える。


「アーカシャーのイベントって、マジックショーだったの! それとも、サーカスかな」

 クリスが顔を輝かせて吉野の袖を引いた。

「まさか。これは列に並んで待ってる奴らのための暇つぶし。ただの余興だよ」

「これで余興!」


 一層大きなどよめきが上がった。

 鳩が飛びたった茜色の空の一部が凝固して落ちてきた。そう見えたのだ。その塊がライオンに変じて咆哮を放っている。その傍らでTSのアレンが今度は鞭を振りあげる。ひゅっ、ひゅっと唸りをあげるその先端からいくつもの炎が生まれる。それは大きな輪状になると、ゆらゆら眩い炎を煌めかせた。継いでアレンはピシリと(くう)を叩く。ライオンがその動きに応えるように飛び上がった。次々と炎の輪を潜り抜けていくその姿に、観客から歓声と拍手が沸いた。


「さすがにこっちまで手が回らなくてさ、演目が平凡なんだ。そう飛鳥がぼやいてた」


 TSアレンが空を叩く度に、ライオンが分裂して増えていく。増えた分だけ個体は小さくなって、見る間にぬいぐるみほどの大きさだ。小さな小ライオンたちがアレンの体の周りだけぐるぐる回るのではなく、頭上や地面にも向かって幾重にも駆けまわる様は、オレンジ色の球体が彼を呑み込んでしまったようで。


 パンッ!


 と、破裂音とともに球体は弾け、鮮やかな花びらが舞い散った。


「ここでメインの一組目が終了」


 吉野の呟きと同時に、皆は、花びらの舞う向こう側からいつの間にかゴーカートが戻っているのに気づいた。戻ってきたというよりも、瞬間移動でもしてきたかのようにいきなり現れたのだが。


「あれどうなってるの!」

 一番に尋ねたクリスだけでなく、アレンもフレデリックも一斉に吉野を見つめた。

「錯覚を使ってるだけだよ。ゴーカートはあそこの位置から動いちゃいないんだ。動いてるように体感させてるだけで。その上に映像を被せて外からは見えないようにしているだけだよ」

「映像――、TSアレンだけでなくて?」

「頭では判っているつもりなんだけどね――」

 訝しむクリスに同意するように頷き、フレデリックはふぅと全身の緊張をほぐすため息をついた。

「どこから映像か判るか?」

「アレンとか、ライオンとか?」

 悪戯っ子のように笑う吉野にクリスがきょとんと訊き返した。

「今見た余興と、消えるゴーカート……。でもそれに乗っている観客は本物の人だよね。僕たち観客側から見えなくなった後、彼らはどうしてるんだろう? ロープ内のどこかに別のTSゾーンがあるのかな?」

 フレデリックが思案気に眉を潜めて言った。

「惜しい! でもほぼ当たりだよ」

 吉野が満足そうににっと笑った。

「ロープ内に見えている芝生。あれも全部映像なんだ。その下にTSプレートを設置してあるんだ。それに上からも」

 ロープの四方から照らすアトミックライトを指し示す。

「え、普通に装飾用のライトじゃないの!」

「それも兼ねてる」


 傍らでわいのわいの質問を重ねるクリスたちを尻目に、アレンはじっと、その赤いロープ内にあるゴーカートに次の観客が乗り込み、消え去るのを見つめていた。そしてまた、自分自身が現れる。自分とは似ても似つかない自分が――


「そのうちタップダンスでも踊り出すんじゃないの」

 苛立つ気分をアレンはそんな言葉で吐きだした。

「おまえ、ほんとにエンターテイナーは向いてないなぁ」

 とん、と肩に手を置かれた。

「だからアレが必要なんだよね? 解ってるよ」

 向きを変えて吉野の手を外し、アレンはちょっと眉を潜めて睨んでみせた。

「やっぱ、その顔面白れぇ! いそうでいないっていうかさ」

 クックックッと吉野は身を(よじ)らせて笑っている。

 なんで? と唇を尖らせたアレンは、ふと視界に入ったフレデリックが目許を指して教えてくれているのに気づき、顔をしかめて眼鏡を外した。

「外すなよ。それ、ここではかけとけって言ったろ」

 急に吉野が真顔になった。

「校内の広報の奴らも歩き回ってるし、外からもゴシップ屋がたくさん入ってきてるんだ」

 ぷんとふくれっ面をしたまま、アレンはそそくさと眼鏡を戻した。

「今日の僕は、僕も、誰も知らない誰かだから――、僕の顔をした誰かの作り出す最大の悪夢を自分自身で見ずに済んで本当に良かったよ!」


 アレンはちょっとした皮肉を投げつけたつもりだったのに、吉野は「そうだな」、とほっとしたように微笑んでいた。




 

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