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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
785/805

  式典7  

 早朝から怪しげだった空模様は、彼らが右往左往している間にも王宮の上空を覆い尽くすほどにぶ厚い黒雲を広げていた。普段ならば厳しく降り注いでいるはずの陽光は遮断され、辺りは昼間とは思えないほどの鈍色に沈んでいる。

 重たげな雲を切り裂く閃光が走る。

 地上の喧騒に追い打ちをかけるように、空が(とどろ)く。

 間を置くことなく水底が抜けたような雨が、大理石の中庭に叩きつけてきた。ガラス窓は瞬く間に数多の雨粒に覆われ、室内にいる者は、鈍色の外界を屈折させる滝のごとき流れに視界を奪われた。




 そんな、この国ではめったに聞くこともない激しい雨音は、吉野のいるモニター管理室にも届いていた。だが窓辺に佇み、この突然の土砂降りを眺めるウィリアムとは対照的に、彼の関心は眼前のモニターのみに集中している。


「馬鹿が――、だから見るなっつたのに!」

 壁をずらりと埋めるモニター画面の内の一つを睨みつけ、吉野はチッと舌打ちしていた。


 そこには、しとどに濡れたガラス窓に両腕をついて項垂れた、サウードの白い背中が映っていた。

 彼はガラスの向こう側――、そこで行われていた近衛師団式典の一部始終を淡々と眺めていたのだ。自分自身の姿が凶弾に倒れるさまを見とめてからは、その場に固まったように動くこともなく。いや、姿勢を変えないだけで、背中を小刻みに震わせて。


 悲惨な場面の視覚的な刷り込みは、頭で考える以上に記憶に刻まれて傷として残る。後々、本人の思いもよらぬところで、自らの意志に反して行動を抑制する誘因となり兼ねない。吉野は、そう口を酸っぱくして止めたのだ。見るな、と。


 虚構(バーチャル)だと解っていても、平静でいられるはずがないではないか。自分が、殺される場面など――。



「サウード」

 吉野は押し殺すような小声で画面に向かって呼びかけた。こくんと頷くようにサウードの頭が揺れた。それまで何度呼びかけても反応を返さなかったのに、ようやく応答する気になったらしい。吉野は手許のパネルを操作して、画面上のサウードの頭部を拡大する。口の動きを読めるように、と考えてのことだ。

 サウードは今、その部屋に一人でいるわけではないのだ。吉野の声はサウードの鼓膜に直接響くTSネクストを通したもので、他者に聞きとがめられる恐れはない。しかし、サウードが声を発してそれに応えることは、はばかられるかもしれない。


 誰が敵で、誰が味方か――。


 内通者を炙り出すための最終テストが、今日のこの式典なのだ。その場にいるのが、これまで心を許してきた側近といえども、最後の最後まで気を抜く訳にはいかなかった。



「心配ない、私は平気だ」

 

 うつむいたまま、胸ポケットに向かって明瞭に呟かれたのは、サウードが吉野との日常会話に使う英語ではなく、自国語だった。だがそれは確かに吉野への返答だ。そして同時に、彼を見守る側近たちへの気遣いでもあったのだろうか。


 サウードは窓ガラスから緩慢に腕を下ろし、ひと息ついてから背筋を伸ばすと、振り返った。その(おもて)は毅然として、吉野が危惧したようなショックを受け苦痛を含んだものではなかった。そのうえいかにも安堵したような、穏やかな笑みさえ湛えていたのだ。


「イスハーク、今、その場で死んだのは、私ではない。あれは、父が私に(まと)わせた影にすぎない」


 イスハーク、と呼びかけながら、その(じつ)吉野に、そして自分自身に言い聞かせているのか、サウードは凛としたよく通る声で、一語一語を噛みしめるように話していた。


「これで、ようやく私は、私を喰らう父の影と決別し、自分自身を取り戻すことができた。その実感に、全身が歓喜しているようだよ、震えが止まらない」


 しばらくの間、サウードは薄い唇に笑みをのせたままで顔を伏せ、胸の高さにまであげた掌の震えを眺めていた。だがやがて、ぐっと力を込めて拳に変えた。意志では抑えられない震えを、自らの手で握り、封じようとでもするかのように。


「僕は、僕自身の目で見て、心に、焼き付けておきたかったんだ。自分が誰なのか、忘れないためにも」掠れた声にならない声で(ささや)かれたのは、吉野だけに向けられた呟きだったのだろうか。


 戸口に立つイスハークも、その他の側近たちも終始無言のままだった。ただ、この幼少のころから仕えてきた彼らの主君に対して、誇らしげな眼差しの黙礼でもって応えていた。




 モニターのこちら側では、吉野がそんなサウードの返答に驚いたようすで、ぽかん、としたまぬけ(づら)を晒していた。


「あなたの心配は杞憂でしたね」


 いつの間にかウィリアムまでが穏やかに笑いながら、吉野の方へと向き直っていた。


「そうみたいだな。あいつも俺の知らないうちに、それだけの覚悟をつけて、ここまできていた、ってことなんだろうな。なんだかなぁ……、俺だけが、変わらないみたいじゃん」


 吉野は両腕を後頭部で組んで背をのけぞらせ、ウィリアムに応えた。だが、ふと、こういう仕草が子どもっぽいと笑われるのか、と思い直して姿勢を戻し、回転椅子をくるりと回して向きなおった。


「父の影――、か。あいつ、そんなふうに思ってたのか。それなら、それを纏わせたのは王様じゃなくて、俺じゃん。あのサウードを作ったのは、俺なんだからさ」

「譲位のためと、殿下にしても、意図は充分に理解しておられますよ」


 ウィリアムが慰めるように語調を和らげて言った。


「自分に投影された親父の夢を見せつけられるんだもんな、そりゃ嫌だよなぁ。()()がなきゃ、サウードだって気づかなかったかもしれないのにな……」


 吉野は画面上のサウードをもう一度見やり、継いで別のモニターを冷ややかな眼差しで見つめる。「こっちは、」と言いかけたところで、新たに入った連絡音に口をつぐみ、スイッチを切り替えた。


「了解、任せるよ」と応じた後、吉野は再びウィリアムを見上げて頷いてみせた。


「狙撃犯2名、身柄確保を終えたそうだ」






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