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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
783/805

  式典5

 王宮では近衛師団長就任式を明日に控え、吉野はムハンマド国王に呼び出された。式の進行について尋ねたいというだった。

 一歩足を踏みいれた室内には、低く掠れた話し声と咽喉に含んだような笑い声が響き、本来ならば静寂が勝るはずの空間を騒がせていた。

 この謁見の間はすでに人払いをすませている。とはいえこうも安易な会話がなされているという事実は吉野を苛立たせた。彼は内心舌打ちした。


 窓を背にした大広間の奥には、ゆったりと金塗りの肘掛け椅子に腰かけた王が、その傍らには彼の息子が立っていた。だが父と同じ尊大な顔つきの皇太子は、サウードその人ではなくTS映像だろう。吉野はサウード本人の許から真っ直ぐにここへ来たのだから。

 

 王は入室した吉野に鷹揚に手を振って、その場で待つように、と示しただけで、映像との会話を止めることをしなかった。サウードもまた吉野を気に留めることもなく、にこやかに王のお喋りに応えるだけだった。

 吉野は重ねてチッと舌打ちした。影を相手に己の栄光を語る王が満足するまで待たされることで、貴重な時間を浪費されることが嫌だったのだ。だが王の愉しみを、自分の都合で遮る訳にもいかないだろう。そこで彼は一計を案じることにした。一礼して王の背後にある窓に歩み寄り、静かに白無地の斜光レースカーテンを開けたのだ。

 白い暴力的な光がその場を射抜くように広がった。

 

 王が不快げに振り返る。

「いまだに()()か?」、とサウードを顎で指し示す。

「残念ながら」


 吉野は微笑を湛えて応え、目を細めてサウードを眺めた。

 室内光ならば本人と違わないほどに生き生きとして見える()()も、ぎらぎらしい太陽光の下に晒されるとわずかに透けて見えるのだ。そのうえ感情のない面と相まって、まるで死人か蝋人形ででもあるかのような不気味な印象を見る者に与えてしまっている。


 興を削がれた王は、つまらなそうに重い息を一つつくと、利き手の指をちょいちょいと弾くように立て、吉野に本来の要件を話す許可を与えた。





 一通り式典の流れを説明し終えると、吉野は一礼してその場を辞そうとした。だが、ふと思いだしたように立てられた王の指先に引き留められ、その動作を止めた。


「皇太子が戻っているらしいが、明日の式典に出席させるのか?」王は緩慢に顎を突き出して尋ねた。

「ええ、その予定です」

()()では駄目なのか? せっかくの近衛全隊の揃う晴れの日ではないか。威厳ある皇太子の姿を知らしめる良い機会だのに」

「式典は屋外で執り行なわれます。御説明したように、残念ながらこの国の自然光の下では、殿下の映像は生気を感じさせない幽霊のように見えることになるでしょう。実物と違わぬほどの実在感を提供するにはまだまだ技術的に及ばず、まことに申し訳ありません」

「そうだったな――。残念だが、致し方ないようだな」


 国王は軽く眉を上げ、2、3度頷くと虫を払うように指を振った。用は済んだ、退出しろということだ。今度こそ吉野は黙礼してその場を離れた。背後では再び王の楽しげなお喋りが始まった。一夜のうちに宮殿を築きあげた魔法のランプの精のように、何もない砂漠に世界に誇れる先進的機能を持つ都市を築きあげた自分の偉業を、飽きもせずに繰り返し語り続けるのだ。

 そんな他愛ない話を聞くでもなく聞きながら、吉野は扉の前でちらと彼らの姿に目をやり一礼すると、重く豪華に装飾された扉を閉ざした。




 吉野はくるぶしまである黒のディグラの裾を翻し、微動だしない衛兵が等間隔に並ぶ長い廊下を歩いていった。しんと鎮まった大理石の回廊では、その足音も衣擦れの音さえ静寂の中に溶けていく。居並ぶ衛兵たちの表情からは彼らが何を思っているのかうかがい知ることはできない。だが――。


 これまで王宮に勤める側近の間では、今現在の王と皇太子のこれまで以上に密な関係性を良いものとして捉えていた。皇太子の長い海外留学期間に生じた空白の時間を共にクーデター事件を乗り越えることで埋め、治世者としての能力を認めて国のこれからを託すことに決めた王と息子の望ましい姿である、と。

 だが一方で、王の身辺を整える最も身近な侍従たちからは、時おり、――お茶の給仕や、何かしらのちょっとした雑用で謁見の間に呼ばれたおりに目に入る彼らの様子から、王の正気を疑うような噂話も流れ始めている。


「当然だな」と吉野は呟かずにはいられない。

 あの二人の姿を目にすれば、過去の栄光を誇る老いた王と、追従(ついしょう)で応じる優しい息子などという構図にはとても見えないだろう。

 王の願望の現身(うつしみ)のようなサウード。その姿に熱狂する王には、サウードの姿が侍従たちにどのように見えているのか判らないだろう。それに、知ろうともしないだろう。

 

 

 

 吉野はふと足を止め、明日、式典が行われる中庭に目をやった。さんさんと降り注ぐ陽光の下、敷き詰められた大理石が白く輝いている。眩しそうに目を眇め、雲一つない蒼穹を振り仰ぐ。

 と、自分でも思いがけないぼやきが彼の口から零れ落ちた。


「学年末試験、俺、間に合うのかな――」


 こんなことを気にしているなどと、自覚することもなかったのに。


 




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