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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
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  式典3 

 皆で夕食を済ませた頃、ようやくデヴィッドが帰宅した。彼は玄関から居間へとまっすぐに向かうと、溌剌とした笑みを振りまきながら、「良かった、食後のお茶には滑りこめたようだねぇ」、とアレンの客人たちに一通り挨拶する。


 ひと息ついてソファーに腰をおろしたところへ、アレンが笑みでねぎらいながら、ティーカップと、サーモンとクリームチーズのサンドイッチののった皿を差しだした。空腹を抱えたままなのではないか、と用意しておいたものだ。

 デヴィッドはこの忙しい最中でも、毎日、わざわざロンドンから戻ってきてくれている。夕食時間に間に合わないときでも途中で済ませたりはしない。日中この館に一人で過ごしているアレンを気遣い、遅い時間になっても気兼ねせずにデヴィッドと顔を合わせて喋れるようにと、口実をくれるのだ。そして、この日アレンは一人ではなかったけれど、その友人たちの訪れに、館本来の主人に代って歓待の意を示すためにも。




 歓声をあげて感謝を表した後は、デヴィッドは黙々と紅茶を味わい、サンドイッチを頬ばっていた。


 その間に飛び交っていた話題は主に、マーシュコートでの吉野とサウードのことだ。クリスやフレデリックにとっても、デヴィッドとの共通の友人である彼らの話は喋りやすいからだろう。


 だがそれは、デヴィッドにしてみれば、どうもいただけない内容だった。

 サウードの潜居(せんきょ)に関しては、ヘンリーや吉野から内密にと釘をさされているのだ。そのことを、どうやらアレンは忘れてしまっているらしい。フレデリックやクリスほどに親しい相手では、いつもは固い口も緩んでしまうのか、あるいは言わずもがな、と彼に口止めするのを忘れていたのは吉野の方なのかもしれない。

 どう誤魔化そうか――、とサンドイッチを咀嚼し終え、含んだ甘い紅茶を口内で転がしながら、デヴィッドは思考をあれこれ巡らせる。



「サウード殿下のことって――、それ、極秘情報なんだよねぇ」


 やがて、わずかに途切れた会話の隙間にナイフをすっと差し込むような一言が、デヴィッド特有の飄々とした口調で告げられた。

 アレンがあっと咽喉をひきつらせる。みるみるうちにその端正な顔面から血の気が引いていく。デヴィッドは、気にするな、と軽いウィンクを送るのだが、おそらくアレンの意識は、眼前の何もかもを真っ暗に遮断してしまって気づいていないのだろう。

 デヴィッドは軽く身を乗りだして、内緒話を囁くように楽しげに言葉を継いだ。


「でもまぁ、きみたちもまったく知らない事って訳でもないし。絶対にここだけの話にしておいてくれるなら、もうちょっと詳しく教えてあげてもいいよ」


 持って回った言いぶりで、彼ら二人の顔をぐるりと見渡す。もちろんフレデリックとクリスは、ごくりと生唾を飲み込み大きく頷く。だがちらりと見やったアレンは、顔面を蒼白にして息をすることさえ忘れてしまったように凍りつき、じっと膝の上で両こぶしを握りしめている。喋ってはいけないことを軽々しく口にしてしまった自覚に、小刻みに震えて。


 サウードがなぜ、自分と一緒にマーシュコートに引きこもっていたのか、これまで考えない日はなかったというのに――。



 そんな過剰な反応を見せるアレンはとりあえず置いておき、デヴィッドはもったいぶった調子でフレデリックとクリスを代わるがわる見据えて喋り続けた。


「覚えてるかな、ニューイヤーパーティーのヘンリー像。あれはねぇ、サラの作った立体映像に人工知能を組み合わせたものなんだけどね。今、開発中なのは――、」


「3D映像通信だよ」


 思いがけず、吹き抜けの二階から気怠げな声が降ってきた。

 飛鳥だ。眩しそうに瞼を瞬かせ、ぼさぼさの髪をかきあげている。


「あー! 僕が自慢したかったのに!」

 頭上に向かって、デヴィッドは唇を尖らせ抗議の声を響かせる。

 飛鳥は身を乗りだすようにロートアイアンの手摺りにもたれかかって「あぁ、ごめん、ごめん」と薄く笑った。そして、力のない眼差しを向けて「僕にもお茶をもらえるかな?」と小首を傾げる。


「今、起きたところなの? それともこれから寝るところ?」デヴィッドの声が気遣うような声音に変わる。次いで、咎めるような色を加えて。「また根詰めてたんじゃないの! ちゃんと休むように言われてるくせに!」

「大丈夫だよ。ほら、休憩しにでてきたじゃないか――」飛鳥は振り返ることなく、背後のコンピューター室を肩越しに指差している。

「僕の声が煩くてきみの集中力が切れたのなら、ヘンリーはきっと僕を褒めてくれるね!」


 デヴィッドは軽く嫌味を返しはしたけれど、すぐに内線で――、執事のマーカスを呼ぼうとして彼がいないことを思いだし、ちっと舌打ちする。マーカスは、サラとともにマーシュコートに留まっているのだった。



「僕が淹れてきます」


 こんなときに率先して動けるのは、やはりフレデリックだ。疲労しきった様子の飛鳥を目にすると同時に立ち上がっていた。「あ、僕が――」と、アレンもビックリ箱から飛び出すように跳ね上がった。「手伝うよ」、とフレデリックはぽんと彼の肩を叩き、揃って居間を後にした。そうしている間にもクリスはローテーブルの上のカップ類や茶菓子の皿を寄せ、飛鳥の席を確保している。


「さすが、手慣れてるねぇ」とデヴィッドは軽く口笛を鳴らした。




 キッチンへ向かった二人が戻ってくると、今度は飛鳥が、さきほどまでのデヴィッドのように、黙々と紅茶を啜りサンドイッチを齧った。


 デヴィッドが、途切れるまでの話を再開する。



「まるでSF映画の世界みたいだ! 中東にいるサウードと、こうして同じ部屋で向き合って、お茶しながら話せるなんて……!」


 一通りの説明が終わると、まずはクリスが感嘆の吐息を漏らした。継いで被さるようにフレデリックもまた。


「それでアレンの話には、いつもサウードがいたんですね。本当に本人がその場にいるみたいに話していたから、どうなってるんだろうって思っていました。まさかそんな形で、本物が()()()()()なんてね! びっくりだよ!」


 きらきらと瞳を輝かせながら視線を向けてきたフレデリックに、アレンは引きつった笑みを返し、「うん、まぁ」と曖昧に言葉を濁らせる。


 本物のサウード――。


 サウード本人があの場にいたことは、アーカシャーの開発中の新技術よりも重要な、どこにも、何人たりとも漏らすわけにはいかないほどの、秘密だったのだ。

 デヴィッドにしろ飛鳥にしろ、たわいないお喋りに紛れていたこの事実にすぐに気づき、アレンですら口にしなかった新技術の情報をあえて犠牲にすることで失態を拭ってくれたのだ。


 貼りつかせた引きつった笑みも長くは保てず、アレンの口許はすでにきゅっと結ばれている。伏せた瞼裏には、吉野の呆れたような冷めた視線が突き刺さるように映っていた。



「まだ、どんな形で製品化するか、決まってないんだ。だから、あまり、人には喋ってほしくない、っていうか――、言わないで」


 膨らんだ頬をもごもごと動かしながら、飛鳥がじっとフレデリックたちを見つめて言った。


「勿論です! 前回の見本市のこともあるし――。僕たち、誰にも、どんな所でも喋ったりしませんから!」


 クリスとフレデリックは顔を見合わせ、力強く頷き合って言った。



 彼らはアーカシャーの新技術に興奮し、期待を膨らませ、疑うことなく納得してくれている――。


 それなのに、デヴィッドや飛鳥の助力に甘えるだけで、自分一人表情ひとつ作れずこの場を取り繕うことすらできないなんて。


 その事実がますますアレンを落ち込ませ、内心の混乱に拍車をかけていた。

 





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