導線2
差し伸ばされた手を取ろうと、吉野も無意識に手を伸ばしていた。ピリッとした刺激が指先に走る。
「なに? 通信映像じゃないのか?」
眼前のアレンは両手で口許を覆い、クスクス笑って上目遣いで吉野を見ている。こんな仕草をアレンはしない。吉野は眉をしかめてデヴィッドを睨みつけた。
「さーすが! よく判かったねぇ。彼が春のイベントの目玉! 『TSモデルルームをわが社の守護天使アレンがご案内します』の案内役だよ」
「よろしく、ヨシノ」
鮮やかな唇を蠱惑的に横に引いて、アレンの顔をした映像が再び吉野に握手を求める。吉野はくっと笑いを呑み込み、この彼は無視してデヴィッドに向き直る。
「おい冗談だろ。あいつのコピーを作るなんて、俺、聞いてないぞ」
「どうしてあなたの許可がいるんです? あなた、彼のことにあれこれ口をはさみすぎじゃないですか。エリオットにいた頃はそれも仕方なかったかもしれませんが、彼だって、あなたの顔色ばかり伺ってはいられないんですからね!」
会話に割り込み、人差し指を吉野につきつけて食ってかかってきたのは、アレン、――の映像だ。吉野はしばらく無表情のまま聞き入っていたが、ふいに「これのプログラムを書いたの、誰だ?」と、クックッと笑いだしながら尋ねた。
「お前?」
「――人工知能のヘンリーだよ」
「ヘンリーが雛型を作ったってこと?」
「じゃなくてぇ、人工知能の彼が、今回のイベントに適した性格を、彼のなかに蓄積されているアレンのデータのうえに上書きして、」
「戦略的に、てことか」
吉野は「へぇー」と、感心したように、眼前の映像を上から下まで眺めまわす。細身のスーツに無造作に髪を流したこの映像は、アレン本人が人前に出る時好んで着るかっちりとした恰好よりも、よほど自然体に見える。異なる性格形成をすれば、姿かたちは本人そのものでも、別人のように違って見えるものなのだな、と面白がって目を細めているのだ。
「それにしちゃ、出会い頭はずいぶんしおらしいことを言ってたじゃないか。あやうく騙されるところだったよ」
「――彼からの、伝言ですから」
ぷっと唇を尖らせて睨みつけてくるアレンの表情は、ずいぶん子どもっぽい。
「あいつ、こんな顔することあるんだ?」
「きみの知っているアレンなんて、ほんの一面にすぎないでしょ。あの子、きみの前じゃいつも気を使ってばかりのいい子ちゃんで、言いたいことも言えないじゃん」
「そうか? 充分我がままだろ。むちゃくちゃ感情的だし、すぐキレるし。俺、殴られたことだってあるんだぞ」
「失礼な! あれはあなたが彼のことを手駒のように扱ったから当然の、」
ヘンリーは知らないはずの情報に食いついてきたこの映像を、吉野は屈託のない声をたてて笑い飛ばした。
「やっぱり! これの教育、フィリップがしてんだろ! あいつ、向こうでアレンにまとわりつかないからさ、おかしいなって思ってたんだよ!」
「お見事!」
デヴィッドが口笛を鳴らし拍手する。逆に吉野はその顔から笑みを消し、確認するように目を細めてデヴィッドを見つめた。
「て、ことは、これ、あいつの影武者も兼ねてるのか」
イベントで人工知能を搭載したアレンの映像に接客をさせる。当然、誰もがそれは映像であって本人ではない、と解っている。だが、解ってはいても人というものは、これは本物のアレンを土台にして作られたものではないかと想像し、本人も同じような人物に違いないと妄想するのだ。TSポスターのなかのアレンはあくまでイメージキャラクターにすぎない、などとは誰も思わなかったのだ。映画やドラマのなかの登場人物を現実を生きる俳優のうえに重ね覚めない夢を求めるように、差しだされたものに自らの夢を重ね、貪る。そんな彼らにとって、アレンは極上の夢だ。
アレンにしろ、サウードにしろ崇拝される偶像なのだ。本人の意思など関係なく、決して望んでいる訳ではないことを、望まれるからやり続けている。本当に欲しいのは、たった一人からの承認なのに――。
その虚像を演じ続けることにサウードの心は絶えられない、と吉野は判断して身代わりとなる映像を作った。おそらく、ヘンリーも同じように、アレンにこれ以上の負荷をかけないために、偽りの人格を備えたこの映像を制作する指示をだしたのだろう。しかし、ヘンリーがフィリップにこのアレンの教育を任せるとは、吉野にはとうてい思えなかった。
「ヘンリーは? 知ってるの?」
「もちろん。きみがしばらくここにいるから手伝わせろって言われてきたんだ」
「で、どこにいる? ケンブリッジに戻ったのか?」
「出かけてるよ。でも、夜には帰ってくるはずだよ、しばらくはここにね。アスカちゃんがいない間、つまんないからロンドンで溜まっている雑務を片づけるって」
「あいつにとって仕事は暇つぶしかよ」
「まさか! 本職じゃなくって、ルベリーニ関連」
「雑務か――」
「雑務でしょ」
どうでもいいことのように吐き捨てるデヴィッドに、吉野はくすりと笑って肩をすくめてみせた。さすがにこの会話は人工知能には難しすぎるのか、それとも自分に関係ないことには口をはさまないようにプログラムされているのか、映像は燃料が切れたようにじっと動かない。だが見ようによっては、神妙に熟考しているように見えなくもない。
「なぁ、守護天使っていうならさ、羽、ついてるの?」
視線を映像に戻し、吉野は小首を傾げて尋ねる。
「羽? 天使のですか?」映像はゆっくりと顔を傾ける。
「つけろよ。前に作った立体映像みたいなやつ。羽でもつけて本人と区別しなきゃ、あいつが可哀想だろ。今でさえ、押しつけられてるイメージを持て余してるってのに」
「へぇ、きみでもそんなふうに、彼のこと考えてあげることあるんだ? でも前は真逆のこと言ってなかった? 天使像はやめろってさ」
いくぶんか皮肉をこめて、デヴィッドが言う。また吉野はひょいっと肩をすくめた。
「これはあいつじゃない。だったら何だっていいんだよ。それなら求められるものにしてやればいい。あいつならそう言うよ」




