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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第二章
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  ガイ・フォークス・ナイト9

「学寮の上映会場は、ここであっていますか? パンフレットにのっているのと違うんですが」

「ここですよ。それは記載ミスで、雨天の場合の会場なんです。立ち見席しか残っていませんが、かまいませんか?」


 愛想の良い笑顔を湛えた受付係は、片隅の小さなスタッフテントから手のひらを向けて、オープン座席を示してみせる。三方を石塀に囲まれたパイプ椅子の並べられた狭い空間だ。だがすでに人で溢れかえっていた。この受付では、会場時間になってからいきなりチケットが飛ぶように売れ出して、つい今しがた用意した100席分が完売したところだ。


「よくここまで迷わずに来られましたね?」

 受付横でやきもきしながら様子を眺めていたロレンツォは、気になってその観光客らしい客に訊いてみた。

「これですよ。帰る前にもう一度チェックしていて気がついてね」

 と、その男は自分のスマートフォンの画面を向ける。そこには、


 『ガイ・フォークス』学寮映画上映会

 ヘンリー・ソールスベリーBGM生演奏


 と、銘打った概要、時間、そして詳細な地図までもが記載されている。


「本当は、もう帰るつもりだったんですけどね。あのアーサー王が演奏するんでしょう? これは見なくちゃ。ほら、動画サイトでも生中継が始まっている。予告アップが遅かったのって、やっぱり混雑を避けるためですか?」


 ロレンツォは狐につままれた面持ちで生返事をしながら、素早く辺りを見回した。いつの間にか、あちこちにビデオカメラらしきものが設置されている。次々と来る客の対応に気を取られ気づかなかったのだ。

 

 だが、じきに始まるというのに、飛鳥はいまだ戻ってこない。






「待て、ここからカメラの視覚に入る」

 会場前方に通じる細い裏道で、エドワード・グレイが小声で二人を制していた。

「5分遅刻だ。ロレンツォが時間を稼いでくれているから急げ」と言いながらも、エドワードは苦笑せずにはいられない。

「それにしてもすごい恰好だな」

 笑いを噛み殺し、彼はヘンリーにヴァイオリンとローブを手渡した。



 ヘンリーは、泥の散ったスラックスに、くしゃくしゃのシャツとウエストコート、ネクタイまで泥で汚れている。

 飛鳥にいたっては、泥まみれのうえに、サイズの大きすぎるヘンリーのジャケットを着て、長すぎる袖を捲り上げているのだ。


「ほらアスカ、これを飲んでおけ。少しはマシになるはずだ」

「ありがとう」


 口で言う礼とは裏腹に、飛鳥は眉をよせ、いかにも嫌そうな顔でエドワードから手の中に押しつけられた生ぬるい牛乳を見やっている。だが背に腹は代えられないと思ったのか、ぎゅっと目を瞑って一気に飲みほす。



「行くね」

「アスカ」


 スタッフテントに向かって駆けだした彼が振り向くと、ヘンリーは小さな袋を投げてよこした。


「悪いが、英国製だ」


 飛鳥は手の中のものをチラリと見ると、今度はにっこりと頷き、ポケットに突っ込んだ。


 飛鳥の姿を見つけるなり、何人かがバラバラと駆け寄っていた。

 正面中央で開演挨拶中だったロレンツォもほっとした様子で、そつなく時間稼ぎ用の話を切り上げた。




 いよいよ上映会の幕が上がった。

 小さな非常灯があるだけの闇に包まれた会場に、もわりと霧が立ち込める。順番に照らされ始めたライトによって、細かく揺れる霧の画面に、『ガイ・フォークス』の題字が映しだされた。


 オーロラのような光の上に再現されるガイ・フォークスの物語は、リアルなCGアニメーションだ。明度の高い画面の向こう側には古色蒼然とした石塀がうすらと透けて見え、何百年も昔の歴史を覗き見ているような錯覚を起こさせる。

 客席に配られた3D眼鏡をかけた観客は、時にあまりの迫力に悲鳴を上げている。3D眼鏡は使用できない立ち見客でさえが、食い入るように見入っていた。


 画面が変わる度、スクリーンが風に煽られるように揺れる。それはまるで歴史が、記憶のページを一枚一枚捲っているかのようだ。

 映像には冒頭から、静かだが荘厳なヴァイオリンの調べが追従していた。全体を暗く沈んだ音で満たしていたその調べは、ガイ・フォークスの処刑場面で最高潮に達する。


「呪われたもの!」

 客席で、誰かが小声で呟いた。


 ヘンリー・ソールスベリーを見にきた観客たちは、姿の見えない彼のことなどすっかり忘れて画面に釘づけられていた。

 画面上でガイ・フォークスは、首に縄をかけられ絞首刑にされるが、縄の長さが合わずに地面に叩きつけられていた。


 そこで映像は消え、真っ暗になった。




 ほう、とため息が聞こえ、パラパラと拍手の音がし始めたその時、正面スクリーンの手前に環状に置かれた機材から、いっせいに霧状の炎が燃え上がる。炎の中央では、幽霊のようにぼやけて歪んだガイ・フォークス人形が身もだえしながら、苦悶の唸り声をあげている。客席から恐怖の叫び声が上がる。



「ヘンリー、ごめん! 言ってなかった!」

 近づこうとする飛鳥を、ヘンリーは目で制した。飛鳥は、急いでポケットからメモを取り出すと走り書き、ヴァイオリンを弾くヘンリーに向けた。


『あと3分10秒』


 ヘンリーは視線で了解を告げ、曲の速さに若干の調節を入れ始めた。




 最後の場面は、飛鳥とロレンツォしか知らないのだ。そして、ヘンリーがレクイエムを弾くことを、飛鳥は知らなかったのだ。


 唇を固く結び、拳を握り締める飛鳥の視線の先、燃え上がる炎の後ろに、再びスクリーンが浮かび上がる。



『父よ、彼らをお赦下さい。自分が何をしているか知らないのです』

『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい』

『あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』


 画面に十字架上のキリストと強盗の言葉が、一行ごとに映しだされる。キリストの十字架と死は、罪人の救いのためであることを教える、キリスト教徒ならすぐに判る場面の言葉だ。


 言葉が入れ替わるたびに、前面の炎は小さくなり遂には消えていった。


 残されたガイ・フォークス人形に、天から一筋の光が降りてくる。光は幾筋にも広がり辺りを照らしていった。光の中に金紛が散り乱れ、ガイ人形の頭上には天使が降りてくる。


 ロレンツォ・ルベリーニを先頭に、上映会スタッフが進みでて一列に並んだ。

 その背後には、もうガイの人形も天使の映像もない。ただ金の光が舞っているだけだ。


「Quia tuum est regnum, (国と力と栄光は、)」

 ロレンツォのラテン語での詠唱に、スタッフの声が追従する。

「et potestas, et Gloria in saecula. (永遠にあなたのものです)」



 全員でローブを翻し、深く礼をして上映会は終わりを告げた。


 再び暗闇に包まれた会場には、ポツリ、ポツリと明かりが灯されていった。





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