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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
734/805

  萌芽6 

「待ちかねたよ。すぐにでも始めたいんだ。かまわないか?」

 吉野は欄干から身を乗りだして、テラス下からこちらを見あげているサラに呼びかけた。承知のうえと頷き返したサラだったが、「彼がひどくヘリ酔いしてるんだけど」どうすればいいのかと、問い掛けるように小首を傾げる。

「アレンか? 平気だろ、マーカスさんがいるしさ」

「僕が様子を見てくるよ」

 サウードが、もたれかかっていた欄干から上体を起こした。

「頼んだ」


 吉野は一言サウードに告げると、欄干から一段と身を乗りだして腕を伸ばし、「ほら」と掌をサラに向けた。

「ぐるっと回ってたら手間だろ。掴まれよ、引きあげてやるから」

「せっかちね」と、サラは笑いながらその手を掴んだ。ブロック石に片足を掛けると同時に、ぐいと身体が引き上げられる。ふわっと宙に浮くような錯覚を感じた途端、今度は体重が戻ってきた感覚に戸惑い、慌てて石の欄干に取りすがる。


「お前、軽いなぁ。相変わらず食ってないの? それともベジタリアンだからかな? お前といたら飛鳥まで食わなさそうで心配になるよ」

「関係ないじゃない。アスカの体調管理はマクレガーが気をつけてるから問題ない、って言ってたわよ」

「誰が?」

「ヘンリー」

「あいつ、自分の秘書にそんなことまでさせてんの?」

 くっと吹き出した吉野を、サラは唇を尖らせて軽く睨んだ。


「それが嫌なら、あなたが何か考えれば?」

「いや、任せるよ。マクレガーなら安心だ」


 吉野はもうサラに背を向け歩きだしている。慌てて欄干を超え、サラはその背中の後を追った。




 パソコンルームを兼ねた図書室はテラスに面している。鍵の解錠は前もって頼んでおいたのでテラスから直接入室した吉野は、屋外よりもよほどひんやりとした、圧しかかる重厚な冷気に軽く身震いする。


「しばらく使ってないんだろ? 問題なく稼働できるの?」

「使ってない訳でもないの。個人的(プライベート)でなら」

「ふうん」


 サラは使い慣れたパソコンの電源を入れ、モニターの前に腰を据える。だが吉野はモニターではなく、壁に並ぶ書架を興味深げに眺めている。


「それで何をすればいいの?」

「ん? ああ、そうだな。まずは、俺んとこの状態チェックかな。繋げるから貸して」


 サラの横の席に座ることもなく、吉野は中腰のままキーボードを叩く。


「この部屋、TSガラスは入れてないんだろ? いつもどこで動作チェックやってるの?」


 サラは真顔で首を振る。


「まさか飛鳥、作ってチェックなしで試写に回してたの?」

 

 黙したまま頷くサラに、吉野は顔をくしゃっと崩して苦笑する。


「らしいな、まったくさ。いいよ、ここで待ってて。アレンの部屋から引っぺがしてきたカーテンを取ってくるからさ」

「引っぺがし……って、」


 絶句するサラに吉野はあっけらかんと笑顔で応じる。


「びっくりだよな。まさか液状ガラスを吹きかけて、なんでもTS化だなんて思いつきもしなかったよ」

「まだなんでもって訳にはいかないって、アスカが――」

「それでもだよ。取り扱いが面倒で重量のあるTSガラスが、こんな手軽に持ち運びできるようになるなんてな。すぐにいろんなものに応用できるようになるよ。もう考えてるんだろ? 楽しみだよ、本当にさ」


 吉野は子どものように一気に喋ると無邪気に笑って、いったん図書室を後にした。残されたサラは、ほうっと吐息を漏らして緊張をほぐす。吉野といるのはいつまで経っても慣れない。緊張する。だがそれ以上に彼の取り組んでいる何かは、彼女の好奇心を刺激して止まない。今もそうだ。これから彼の作った人工知能のサウードや吉野自身を、解析することができると思うだけで――、心が浮き立って堪らなかった。そして、それに手を加えるための助言を求められていることにも。飛鳥とは違った意味で吉野もまた、彼女の意識を捉えて離さないのだ。その類まれな才能でもって。


 サラはモニター画面の中の吉野とサウードを凝視した。本人たちとなんら区別のつかない滑らかで自然な動きに嘆息する。短期間でこれほどの映像を作りあげる彼の実力に素直に感服する想いと、負けたくないという闘争心に似た何かで、胸が熱くなる。飛鳥の作品を見るときはそんな想いは湧かないのに――。吉野の仕事は、いつもサラの競争心を煽るのだ。それがなぜだか、サラ本人にも判らない。



 そんなことをつらつらと考えながら画面を眺めていたサラだったが、すぐ戻ると言った吉野はなかなか戻ってこなかった。

 ああは言っても、やはり気にかかって吉野はアレンの様子を伺いに行ったのかもしれない、とサラは手持ち無沙汰からまずはメアリーにお茶を頼み、次いで、いつもの日常的な業務に取りかかることにした。






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