醜聞9
ケネスの語った話は、やはり予想通りセドリック・ブラッドリーの意向を伝えるものだった。アレンにしてみれば、充分すぎるほどの驚愕の内容だ。とても正気とは思えない、受け入れ難い提案だといえる。
エリオットでのあの事件を、すべて手記として告白するなんて――。
もちろん、アレンへの配慮はされている。事実はゴシップ記事に書かれたような、上下関係を盾にした隷属的な合意上のものではない、ときっぱりと主張し、セドリックの一方的な暴力をアレンに謝罪するものだという。
一通りの話を聴いて、アレンは深く息を吐きながらゆるゆると首を振った。
「あの人、気でもふれたんですか?」
思わず口をついてでた冷めた一言に、自分でも驚いて視線が泳ぐ。ケネスは薄く苦笑を浮かべて、その反応をやり過ごした。
「そう言わないでやってくれ。これでも、彼はいたって正気で言ってるんだ」
ケネスは、なんとも言えない微笑を浮かべ、どこか遠くを眺めているような、そんな遠い目をして言葉を継ぐ。
「こんな話はきみには何の意味もないかもしれないけれどね、セディは、彼はとても不遇な幼年期を送っていてね」
と、切々とセドリックの生い立ちを聴かされたところで、アレンの中では何がどう変わるということもない。彼は自分に赦しを乞いたいのだろうか、とアレンは、自分とはまるで関係のない他人事、それこそゴシップ話でも聴いているように、虚ろにケネスを眺めていた。
セドリックの母親が鬱病になったのは、おそらく自分の母のせいだ。だがそれはお互い様というものだ。それよりも、プレップスクールで出逢った父親の浮気相手の息子ヘンリーに、同じ立場だということから共感を抱いたことが、彼の運命を狂わせた。
セドリックは父親を、そして母親の健康な心を見知らぬ女に奪われ、ヘンリーは母親を自分の父に、そして病因は異なるものの病に父親を奪われていた。自らの責任のあずかり知らぬところで彼らは幸福な家庭を奪われた、と思いこんでしまったのだ。
セドリックから見たヘンリーは、似たような家庭環境にあって、誰をも恨まない高潔さと、親から全く独立したようにみえる自我の強さを持っていた。彼がヘンリーにどうしようもなく憧れ、惹かれてしまったことは想像に難くない。だが、ヘンリーに捧げた尊敬と友情は、突如、予期せぬ形で裏切られ、敬愛から反転した憎悪が、たまたまその時目の前にいた彼の弟に向けられることになったのだ。
敬愛――? 違う、そうじゃない。セドリックは兄に恋していたんだ。
ケネスの話を意識の中で追いながら、アレンはふっと沈み込んでいた思索の海から顔をあげた。
恋に破れて、行き場のない恋慕の想いを自分にぶつけたにすぎない。
アレンは自分の身に起こった不幸をそんなふうに考えている。
だから、大したことじゃない、と。
「不幸自慢なら、僕だって負けてないかもしれませんよ」
アレンはふふっと口許を緩めた。ケネスの弁に耳を傾けると同時に、昨夜、吉野とよっぴいて話していたことが滲むように湧きでて脳裏を埋め尽くしていたのだ。この機会を今度こそ逃してはならない。こうしてせっかくセドリック・ブラッドリーの方から、自分たちの手の内にやってきてくれているのだから――。
「アボット先輩、僕はこの提案を受け入れることはできません。僕と、ブラッドリー先輩、双方の名誉のためにも。その代わり、僕の方から提案があります。僕が、この記事の内容は事実ではないと声明を出します」
恩を売っておくのだ、セドリック・ブラッドリーに。
何度でも。あの時のように、もう一度頼みを聞いてくれるように。雨の中、吉野の潔白を明らかにするための半ば脅迫めいたアレンの願いを、セドリックは誤魔化すことなく守ってくれたではないか。自分を慕う後輩の心情を反故にしてまで。
誰よりも知られたくなかった兄に、飛鳥に、そしてデヴィッドにさえこの事件のあらましを知られていることが分かった今、今回の暴露記事での衝撃は、すでにアレンの胸を塞いではいなかった。
今、彼の心の全てを占めているのは、そこから掘り起こされて再び脈打ちだした吉野への想いだ。どうすればもう一度彼に近づけるか。どうすれば吉野を満足させることができるのか。胸の内に燃え続ける恋慕の情の出口を、偶然にも見つけたような気がしたのだ。
吉野がアレンに望むこと。
吉野の意志に沿うこと。
アレンが無意識下でずっと望み続けた解答を、ようやく得たような気がしていた。
「起きていて平気なの?」
と、突然頭上から澄んだ声が降る。
その声に釣られて面をあげたケネスは、ロートアイアンの手摺りにぐるり囲まれた吹き抜けの二階踊り場を見あげて微笑み、ゆっくりと立ちあがった。
「初めまして、お嬢さん」
朗らかな声音に返事はない。アレンも慌ててソファーを離れ、階上を見通せる位置に移った。
見知らぬ客に驚いて姿を消したかとおもいきや、サラはまだその場に留まっている。そして、金の瞳で自分を見つめているケネス・アボットを、同じように興味津々のペリドットの瞳で見つめ返していた。




