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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
717/805

  先手6 

 ベンジャミン・ハロルドとの邂逅は、てっきりオックスフォードを訪れるもの、とアレンは思っていた。それが出かける段になって、同行してくれるクリスとフレデリックに、行き先はロンドンだと聞かされた。


「オックスフォードに行きたかったの? 観光をかねて?」

 彼の残念そうな表情の変化に気づいたクリスは、不思議そうに訊ねた。アレンはちょっと戸惑いを見せて小首を傾げ、「思っていたのと違うと、軽くパニックになるんだ」と口籠る。

「大丈夫。違わないよ。ハロルド寮長にお逢いする。目的は同じだよ」

 フレデリックが取りなすように口を挟んだ。



 オックスフォードに行きたかったのかな――、とアレンはぼんやりと自分の失望の根拠を探る。本当はアボット寮長にお願いしたかったのだ、とそんな気がした。自分だけがサウードのパーティーで彼と話す機会を持てなかったことも、心にひっかかっていたのかもしれない。オックスフォードまで行けば、なんとか本当の気持ちを言いだせるかもしれない、と漠然とした期待があったのではないか。


 ハロルド寮長にお願いするのが、嫌なわけではないけれど――。


 これで二度目だということが心の重しになっていることを、アレンは、親身になってくれている二人に告げることができなかったのだ。一度目は、サウードが一緒に来てくれた。ハロルド寮長の屋敷を訪れた経緯を思い返して、彼は、いつまで経っても一人では行動できない自分にほとほと嫌気がさしていた。




 ロンドンに向かう車中では、唇を固く結んで押し黙ったままのアレンを、問題の重大さから緊張しているのだ、とフレデリックもクリスも過剰に気遣い、まるで関係ない話で時間をやりすごしていた。




 ベンジャミンに指定されたレストランは、ロンドン中心部のコヴェント ・ ガーデンにあった。華やかだがとりたてて特徴のない赤で塗装されたドアをくぐり、予約席まで案内係に従う。広いホールをさらに進んだ奥にある、間接照明の暖色に染まる白い扉を開けると、暗い夜空に小さな星々が散りばめられた空間が広がっていた。


「アスカさんのコンサバトリーみたいだ」

「そうなの? うん。確かに、アーカシャーのTSイベントでありそうな空間だね!」

 

 最初の衝撃から醒めると、そこはTS映像の創るような果てのない世界ではなく、煌々と焔の燃え盛る大きな暖炉を中心にして広い白壁に囲まれた、閉じられたコンサバトリーフロアだと解る。壁をつたい絡まりあう蔓枝がガラス天井までも覆っているのだ。星空に見えたのは、数多の豆電球のひかえめで小さな輝きでしかない。



「気に入ってくれた?」


 いつの間にかベンジャミンが、ぼんやりとこの幻想的な空間に見とれていた彼らの傍らに笑みを湛えて佇んでいた。


「久しぶり! 皆、元気にしていたかい? こうして連絡をもらえて嬉しかったよ。やはりきみらは今でも一緒なんだね!」


 変わらぬ笑顔と温かな言葉に迎えられて、三人は代わる代わる握手を交わしながら相好を崩した。


「このレストラン、ロンドンでも一押しのデートスポットなんだよ。この天井を覆いつくすほどの蔓! 春から初夏にかけて白い花を咲かすんだ。圧巻だよ。恋人を連れてきてあげるといい。一気に株があがるよ!」


 朗らかに笑うベンジャミンを尻目に、クリスたちは互いを見合って苦笑いしている。そんな相手がいるのは吉野くらいだ――、と。

 明るく、快活だったベンジャミンらしく、屈託ない調子で始まった再会ではあったが、彼はこれから相談される内容の重さは察知していたらしい。彼の予約した席は、この美しくロマンチックな空間ではなく、その奥の個室だった。そして、そこには思いがけずもう一人、ケネス・アボットが待っていたのだ。



「彼も同席してもらってかまわないかな? 急なことで、事前に伝えずじまいですまないね。偶然、同じ問題をケネスからも聞かされてね――、別々に話しあうよりも互いの情報を交換しあう方がいいと思ったんだ」


 つい今し方までにこやかだったベンジャミンの表情が引きしまっている。その真剣な眼差しに、願ったりだとアレンたちも浮ついていた心を落ち着かせて深く頷く。


 注文を終え、さて、どこから話すべきか、とアレンはもどかしげに友人と、二人の元寮長たちを見回した。その視線をすぐさま捉えたケネスが、にっこりと微笑む。


「それにしても、今さらまたセディと銀ボタンくんの鞘当てでこうして集まることになるなんてね。カレッジ寮きっての問題児は健在だね」

 

 昔のままのアボット寮長らしいサラリとした悪気のない嫌味に、クリスとフレデリックは軽く肩をすくめている。アレンだけが、かすかに顔を歪めていた。

 

 かつても、今も同じ。セドリックと自分たち――、フェイラーの問題なのだ。

 あの頃の吉野は、すべてを知っていたわけではない。それにもかかわらず、何も知らなかった自分を助け、守ってくれていたのだ。



「これはヨシノの問題じゃありません。僕たちフェイラー家の問題です。今回は彼の手は借りません」


 自分たちのことは、自分たちで片づけろ――、そういうことなのだ。



 吉野が信じてくれているのなら期待に応えたい。そんな気負いに溺れそうな意気込みで、アレンは喋りだしていた。


 





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