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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
713/805

  先手2

「ヨシノ!」

 玄関を出たところで、息せき切ってくるアレンに呼ばれた。

「どうしたの、お前?」

 真っ赤な顔をしてぜぇぜぇと呼吸を整える姿に、吉野は唖然としている。

「きみが、帰ってきていると聴いて――」


 良かった、間に合って、と呼吸を整える合間合間に告げるアレンは嬉しそうに微笑んでいる。


「用事でもあった?」

「用事がないと、逢いにきちゃいけないの?」

「いや、俺、これからフラットによって、お前らの顔見てからロンドンに戻るつもりだったからさ」と吉野は答え、「良かったな、すれ違いにならなくて」玄関のドアをもう一度大きく開ける。

「休んでいくだろ?」



 アレンはティールームに用意してもらった温かな紅茶を昂っていた神経を落ち着けようと、ゆっくりと噛みしめるように口に含む。ほぼひと月ぶりの吉野を前にして、上手く言葉がでてこない。一度英国に戻り、それからまたすぐにサウードの国に行く――、と聞いたからこそ、こうして焦って駆けつけてきたというのに。


「なぁ、お前、しょっちゅうこっちに戻ってきてんの?」

「毎週末に。平日は、時々かな」


 飛鳥さんのことが気になるんだ――、とアレンは意識の片隅で呟き、言葉を継ぐ。


「TSインテリアの技術的なこととか尋ねたり……。アスカさんはあまり外出されないから、気分転換になるかな、って人気の店のスイーツを差し入れたりも」

「スイーツって――。女のご機嫌取るみたいだな!」


 吉野に喉を震わせて笑われ、アレンは不愉快そうに軽く眉根を寄せた。


「きみが、」


 心配しているかと思って、代わりに様子を見にきているんだ、と言いかけて、止めた。アレンはそんな建前を自分への言い訳にして、ただ飛鳥に逢いたいだけなのだ。子どもの頃の話、日本での話、アレンの知らない吉野の話を誰よりも知っている彼の兄から聴きたくて。その代わり、アレンはエリオットでの吉野の思い出話を飛鳥に語る。――こうして思い出を共有しあうこと。それがヘンリーがこの館を空けてからの、二人の週末の楽しみなのだ。


「なぁ、あの二人さぁ、上手くいってんの?」


 独り言のように呟かれた言葉に、アレンはぎょっとして目を瞠る。


「僕とアスカさんは、そんな上手くいくとか、そんな関係じゃ……」

「何言ってんの、お前? 馬鹿だな。お前と飛鳥が馬があうのは前から知ってるよ。俺が言ってんのは、サラのこと」

「え?」

「あいつら恋人同士なんだろ? 婚約までしてるんだからさ。ヘンリーもいないし、まぁ、マーカスやメアリーに気ぃ使ってんのかもしれないけどさ、二人っきりみたいなもんじゃん。それなのになんで二人とも黙々と、別々に自分の仕事こなしてんの? どうみても変だろ!」 

「――そうかな? あまり気にしたことなかったから」


 そもそもアレンは自分がここにいる折に、彼女と顔をあわすことさえ少ないのだ。食事を一緒に取る時くらいだろうか。

 困惑して瞬きを繰り返すアレンを見て、吉野は呆れたように嘆息している。


「それに、喧嘩してる、って思ったこともないよ。アスカさんも、彼女もいつも普通に話しているし」

「だからさ、早い話、婚約前と空気が何も変わらないってこと」

「空気――」


 オウム返しに呟いたアレンを見据えて吹き出しそうな笑いを押し殺し、吉野はカップを口に運んだ。


 世界中から愛される大天使は、世俗の恋愛とはほど遠い高みにいらっしゃるらしい――。


 そんな嫌味ともつかない想いが、吉野の脳裏を過っていた。


 しょせん学生時代の好きだのなんだのの想いなんて、一過性の麻疹にでもかかったようなものにすぎないのだ。このどこかズレた大天使に、恋だの愛だのの話は通じはしない。



「お前、姉貴と連絡取ってる?」

「姉? キャルと?」


 アレンは軽く頭を振った。あまり考えたくない名前だけれど、吉野が話題を変えてくれたことにほっとしていた。サラのことはやはり、アレンにとって考えることすらタブーに近い、そんな位置づけだったから。


「あいつ、アメリカに帰らないんだよ。ボブがボヤいてた。ロンドンでお貴族さまを連れ歩いて女王さま気取りで遊びまくってるって。まったく、女ってのは――」


 さぁっと血の気の引いたアレンを見て、吉野はすまなさそうに苦笑する。


「お前、こういうことにはカンが働くんだな。どうせ隠しててもバレる話だしな。このためにわざわざ戻ってきたんだ」


 アレンは神妙に頷く。吉野の言いたいことを察したのだ。なぜ自分とお茶を飲む時間を取ってくれたのかも。


「僕が説得して、キャルをロスに返せばいいんだね? 彼と引き離して――」

「頼むよ。ゴシップ屋にすっぱ抜かれる前にさ。お前にこんなこと頼むのは嫌なんだけどさ。あいつ、俺のこと無視ってて連絡つかないんだ」



 きみの気を引きたいんだ。困らせて、もっとかまってもらいたいんだよ。


 あの姉らしいと、アレンは深く息をついた。それに自分への嫌がらせもあるのかもしれない、と。彼女はどこまで知っているのか――、想像するだけで眩暈がしそうだった。




「でも、あいつとは拘わるなよ。姉貴に忠告してくれるだけでいいからな」


 深く沈んだ吉野の声に、アレンは伏せていた面を上げる。


「心配いらない。この件は僕に任せて。僕たちの、フェイラー家の問題だもの」


 物怖じする様子のない艶やかなアレンの微笑みに、吉野もほっと笑みを結んだ。


「そろそろ行くか。こっちに来てるのに顔ださないと、あいつら煩いんだ」


 肩をすくめてボヤく吉野を、アレンはクスクスと笑う。


「顔を見せるだけ? きみと話せる時間がなかったら、後からボヤかれる相手はきっと僕だよ」

「泊まってくよ。明日、教授にも顔見せてから戻るよ」


 逆に驚いたように見つめたアレンを、吉野はいたずらっ子のように目を細めて笑った。


「だから驚いたんだって。これから行くってのに、お前、血相変えて走ってくるんだもん。俺、ちゃんとメールしたぞ。見てないんだろ?」






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