イベント2
コンサバトリーの窓に広がる真っ白な雪景色を、飛鳥は毛足の長いラグの上で胡坐を組んで眺めている。彼の横ではヘンリーが、片膝を立てて頬杖をついている。
「アスカ、お茶にしましょう」
彼らの背後から声をかけたサラは、大きなトレイにティーセットだけでなく、三段ティースタンドも載せている。振り返った飛鳥は慌てて立ちあがり、彼女から奪い取るようにトレイを取った。
「きみも気が回るようになったじゃないか」
床に座ったままのヘンリーは、上半身を捻って二人を見あげ、クスクスと笑っている。
「ヘンリーはそんな意地悪な言い方はしないわ」
「きみにはね」
「僕にもだよ。彼はきみよりもずっと紳士だよ」
飛鳥も苦笑してサラに追従する。
「調節が難しい。あんまり優しいヘンリーにするとデイブが偽物って言うの」
「やれやれ、失礼な話だな」
トレイを囲んで腰をおろした二人にむき直り、TS映像のヘンリーは顔をしかめている。その上「アスカ、」との呼びかけとは裏腹に、サラの前に置かれたティーカップを眉を寄せて睨んでいるのだ。「僕のは?」と不満げな声をあげて――。
「きみは飲めないだろ?」
「飲めなくても露骨に無視されるのは不愉快だよ」
「違うな。彼ならもっと上手く当てこする」
飛鳥は冷めた口調で言いながら、自分のカップにお茶を注いでいる。映像は思案げに首を傾げている。
「ヘンリーは今頃何をしているのかしら?」
「ロンドンとニューヨークの時差は五時間。あちらは午前十時だから、彼は支店に出勤して、」
「口数も多すぎる」
「そうかな?」
涼しい顔で微笑んでいる映像を、サラはにこにこと見つめている。飛鳥は不機嫌そうにケーキを摘まむ。
「サンドイッチからだよ。きみはそうやってすぐに糖分だけで済ませようとする」
「よく知ってるね」
「彼がいつも言っているもの」
「僕のいないところで?」
どこか拗ねたような飛鳥の言いように、サラはひょいっと肩をすくめた。
「いるところでも言ってるよ。きみが聴かないだけで。僕は彼に同情しているんだ。きみは彼の忠告をちっとも聴きやしない。彼の心労は溜まるばかりだ。こうして僕が必要になるほどにね」
「これもヘンリーが言ってること?」
露骨にしかめられた飛鳥の渋面をサラは上目遣いに見やって、軽く笑って受けとめる。
「サンドイッチから――。それはヘンリーが、私にいつも言っていることなの」
「きみたちは、ともすれば糖分だけでこの世を生き抜こうとするからね」
「羨ましいんだろ? 自分が食べられないものだから」
「興味ないね」
「アスカ、人工知能相手にムキにならないで」
「僕はかまわないよ。この会話は記録され、そこからまた僕の思考にフィードバックされる。その過程でニューヨークにいる彼も、大いに笑ってくれるに違いないからね」
「さすがヘンリーだね」
飛鳥は大きく息をついた。苦笑いしながら胡瓜のサンドイッチに手を伸ばす。
新年のパーティーの翌々日には、本物のヘンリーはニューヨーク支店へすでに飛び立っている。彼は飛鳥たちと分かれて自室に戻り、先にサラを休ませてから、ほとんど眠らずにラスベガスの見本市に加えることになった変更について、デヴィッドと打ち合わせていた。
翌日にはサラも加わって。だが、映像面の問題はないので飛鳥は呼ばれなかった。「せっかくの休日だよ」と、吉野とすごすようにと勧められた。それは特に不思議なことでも、飛鳥に気を遣ってのことでもない。彼の担当分野の話ではない、というだけのことだ。だから飛鳥もありがたくその通りにさせてもらった。
新年は吉野たちのフラットに行き、弟の作ってくれた雑煮を食べた。アレンや、フレデリック、クリスとともに。
そうして館に戻ってみると、本物以上に口煩い映像が、このコンサバトリーで飛鳥を迎えてくれた次第だ。
映像と並び立つヘンリーは飄々とした様子で、「データを蓄積中だからね、しっかり彼を躾けてやってくれる? なかなかに生意気だからね。よろしく頼んだよ」と、他人事のように笑って言い残し、米国へと旅立っていったのだ。
「僕は今のままでも充分だと思うけどねぇ。本人からしてみると、許せないらしくて」と、遠ざかる車を見送りながらデヴィッドが肩を震わせて笑っていた。
彼はヘンリーに遅れて、見本市の直前に渡米することになっている。それまでのわずかな時間を、この映像の調整に充て追い込みをかけたいらしい。
飛鳥はウイスタン校の寮ですごしていた時だって、朝から晩までまる一日のこんなにも長い時間を、ヘンリーと過ごしたことはなかった。
いくつか目のサンドイッチを無意識に口に運び、飛鳥は向かいに座る映像を盗み見る。映像だと解っていても、まじまじと見つめる事を失礼だと思ってしまうほどの、その気品にため息が漏れる。
「ほら、同じものばかり食べてないで」
また映像に文句を言われた。
これは本当に、本人の頭の中を模したデータに基づいたものなのだろうか、と飛鳥はちらりと、彼をプログラミングしたサラを睨んだ。




