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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
686/805

  花火7

 空中画面を呆気にとられた眼差しで食いいるように見つめているアレンの横で、飛鳥は口許を片手で覆って肩を小刻みに震わせながら、必死に笑いを堪えていた。サラは、そんな二人から少し離れた位置から、遠隔操作用タブレットを無表情に睨みつけている。

 なんともちぐはぐな三人が、それぞれに異なった反応を示しているスィートルームのリビングでは、彼らの沈黙のうえに、画面内の耳障りな声と、さざ波のような笑い声ばかりが響いている。



「どうして皆、笑うのかしら?」

 タブレットから面をあげて、まずモニター画面に、次いでそれを見上げている二人に視線を移し、サラは小鳥のように小首を傾げる。

「皆、映像のヘンリーを笑ってるんじゃないよ。笑いを買っているのは、こっちの彼の方」

 飛鳥は、できるだけ真顔を装って、画面上でTS映像のヘンリーと対峙する一人の男を指差す。


 

 つやつやと光沢のあるミッドナイトブルーのタキシードに、白のドットのボウタイ。わざと短めにしているらしいトラウザーズの裾と、オペラパンプスの狭間に素足の肌がチラチラと覗く。


 初め飛鳥は、靴下嫌いは父親譲りなのだろうか、と妙に浮いた感じのある彼の正装姿に注目し、首を傾げていただけだったのだ。そのうち人口知能映像だとは気づかない彼と、映像(ヘンリー)の間にあまりにもちぐはぐな会話が始まり、我慢しきれず必死で笑いを堪える羽目に陥ったのだ。


「この人、兄の、いえ、この映像の兄の言うことを、本当に聴いているのでしょうか? 会話になってないですよね」

 アレンもさすがに呆れたのか、眉根をよせて深く息をついている。

「彼の方がよほど、プログラミングされた会話をそのまま繰り返しているみたい」

 サラも興味津々といった様子で飛鳥の横に席を移り、しげしげと画面を見上げる。





「もしかしてきみは、英語が通じないのかな?」

 皮肉げに唇を歪める映像(ヘンリー)の周囲を取り囲む紳士淑女のそこかしこで、またもクスクスと失笑が漏れている。

「あなたのおっしゃることは誰よりも良く理解していますよ、ハリー。僕とあなたの仲じゃないですか!」

 大袈裟な身振りでロバート・カールトンは腕を広げる。

「それは失礼。どうやら英語を解さないのは僕の方だということだね」




 そんな一群の背後の壁面で、背丈と変わらぬほどに華やかに飾られた花瓶の陰に隠れるように佇んでいたデヴィッドは、眉をひそめてこの成り行きを見守っていた。


「何がハリーだ、図々しい。僕の方が先にキレそうだよ」

「まったくだな」


 思いがけない返答に訝しげに視線を滑らせる。いつの間にか傍らにロレンツォが立っていた。漆黒の瞳だけを煌めかせて、無表情に彼らに視線を向けている。


「よくあいつがあんなのを相手に我慢してるな」

「ああ、きみでも判らないんだ?」

 

 デヴィッドはにっこりすると、彼の肩を引き寄せ、背伸びして耳打ちする。


「大したものだな! あの口調、嫌味っぽさ、あいつそのものじゃないか!」

「今の言葉、そのまま本物に伝えといてあげるねぇ」


 感嘆するロレンツォに、デヴィッドは満足そうにヘーゼルの瞳をくるくると動かして、ころりと機嫌をも直したように微笑む。




「いい加減にしてくれないか」


 会話に気を取られている間に何があったのか、映像(ヘンリー)の冷ややかなよく通る声が、突如響いた。無意識に足を踏みだしていたデヴィッドの肩を、ロレンツォが引き戻す。

「アスカたちが制御しているんだろう? このままどうするか見せてもらおうぜ。その方が楽しめる」

「でも、あれを怒らせるなんて、何が、」と言いかけて、ちらりと目を向けたロレンツォには、すでに黒服の男が顔を寄せて何やら耳打ちしている。彼は手っ取り早く聞き逃した状況を、部下に確かめているようだ。




 この間にもロバートは、事業がどうの、出資がどうのと手前勝手なことを、周知の事実のように声高に喋っていた。対する映像(ヘンリー)は、「覚えがない」「馬鹿馬鹿しい」「僕は月世界に出かける予定はない」だの、あくまでも冷たい。


 ここまでくると周囲もさすがに困惑し、互いに顔を見合わせこの場を離れるべきかどうか、と思案しているようだ。

 ここにいるヘンリーは、ここまで完成している人口知能映像の発展具合を楽しむためにアーカシャーHDが用意したパーティーの余興に過ぎない、と知っている連中だけが、にやにやと事の成り行きを見守っている。


 ともあれ、この会話の真意がどちらの側にあろうと、このような場所で無関係なゲストに取り囲まれて交わす内容ではないことだけは、誰もが承知していた。冷たくあしらわれているロバートよりも、無知な野蛮人とさえみえる珍客に絡まれているヘンリーにこそ、誰もが同情を禁じ得なかったのだ。



「どうするべきかな」

 人垣の隙間からその様子を窺っていたクリスは、困惑した様子で傍らのフレデリックの腕を引いて輪から距離をとり、人混みを避けて窓際へ寄った。

「さすがの人工知能でも、あんな輩を追い払うのは難しいんじゃないかな? 見ていて不愉快だよ」

 厳しい表情のまま、彼らの様子を気にかけて群衆から視線を逸らさないでいるフレデリックに同意を求める。

「本当にどういうつもりなんだろうね、あの彼。あんな礼儀をわきまえない人が世界有数の大企業のCEOの息子だなんてね」

「え! 誰?」

「リック・カールトン。きみ、知らなかったの?」

「嘘だろ!」


 思わず叫んだクリスの声をかき消すように、今までいた一角でも悲鳴とどよめきがあがっていた。


「あ、ほら、大丈夫みたいだよ。『知ったら終い』。彼は映像だって、ネタばらししたんじゃないかな」


 どよめきが収まると、今度は称賛の拍手が響いている。二人は顔を見合わせて、ほっと胸を撫でおろした。


「デヴィッド卿かな。やっぱり、さすがだね!」

「本当に。アスカさんたちだって、この展開は予想できなかっただろうしね」


 それにアレン、きみも。


 フレデリックは物思わしげに息をついた。


 アレンに見せられた米国のゴシップ記事を思いだしていたのだ。その後、自分でも念を入れて調べてみた米国での吉野やキャルの話題に、常に名前が挙がっていたロバート・カールトンのことも。

 その本人をこうして目にして、また、初めて間近に接したキャルの噂以上に強烈な性格に対しても、アレンが否応なく巻きこまれ翻弄されていくのではないかという不安が、彼の胸中に黒雲のごとくわき起こっていたのだ。






トラウザーズ:タキシードのジャケットと同生地のパンツのこと。

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