花火6
「よく来てくれたね」と、にこやかな笑みを湛えて鷹揚な所作で抱擁を交わすサウードに、フレデリックも、クリスもそれまでの緊張を忘れ、相好を崩している。
「招待ありがとう、サウード。さすがに、すごい顔ぶれだね」
感嘆の息を漏らしながら、クリスは瞳を輝かせて広い会場を見渡す。
煌めくシャンデリアの下には、各国の駐英大使を始め、著名な政治家、実業家が、グラス片手にそこかしこで歓談している。煌びやかなドレスに身を包んだ、メディアでしか拝んだことのない芸能人までもが、当たり前に豪奢な絨毯の上を歩いているのだ。
「きみの国を訪ねた時とは、また別の緊張感があるよ」
表情をひき締めるフレデリックに、サウードは穏やかな笑みを湛えたまま、「紹介して欲しい人がいたら、いつでも声をかけて」と告げる。そうしながらも、いつの間にかその背後に陰のように立ち、身を屈めて何やら囁いているイスハークに頷き返している。
「ゆっくり話もできやしない。また後で。楽しんでいて」
サウードは残念そうに微笑むと、従者に続いて静かに人混みに消えていく。
夏のクーデター騒ぎから、まだ半年やそこらしか経っていないというのに、ロンドン中で新年パーティーが行われているこの日に、これだけの顔ぶれを集めている。それは文字通り、この国がこれまで以上に国際基盤を固め、注目されているということの証だろう。外交手腕に長けていたアブド大臣の失脚すら、ものともしないほどに。変革のただ中にあるこの国の国家レベルの開発事業は、他人事ではなく参画する外国資本にも多大な利益をもたらすのだ。威厳と余裕を醸しだす財界人と思しき面々の上に、フレデリックは、サウードが推し進めている事業の大きさを推し量らずにはいられなかった。
そういえば、ここしばらく吉野自身のことばかりが気にかかって、テロ被害後の太陽光発電プラントがどうなったか訊いていない。と、厳しい表情を浮かべて、その場に沈み込むように思索に落ちていたフレデリックは、はぁ、と傍らで深くつかれたクリスのため息にはっとして、友人を振り仰いだ。
「サウード、皇太子らしい貫禄がでてきたね」
すでに姿の見えないサウードの残した独特の余韻に酔ってでもいるかのように、クリスは深く息を吸い込み、呟いた。
「確かにね。もうこれまでのように、友人です、って大きな顔をしていられないな」
「そんな淋しい事を言ってやるなよ。あいつ、がっかりするぞ」
同時に肩に回された腕の重みに、フレデリックは笑って振り返った。
「ヨシノ、」
だが、友人の傍らにいる紫のタイトなドレスに気づき、彼は笑みを消して背筋を伸ばす。クリスは事前に聞いていなかったのか、眼も口も開きっぱなしでぽかんと彼女を見つめている。さすがに失礼だろ、とフレデリックは靴先で友人の靴をさりげなく小突く。
「会うのは初めてだったかな? アレンの姉貴だよ。キャロライン・フェイラー」
「キャルでいいわよ。この名前、嫌いなの」
素っ気ない口調で、しなやかな手が伸ばされる。長い睫毛に縁どられた、ヘンリーともアレンとも共通するセレスト・ブルーの瞳。白皙の肌にかかる蜂蜜色の艶やかな髪も兄弟と同じ。どちらかといえば、面差しはヘンリーよりもアレンに似ているかもしれない。だが、彼らの良く見知っている兄弟とは受ける印象がかけ離れている。
確かに彼らと同じく、ひと目で人を惹きつける美人ではある。だが、勝気そうな瞳に、高慢気な口許に、どこか人を気後れさせる傲慢さが漂っているのだ。
その違いに戸惑いながら、紹介された彼女とフレデリックたちは型通りの挨拶を交わした。
「ああ、あの失礼な本を書かれた方ね。あまりにも作り話臭くて、私、途中で読むのを止めてしまったわ」
返答に窮して苦笑するフレデリックから、すぐにキャルは退屈そうに視線を逸らす。
「アレンは来ていないの?」
おざなりの握手の後は、もう彼女の関心は彼らのうえにはないようだ。
「あ、彼なら、」
言いかけたクリスの靴先を、今度は吉野が踏んだ。
「言ったろ? あいつはこういう場が苦手だからって」
「相変わらずの甘ったれね。そんなのでフェイラーを名乗っているなんて情けない。お祖父さまがお聞きになったら、きっと――」
踏まれた足の痛みよりも、延々と続きそうな、そのとげとげしいもの言いにクリスは唖然としている。その間に、吉野は彼女の細い腰に腕を回し、人混みに足を踏みだしていた。肩越しに振り返り、軽くウインクして「後でな」と唇の端に笑みを残して。
嵐が去ったばかりのような虚脱感に襲われて、クリスは目を大きく見開いたまま友人の腕を強く引いた。
「もしパリス役を命じられて、どちらが最高の美人か選べって言われたら、僕は同性でも絶対アレンだな。なんて言うのかなぁ。彼の美貌って特別なんだね! 天上の、なんて形容できるのは彼しかいないよ!」
「それは言っちゃいけないことだよ」
フレデリックは眉をしかめ、小刻みに面を横に振る。
「そりゃ女性に対しては失礼かもしれないけど、でも実際に、」
唇を尖らせるクリスの耳許に口を寄せ、ついでに念をいれて手で覆いまでして、彼は囁いた。
「ヨシノがもう言った! 彼女、切れまくってたって話だから。米国じゃ、ゴシップ誌のネタになるくらいの事件になったらしいよ!」
思わずクリスの口許が緩んでひくつく。間を置いてゴホッ、ゴホッ、とわざとらしく咳払いをし、「いや、やっぱり、うん、そうだね!」と意味もなく話を結ぶ。フレデリックは素知らぬ顔だ。
と、会場の一角でどよめきがあがる。
「あ!」
二人顔を見合わせ、頷きあう。花火以上の賑わいとなるに違いない今晩の余興をその目に収めるために、フレデリックとクリスは肩を並べて、そのざわめきの中心へと足を向けた。




