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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
684/805

  花火5

 ケネス・アボットは、吉野たちがエリオットの三学年生時の寮長で、今はオックスフォード大学生だ。

 その頃の吉野は、アボット寮長よりも同時期監督生代表だったパトリック・ウェザーと親しくしていたため、飛鳥はその名前を吉野の口から聞いたことがなかったらしい。


 口々に思い出を語りあうクリスやフレデリックたちの中で、アレンだけが微妙に表情を強張らせたまま浮かない様子でいる。飛鳥はそんな彼が気にかかり、さりげなく事情を訊いてみた。


「アレン、きみはその寮長が苦手だったの?」

「あ、そうではなくて……」

 ぱっと目を見開いた彼は、困惑した様子で言葉を濁す。

「彼は、例の誘拐事件の年の寮長で、生徒総監を兼任されていたんです。僕たち、とても気にかけて頂いてお世話になっていたんです。でも、懐かしさよりも、事件そのものを思い出してしまうんだね?」

 アレンではなくフレデリックが淀みなく応え、慰めるようにアレンの肩に手を置いた。優しげな、それでいて毅然としたフレデリックの瞳を、当の本人はぼんやりと見つめ返している。


「そうだったね。アレンもだけどさ、きみだって、あの時は怪我をして大変だったものね」

 クリスはしみじみと頷いて、ため息をつく。


 ふと目をやったヘンリーは、ソファーの肘かけに寄りかかり、じっと考え込んでいるようだ。サラだけが、訳が解らない様子できょとんとしている。


「それで、その寮長ときみの妹を引きあわすって?」

「彼の父親は、金融犯罪捜査のエキスパートなんだ。その辺りじゃないかな。僕も詳しくは知らない。ヨシノにしても、たやすく話せる事情ではないんじゃないのかな」


 もの思わしげなヘンリーの言いように、クリスも、フレデリックも納得するように頷いている。


 彼らは吉野とヘンリーの妹の関係を、ゴシップ誌で取り沙汰されているようなものとは受け取っていないのか、と飛鳥はそんな彼らの反応に安堵を覚え、心の重しがとれたように感じていた。だからだろうか。自由になった心の余白に、浮かない顔のままヘンリーを見つめている、アレンの不安定な視線が刻まれ、気にかかって仕方なかったのだ。

 後でそれとなく聞いてみよう。事情はどうあれ、彼は、吉野の動向を気に病んでしまうのかもしれない。これまでそうであったように。

 飛鳥はこれ以上この話題を追及するのは止めにして、その頃の吉野の学校生活に話題を振り替えた。





 パーティーが始まるまでの残り時間は、エリオットでの思い出話に花が咲いた。もう時効だとばかりに明かされる、当時の吉野のやんちゃぶりを、飛鳥は目を白黒させながら聞かされる羽目になった。


「本当に……! とんでもないよ、あいつは!」

 飛鳥の呆れ声に、さすがにちょっと喋りすぎたかな、とクリスは天を仰ぎ、その横のアレンは目に涙を溜めて笑いを堪えていた。

「僕は知らなかったよ! そんな事までしていたなんて! うん。でもなんとなく覚えている。皆、日本製のお菓子をよく食べていた」


 一学年生の、まだアレンが吉野のことをあまり知らなかった頃の話だ。入学したての吉野は、日本から送られてくる菓子の山で、あっという間に寮生を餌付けし、商売まで始めていたのだ。


「あいつ自身は、食事をしっかり取る派だから、間食はあまりしないんだ。だけど、お年寄りにやたらと受けが良くてね、しょっちゅうお菓子をもらっていたんだ。学校帰りとかにさ。まさかこっちに来てまでそれが続いていたなんて、知らなかったよ!」

「あの頃からヨシノは、他の奴らとは違っていたんですよ」

 クリスは渋面をする飛鳥を取りなすように、笑っている。

「僕はずっと彼に憧れていたなぁ。あの行動力。突飛のなさ。ずば抜けて頭がいいってこと以上に、有無をいわさず人を惹きつけるあの引力!」

 言いながら、クリスはその瞳に力を籠めていた。

「彼のような男は、絶対に敵に回しちゃいけない。本気でそう思いますよ!」

 その視線は、真っ直ぐにヘンリーに注がれている。だがヘンリーはそれにすら気づかない様子で、物憂げに窓の外を眺めていた。



「そろそろ時間かな」

 フレデリックが自分の腕時計を確認して呟いた。

「楽しんできて。サウードに、それにアボット寮長によろしく」

 無理に笑みを作り見送るアレンに、フレデリックは軽く頷いて「きみも。花火には戻ってくるつもりだから」と、どこか緊迫した視線で応える。

「無理しなくていいよ」

「きっとすぐ戻ってくるよ! 大使館主催だもの。サウードやアボット先輩くらいだろ? 僕らが気軽に話せる相手なんてさ! せっかくだからさ、雰囲気だけ味わってくるよ!」

 クリスもやはり緊張気味に、壁の姿見の前でブラックタイを直している。


「じゃあ、アスカ、」

「うん。楽しんできて、ヘンリー」


 ヘンリーは傍らのサラの額にキスを落とす。


「サラも。花火までに戻れるかは約束できないけれど、楽しんで」

「私もパーティーに出席よ。ここからね。だって、映像を監視しなくちゃ」

「そうだった。よろしく頼むよ。お手柔らかにね」



 三人が部屋を後にすると一気に空気が緩み、残るそれぞれの口からため息が漏れた。


「学校って不思議なところなのね」

 ぽつりと呟やかれたその言葉に、飛鳥は小さく息を呑む。

「僕もエリオットに入るまでは、家で家庭教師についていたよ。大嫌いだった」

 サラに応えたというにはあまりにも抑揚のない口調で、アレンが話を継いだ。

「私の授業はオンラインだったの。楽しかったわ」


 広いリビングルームの、大人数用の広いソファー。その端と端に腰掛けるアレンとサラ。常ではないにしろ一緒に暮らしてきた日々は少なくはないのに、自分を含め、この三人だけが同じ空間にいたことが今まであっただろうか?

 

 飛鳥は今さらながら、この歪で不思議な姉弟関係を意識して、緊張を覚えずにはいられなかった。





 

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