花火
新年の花火の打ち上げ前後はテムズ川沿いの中心部道路は封鎖されるからね、と教えられ、飛鳥たちは、かなり早い時間にケンブリッジを出発して目指すホテルを訪れた。
ホテル内で遊んでいればいい、と言われはしたが、一年の集大成ともいえる大イベントを目前にして、華やかに浮足立った多彩な利用客で賑わうホテル内を散策するなど、当のヘンリーが許してくれるとも思えない。打ち上げ時刻までの長い一日をどうすごそうか、と頭を悩ます飛鳥の胸中などおかまいなしで、サラは初めて訪れた豪奢なホテルのリビングルームに歓声をあげ、高揚感に胸を躍らせながら大きな窓越しに迫る大観覧車を眺めては、感嘆の吐息を漏らしている。
「画面の中で見るのと変わらないはずなのに、実際に見ると全然違って見えるのね!」
「そうだね、きっと体験するって、五感すべてを使って味わうことなんだと思うよ」
「バーチャルではもの足りないってこと?」
窓辺に張りつくようにして外を眺めていたサラは、長い睫毛を瞬かせて飛鳥を振り返った。自分で言った言葉に自分で驚いている飛鳥に、サラは小首を傾げている。飛鳥は自分自身に言い聞かせるように言葉を探す。
「視覚は認識の八割を担っているからさ、もの足りないってことはない、――と思う」
テレビやパソコンから得られる情報と、実際に眼にする情報に落差を感じるのは、それがそもそも雑多な日常の中での縮小された視覚情報にすぎないからだ。映画の中の俳優に実際会ってみると、思ったよりも背が低かったり痩せすぎていたりで、違和感に驚かされることが多々ある。映像画面の誇張や歪みのせいだけではない。自分の思い込みに基づいて人は記憶を修正する。
画面の中の映像、記憶の中の映像、そして実物。どれも同じもののはずなのに微妙に差があるのだ。
その中で実物こそが本物なのかと問われれば、おそらく違う。らしさを誇張されたものの方を、人はなんなく受け入れる。それならば――。
黙り込み、自分の思考の中に埋没してしまっている飛鳥を、サラは唇を尖らせて呼んだ。
「アスカ! もう、三回呼んだ!」
「まだ二回だよ」
「聞こえているなら無視しないで!」
「ごめん、ごめん」
「ごめんは一回でいいの!」
ぷっと膨れっ面をするサラを、かわいいと思う。思わずにやけてしまった飛鳥に、サラはますます腹を立てる。
「デイヴやアレンはいつ来るの? 道路は閉鎖されるんでしょう?」
「そうだね、何してるのかなぁ」
「アスカはすぐに仕事の事を考えだすでしょ? つまらない」
「サラ、ごめん」
サラは緊張しているのだ。高い塀に囲まれ、隔離されているような館から出て、こうして初めての場所、初めて空間に放りだされているのだから。
ここに到着してからの、サラのいつも以上に波打っている感情の起伏の理由にようやく思い至り、飛鳥は真摯に謝った。かわいいなどと思っている場合じゃない。どうすれば彼女の緊張が解れるのかと、あたふたと思いあぐねていた矢先、インターホンが鳴った。ぱっとサラは駆けだしていく。
「ヘンリー!」
背後から聞こえてきた歓声に、ため息が漏れる。と同時に、安堵する自分に飛鳥は唇を歪めていた。
「思ったより早かったね。準備万端?」
「デイヴとアレンはまだあがいてるよ。もうしばらくかかるんじゃないかな」
ソファーに座ったまま身体を捻って声をかけた飛鳥の横に腰を下ろし、ヘンリーもまた、眼前に広がる景色を目を細めて見渡した。
「殿下のパーティーが始まるまで、ひと眠りしてこようかな」
「ここで?」
「別室を用意してもらっているよ」
気怠げに微笑む彼に、飛鳥は強く眉根を寄せる。
「またその笑い方。最近疲れているだろ? まるで覇気を感じられないもの。きみらしくないよ、ヘンリー。そんな顔してまでパーティだなんて。そんなもの、出なくたっていいじゃないか」
ヘンリーは意外そうに眼を見開いて飛鳥を見つめた。だがやがて、ふわりと微笑んで言った。
「ありがとう。僕は本来無精者だからね。ついつい怠け癖がでてしまうんだ」
「嘘だろ。きみくらい勤勉な人間はいないよ」
「きみの前ではね。きみに呆れられたくはないから」
「そうよ。ヘンリーはすぐにサボるもの!」
ソファー越しのヘンリーにおぶさるように、サラは彼の首筋に腕を回して抱きしめている。クスクスと笑いながら彼に甘えるその姿から、飛鳥はついと目線を外す。そしてあらぬ方向に視線を漂わせたまま、独り言のように呟いた。
「サボりなよ。パーティ会場できみの代わりを務める立体映像をプログラムするよ」
「初めまして。よろしく。を、永遠に言わせておくのかい?」
「疲れたきみの愛想笑いよりも、うけるんじゃないのかな?」
「言うね、アスカ!」
相好を崩すヘンリーに視線を戻し、飛鳥もくしゃりと笑みを刷く。
「だから少しでも、休んできなよ」
「プログラムは組んでおくわ」
ヘンリーのこめかみにキスを落とし、サラは飛鳥の横に座り直すと、さっそく持参のTSタブレットを立ちあげている。
「いいアイデアだと思うわ、アスカ。ヘンリー、人口知能に相手をさせて、パーティは抜けてくればいいじゃない」
真顔で言うサラにヘンリーはまずは眼を瞠り、継いで飛鳥に視線で確認する。そして冗談で言っているのではないのだ、と理解すると、にっこりと笑みを零したのだった。




