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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第二章
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  ガイ・フォークス・ナイト3 

 ヘンリー・ソールスベリーが自室のドアを開けると、ひゅーと晩秋の風が吹き抜けた。正面の窓が大きく開け放たれている。


「今度は何をやっているんだい?」

「ごめん、もう閉めるよ。本体の温度が上がり過ぎて、室温を下げて冷ましていたんだ」


 飛鳥はゲーム機に取りつけてある温度計を睨みながら、バタバタと窓を閉めにかかる。ヘンリーが興味深げにモニターに目をやると、それは突然ブツッと音を立て真っ暗になった。


「落ちた……」

 飛鳥は大きなため息とともにへたり込んだ。


 辺りには、数字の殴り書きされた紙がそこいら中に散らばり、連結されたゲーム機にはランプが灯っている。


「複雑な演算処理が必要なの? うちのスパコンを使うかい?」と、ヘンリーはトップハットを脱いで机に置き、携帯電話を取りだす。

「え? コズモス? 会社の?」

「自宅にも一台あるんだ。急ぐんだろ?」

 飛鳥は神妙な顔で頷く。



「マーカス、スパコンを使いたいんだ。彼女に伝えてくれるかい?」

 ヘンリーは電話でしばらく話した後、自分のノートパソコンを立ち上げた。


「僕のを使ってくれるかな? 他からはアクセスできないんだ」


 飛鳥はバタバタと散らばっている紙類を集めると、彼の机についた。席を譲って自分はベッドに腰を下ろし、ヘンリーは真剣な顔でキーボードを叩く飛鳥をじっと眺めていた。その(おもて)には、この感じ、懐かしいな、と自覚なしの自然な笑みが零れている。


 飛鳥はヘンリーに、出会った頃のサラを思いださせたのだ。


 最近のサラはガーデニングに夢中で、部屋に籠ってパソコンの前にいる姿はあまり見なくなった。もっとも、ヘンリーのいる間だけの事かも知れないが。ガーデニングの話をしていても、いつも遺伝子工学の話題にすり替わって終わるのがサラらしい。それでも、庭で土まみれになっている彼女は、以前よりもずっと健康的になっている――。



 一頻り回想に耽ると、ヘンリーは立ち上がって長靴(ブーツ)を脱ぎ、濃緑の燕尾服から袖をぬいた。



「ヘンリー」

 呼びかけて振り返った飛鳥は、シャツをはだけているヘンリーに仰天して、あわてて顔を背けた。


 もう二カ月になるというのに、初めて飛鳥は彼が着替えているところを見たのだ。

 同じ部屋で暮らしているのに、飛鳥はヘンリーの日常的な面をまったく見たことがなかった。彼はとにかく生活感がないのだ。なんだかとても悪いことをしでかしてしまった気がして、飛鳥は自分が何を言うつもりだったのか、すっかり忘れてしまっていた。


「アスカ、何?」

「えっと、その服、それもここの制服?」


 動揺が収まらず、飛鳥は関係ない話題でお茶を濁した。ウイスタンの制服は、普段は濃紺のブレザーに灰色のスラックスだが、特別な日はエリオットのような燕尾服だ。だがヘンリーが着ていたものは、それとも違う。


「これは乗馬服だよ。仮装行列は騎馬だからね。練習があるんだ」

「やっぱり、ヘンリーがアーサー王の役?」

「まあね。銀ボタンだからね」


 銀ボタン?


「何、それ?」

「カレッジ・スカラーの中での成績最優秀者の証明みたいなものだよ。監督生は、金のボタンでネクタイが赤だろう? 寮長もネクタイは赤だけれど、ボタンで見分けがつく。生徒会もネクタイは柄を自由に選べるだろ? 服装でひと目で判断できるようにされているんだよ」



 だから、ヘンリーは初めから特別扱いなのか! 

 編入してきた時から、在校生を押しのけてトップのお墨付きを貰っていたんだ! そして、在校生に文句を言わせないだけの実力をみせて、この校内を制圧しているってわけだ……。


 飛鳥は納得してそっとヘンリーの方を盗み見た。着替えはもう終わっていたが、また制服を着ている。



 飛鳥が、「まだ何かあるの?」と今度は安心して向き直って尋ねると、「寮長に呼ばれているんだ」とヘンリーは面倒くさそうに苦笑して答えた。


「そうだ、寮長! 企画書を作ったんだけど、きみ、見てくれる?」

 飛鳥は突然思い出して立ち上がると、雑多な机の上からバインダー抜き出した。


「アスカ、演算の結果が出ているけど印刷するかい? それともきみのパソコンに転送するかい?」

 ノートパソコンを覗き込んでいたヘンリーが振り返る。

「こんなに速く!」

「うちにあるのは市販品より高性能の改良型だからね。速いよ」


 驚き、感激のあまり固まってしまっていた飛鳥の手から、ヘンリーはバインダーを持ち上げていた。そしてベッドに座り、素早く企画書に目を通しながら応じている。


「これ、僕が預かってもいいかい? もう少し正確な見積もりをだすよ。うちで提供できるものもあるみたいだし。それに進行班には僕から話を通した方が早いと思うんだ」

 ヘンリーが顔を上げると、「でも、きみ、班が違うだろう?」と、飛鳥は戸惑っているような、いかにも困った顔を向けている。


「問題ないよ。寮長も進行班を手伝っているよ。仮装行列は本番まで暇だしね。今は乗馬をしたことがない下級生の指導に手間取っているだけだからね」


 それからすぐにヘンリーは立ち上がり、穏やかな笑顔で、そろそろ行かなきゃ、と告げ、部屋を後にした。




 急に静まり返った部屋の中で、飛鳥は演算結果を自分のパソコンに転送し終え、ほっと息をついた。


 飛鳥は、日本の高校にいた時だって、レベルが違うだの、解らないだの散々に言われて、いつも一人でやってきた。

 今日みたいに失敗したときは、結果がでるまで、何度も何度もやり直してきた。こんなふうに、誰かに助けてもらうのは初めてだったのだ。それも桁違いにすごい。

 自分一人だったら、きっと朝までかかっても終わっていないに違いない。


「頑張ろう。いいものを作ろう」


 飛鳥は部屋に帰ってきた時よりもずっと温もった心持ちで、自分自身を鼓舞するように呟くと、ヘンリーのパソコンの電源を落とし、自分の席に座り直した。







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