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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
667/805

  宴4

 アレンもまた、足早に行くクリスの後に続いた。遠方から訪れてくれた友人の顔を目にしておいて、自分ひとりその場に残ることはできない。だが、決してこの再会を心から喜んでいるのではない自分に羞恥を覚えて、彼は面を伏せて唇を噛んでいた。


 ()の国では、危険と隣り合わせでもある吉野たちの理想を、心の底からとはいえないまでも、理解し応援したい想いが確かにあった。けれど、ここでは……。

 飛鳥や兄ヘンリーと対等に意見を戦わせ、会社のいく末を検討しあう吉野こそが、彼自身の望む本来の姿なのだと思わないではいられない。

 こうして戻ってきてくれた彼を、また、あんな過酷な地に(さら)われたくない。たとえ吉野自身が望んでも。自分勝手な我儘だと解っていても、心の襞にへばりつくそんなヘドロのような想いがあることを、サウードの姿を目にした瞬間に自覚せずにはいられなかったのだ。


 だが、そんな素振りはおくびにも出さず、アレンはサウードと再会の挨拶を交わした。クリスのように気安い抱擁はまだ抵抗があるが、吉野に教えられた、胸に手を当てて礼をするアラブ式の作法で。サウードは変わらぬ鷹揚な笑みで再会を喜び、続いて、友人の姉であるサラに婚約の祝いを告げている。


 そうだ、今日は婚約披露のためのパーティーなのだ、とアレンは今さらながらに自分の臆病さ、気を抜くとあっという間に吉野に囚われてしまう心の弱さを、拳を握りこんで戒めた。



 この祝いの席で、もどかしい居た堪れなさがあったからだろうか。部屋の片隅から、サウードやヘンリーと談笑する吉野へじっと目線を送るマーカスに、ふとアレンだけが気がついた。何か用事があるのだろう。料理のことかもしれない。マーカスといえども、皇太子殿下の会話を中断させるわけにはいかず、声をかけるタイミングを計っているのに違いない。

 アレンは場を外し、そんな執事に歩み寄った。


 声を潜めて告げられた執事からの伝言に、アレンはわずかに眉根を寄せる。そして軽く頷くと、彼の後に続いて退出した。



 自室に戻りコートを羽織ると、同行するというマーカスを断り、一人賑やかな館を後にした。

 ぼやりと鈍色に霞む曇天の中でも陽は傾き、薄闇が迫っている。門までの砂利道を踏みしめながら先を急ぐ。前方を睨みつけるように厳しく見据え、様々な思惑を巡らせてぐっと唇を引き結んだ。


 まさか、姉がこの場を訪ねてくるなんて――。


 どこから漏れたのか。まさかあの兄がキャルを招待するはずがない、と頭の中で疑心暗鬼が駆け巡っている。だが、ふっと、この婚約は会社の社報でも告げられていることなのだと思い当たり、動揺しすぎの自分に苦笑する。


 それに、キャルが訪ねて来た相手は、兄でも、サラでもない。吉野なのだ。


 杞憂だと、打ち消していたことばかりが本当になる。


 こんな自分は嫌だと頭をぶんぶんと振ったところで、沸き起こる嫉妬を振り落とせるはずもなかったが。

 せめても、と大きく深呼吸を繰り返す内に、黒い鉄柵が見えてきた。その向こう側に、黒塗りのハイヤーが停まっている。あの車だろうか?

 

 門から出て確かめるべきかと迷っている内に、黒塗りの車窓が開き、見慣れた顔を覗かせた。自分に気づいたとたんに眉をひそめた姉に対して、やはりな、と苦笑が漏れた。


「何の用?」


 結局、鉄柵越しに車中のキャルに声をかけた。


「あら、義妹のお祝いにきたに決まってるでしょ?」

「兄がきみを招待したとは聞いていないよ」

「あなたはそこに居るじゃないの」


 アレンが良くてなぜ自分はだめなのかと、いわんばかりの口ぶりだ。


「キャル、ここではきみの我儘は通らないよ。兄には内緒にしておいてあげる。大人しく帰って」


 鉄柵を握りしめ、アレンは声を高めて告げた。だが、彼女はきつい一瞥を自分に投げかけただけで、不貞腐れたように黙ったままだ。


「彼は? それなら、彼を呼んで」


 間を置いて自分に向けられた姉の目つきに、心臓がずきりと痛んだ。


 恋をしているのだと、一目で解った。幼い頃から双子のように似ているといわれてきた姉の面に、自分自身が重なる。

 同じ相手を想っているのだ、と。絶望的な気分で、ため息をつきかけた口を慌てて引きしめる。


 どうしてこうなるのだろう?


 吉野が恋を仕掛けたのだろうか、とそんな疑念が頭を過る。だが、たとえそうだとしても、白人以外を同列にみなさないこの姉に限ってありえないではないか、と何度も打ち消し、ただの噂にすぎない事を心の底から願っていたのに。


 いつかフレデリックと冗談交じりに交わした会話が、リフレインする。


 ――僕たちは似ているんだ。手に入らないものばかり欲しがってしまう。




 苛立たしげで、物憂げな姉にどう声をかけるべきかと、喉が詰まる。と、その姉の口許が一気にほころんだ。


「よう、来たのか?」


 ヨシノ!


 振り返ったアレンの肩に吉野は腕を回す。


「大人しくホテルで待っとけよ」


 頭を抱き寄せるように髪の毛に指を差しこみ、梳きあげる。

 どういうつもりなのだと訝しげに見上げるアレンに、吉野は応える気はなさそうだ。


「でも、ヨシノ」


 唇を尖らせ吉野を見つめる姉から、アレンは堪らず顔を背けた。とても見ていられなかった。自分自身をまざまざと見せつけられているようで。


 僕も、あんな目でヨシノに追い縋っているのだろうか?


 羞恥で脚ががくがくと震えだす。


「おまえ、寒いんだろ! 震えているじゃないか! おい、キャル、後で連絡するから今日は帰れ」

「ヨシノ、待って! まだ話が、」


 引き留める甲高い声などお構いなしで、吉野はアレンの肩を抱いたまま踵を返した。一瞬視界に入った姉は、酷い形相でアレンを睨んでいた。



 嫉妬だ。

 ――僕もまた、あんな醜い顔をしているのかと、アレンは伏せたままの顔を上げることができなくなっていた。


 すでに日は落ち、辺りは闇に沈んでいることに感謝しながら、足元を照らすフットライトの儚い灯りに縋るような視線を向けた。


 せめて吉野にだけはこんな顔を見られたくないと、そんな想いを苦く、苦く噛みしめながら。そしてそれ以上に、肩を抱く吉野の腕を、堪らなく熱く感じながら。





 


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