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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
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  血筋6

「ヨシノ!」

 居間に入るなり、「よう!」と日に焼けた懐かしい顔が口の端で笑う。クリスは手にしたファイルを放り投げて、猛然とソファーに飛び込んでいた。

「帰ってくるって聞いていたけれど、こんなに早く戻っているなんて! まだ大学は休みじゃないのに!」

「だからだよ。ハワード教授が煩いんだよ」


 そうしてソファーにくつろいでいる吉野と、喋りだしたら止まらないクリスを、ローテーブルを挟んだ向かいからアレンもほっと表情を和ませて眺めている。


「あれ、アレンいたんだ」

 やっと会話に一区切りついたところで、クリスが頓狂な声をあげる。

「ずっといたよ。きみが帰ってくる前からね」

 くすくすと笑っているアレンに、クリスはちょと顔をしかめて唇を尖らせる。

「起きていて大丈夫なの? 今日、講義を休んだんだろ? フレッドが心配していたよ。――あ! ヨシノが帰ってくるからか! それならそうと言ってくれればいいのに!」

「ごめん、直前まで予定がはっきりしなかったからさ、」と余裕で謝ったのはアレンではなく吉野だ。


 そんな理由で休んだのではなかったのに……。


 釈然としないアレンだったが、クリスの前で、まさかあの話をする訳にもいかない。





「ヨシノ! 驚いたよ。ハワード教授と、ちょうどきみの噂をしていたところなんだ」


 遅れて戻ったフレデリックは至って冷静だ。おかえり、と手を差しだし、吉野も「ただいま」と握り返す。


「教授に呼ばれてるんだよ。カレッジにも顔を出して、クリスマスディナーにも出るからさ、しばらくはこっちにいる。まだアスカも帰ってないしな。って、もう俺の部屋ないのか!」

「そんな訳ないだろ? いつきみが帰ってきてもいいように、ちゃんと掃除だってしているよ」


 そう、いつだって、きみの場所だけは……。


 曖昧に微笑んでから視線を逸らし、フレデリックはアレンの横に腰を下ろした。さりげなく傍らの彼の様子を窺う。今朝、あんな話をしたばかりなのだ。このタイミングで当人が帰ってくるなどと、どうして思い描けただろう。動揺していないはずがない。ちらちらと気にしているのに、当のアレンはにこやかな作り笑顔でクリスのお喋りに相槌を打つばかりで、何を考えているのかまでは判らない。


「フレッド」

 どこか苛立った吉野の声に面を向ける。軽く首を傾げると、「夕飯どうする? 食いに出るか?」と尋ねられた。

「そうだね、」

 ちらっとフレデリックはアレンに眼をやった。

「アレンの具合が今一つだから――、僕が何か作るよ」

「ああ、それなら俺がする。食材、何がある? 見てくれるか?」

「OK」


 席を外して戻ってみると、フレデリックの座っていた場所に吉野がいた。具合が悪いと聞いて心配したのだろうかと、吉野の後に腰を下ろす。



 夏にサウードの国で逢って以来なのだ。数か月のブランクなどものともせず、吉野は当たり前に存在感を示している。今までと変わりなく。

 時が巻き戻ったみたいな感覚に安堵を覚えながらも、フレデリックは、ふとアレンと並ぶ吉野に、その視線に、ちょっとした仕草に、これまでとは違う違和感を覚えた。


 何がどう違うかは、判らないのに。


 吉野がまたアレンをからかっている。アレンは膨れっ面だ。拗ねて抗議する。吉野の腕を掴んで――。見慣れた光景だ。

 さらりと吉野は掴まれた腕を避ける。なんとなく、ぎこちなく、脚を組み替えて。


 そんな二人を眺めながらフレデリックは苦笑した。


 何も変わらない。変わらないじゃないか。


 クリスの冗談に皆が大笑いして、アレンがまた吉野の肩に手を置いた時、吉野が立ちあがった。


「腹減ったな。何か作るよ。フレッド、手伝えよ」


 キッチンに向かうその後を追い、フレデリックも席を離れた。





「ヨシノ、何だか変わった?」

「やっぱ、俺、変か?」

「何となく。僕の気のせいかもしれないけれど」

「お前には隠し事できないな」

 皮肉気に口の先を歪めて嗤い、吉野は軽く肩をすくめる。


「自分でもさぁ、変かな俺って思ってな、飛んで帰ってきたんだ」


 吉野は冷蔵庫を覗き込み、ため息を漏らす。


「ホントに朝メシの材料しかないな。まぁ、量は充分だしこれでいくか」


 次々と牛乳や卵、バターを取りだしカウンターに置くと、今度は頭上や足元の棚を開けていく。


 なんだ――、今の意味ありげなため息は食材への不満なのか、とフレデリックが苦笑していたところに、「なぁ、俺、やっぱおかしいのかな?」と、一通りの材料を揃えた吉野がおもむろに、ぼんやりと立ちすくんでいるフレッドを見やった。


「どうだろう。きみが判らないことを、僕が判る筈がない」

「なぁ、フレッド、」

 カウンター越しに身を乗りだして声を落とした吉野に、フレデリックも神妙な顔で顔を寄せた。

「やっぱさぁ、あいつの姉貴と寝たのがマズかった。同じ瞳に、同じ髪色でさぁ、あいつの顔がだぶって仕方がなかった。なんかもう、あいつの顔、まともに見られないんだ。とんだ失態だよ」


 眉間に思い切り皺を寄せてボヤく吉野を、フレデリックは思い切り目を見開いて凝視してしまっていた。


「それって……」

「言うなよ」

「どうするの?」

「わかんねぇよ。マズいなぁ、とは思うんだけどさ」

「マズいって事はないだろ?」

「マズいよ。いろいろとな。だいたい、俺自身が一番驚いているんだ」

「……聞いている僕の方が恥ずかしいよ」

「うん。お前、トマトみたいだ」




「ヨシノ、フレッド、何にするか決まった? 僕も手伝うよ」

 

 背後からかけられたアレンの声に、フレデリックは弾かれたように振り返る。


「ああ、そこの野菜洗ってくれるか?」


 吉野は平気な顔をして、もう準備にかかっていた。


「何を作るの?」

 クリスもやって来て、すでに包丁を握っている吉野の手許を覗きこむ。

「パングラタン。肉がないしな、腹の足しになるように野菜をたっぷり入れてやるよ」

「やった!」

 相変わらず肉類が苦手なアレンは、逆にその方が嬉しそうだ。


 その様子を立ち尽くしたまま眺めていたフレデリックは、「あ……、」と何か言いかけ、そのまま口許に花のような笑みを咲かせた。


「お祝いだね」

「おい」


 とたんに吉野が眉を寄せて睨みつける。


「きみが久しぶりに帰ってきたんだもの」


 続くフレデリックの弾んだ声音に、アレンも、クリスも嬉しそうに頷いた。


 そうだ。何はともあれ、吉野が帰ってきたのだ。今はそれだけでいい。考えるのは、後廻しでいいじゃないか。



 それぞれがそれぞれの想いを秘めたまま、そう思っていたのだ。

 


 



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