血筋3
翌日、アレンはヘンリーと顔を合わすこともなくフラットへと戻った。会社に向かう前に一度寄りたいから、と言うデヴィッド共々朝食も取らなかった。
デヴィッドの運転する車内でも特に喋ることもなく、ぼんやりと、どこを見るわけでもなく視線を漂わせている。デヴィッドも、そんな彼に特に言葉をかけることもない。
もうじきフラットに着くという段になってやっと、アレンはデヴィッドをじっと見据えて訊ねた。
「あなたも、ご存知だったのですか?」
「……うん」
何を、とはデヴィッドは尋ね返したりはしなかった。そこに含まれる様々な意味を総括しての肯定であると、アレンは納得して蒼白な面をかすかに緩めて口角をあげた。
「ありがとうございます。――ヨシノだけじゃない、僕はずっと、兄やあなた方にこうして守られ、支えられていたのですね」
喉の奥から絞りだされるような声だった。
「ヘンリーは、ヨシノみたいに判りやすく優しくはないだろ? 英国人だからね。でも彼は、ちゃんと自分がきみの兄だって自覚は持っているよ」
「兄は優しいです」
そして、あなたも。
誇らしげな瞳を向け、アレンはにっこりと笑みを刷く。
ずっと知らぬ振りをしていてくれた。顔色ひとつ変えることなく、ずっとソールスベリーの一員として接してくれていた。それがどれほど自分にとって誇らしく、支えとなっていたことか。
己の出生のおぞましさを嫌悪し続けていた自分に、自分自身として生きるようにと言ってくれたのは、兄だった。兄の弟でも、フェイラーでもない、何者でもない自分を見出してくれたのが、吉野だった。
そして今、自分の眼前には、こうして自分を気遣ってくれる人がいる。自分ではどうしようもなかった過去に一切触れることなく、けれどそのことを踏まえたうえで、尊重してくれる。
「キャルの父親は、キャルのことを知っているのでしょうか? それに、ヨシノも――」
深呼吸して心を落ち着けてから向けられたアレンの真摯な瞳に、デヴィッドは正面に視線を据えたまま淡々と応えた。
もう誤魔化す必要はない。受け止める覚悟を持ってなされた問いには同じように真剣に応えなければならない。それが年長者としての自分の義務だと感じたのだ。
「米国じゃ、そう知られてないようだけれど、英国の社交界じゃ、当時、結構なスキャンダルだったんだよ。口さがない連中は、ある事ない事言うからねぇ。だから君たちのお母さんは、それまではロンドンに住んでいたのを、出産を機に米国へ戻ってそれっきり、てわけ」
フラットの前に車を停め、デヴィッドは力を抜いてドサリとシートの背面にもたれかかる。そしてふぅっとため息をつくと、それまで以上に慈悲深い憐れみを湛えた瞳をアレンに向けた。
「セディも知っている。ヘンリーが知ったよりもずっと以前から、彼はその事を知っていたんだ。あいつのヘンリーに対する愛憎入り交じる想いはとても、」
言いかけて口籠り、デヴィッドはアレンの頭をくしゃくしゃと撫でた。その大きな掌の下で、アレンはきゅっと唇を結び眉を寄せている。
自分でこの話題を切りだしたとは言っても、この名を聴くことすら嫌なのだ。当然の感覚だと、デヴィッドはさらに慎重に言葉を探した。
「ごめん。だからどうしろ、って話ではないんだ。キャルの件がきっかけで、僕の父はレイモンド・ブラッドリーとは絶交したんだ。今でも仲は修復されていない。リチャード叔父さんが許しても、僕の父は一生あの二人を許さないんじゃないかなぁ」
そこには、もちろん自分も含まれるのだろう、とアレンはきゅっと唇を引き締める。そしてそんな親世代の確執に翻弄されることなく、自分と向き合ってくれているデヴィッドに今更ながら感謝と、申し訳なさを感じていた。そんなアレンの心を見透かしたように、デヴィッドは軽く顔をしかめてみせる。
「僕の父がなぜこれほどまでに怒っているのか知らないけれど、これは本来、リチャード叔父さんとブラッドリー、それにきみらのお母さんの問題だからね。きみもキャルも関係ないんだ。変に考えすぎて余計なものを背負い込むんじゃないよ」
はっと伏せていた瞼を持ちあげたアレンに、デヴィッドは優しく微笑みかける。
「そういう訳でうちとブラッドリー家は、ずっと仲が悪いんだ。だから人から聴いた話も多い。信頼できる筋からだけどね」
デヴィッドはちらりと時計を眺め、シートベルトを外した。
「きみが一番知りたいのは、どうしてブラッドリー政権への移行の話に、ヘンリーがヨシノの名前を出したかって事だろ? 本当に知りたいのなら、僕の知っていることは教えてあげる。そうしないと、きみがあの子と向き合うには、あまりにも分が悪いからねぇ」
セドリックの名前が出てきた時以上に、アレンは躰を強張らせている。唇を震わせ早く返事をしようと見受けられるのに、声にならないようだった。
「降りようか。何か温かいものを飲もう。講義は何時から? 時間はまだいいんだろ? あ、別に今日じゃなくったっていいんだよ。直にクリスマス休暇だしね」
深刻な空気を振り払うように口調を変え、デヴィッドは車のドアを開けた。降りようとするその腕を、アレンはとっさに掴んでいた。
「教えて下さい。お願いします」
切迫したその声にデヴィッドは軽く頷いて、明るい笑みでウインクを返す。
「まず温まろう。朝食を食べながらね」
彼は車の脇に立って目を細めて、この季節変わることのない曇天を白い息を吐きながら見あげて言った。




