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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
657/805

  血筋2

 セドリック・ブラッドリーは、ヘンリーの一個下の後輩ではあるが、父親同士が古くからの友人だったこともあり、互いの家に行ききするほど親しい友人でもあった。

 

 その彼とヘンリーが疎遠になっていったのは、いつ頃からだったろうか。

 父リチャードが病に倒れてからだろうか。ロンドンのタウンハウスで療養していた父を慮り、また主人のいないマーシュコートに人を招待するわけにもいかず、ヘンリーが自宅に友人たちを招待することがなくなってからか。


 逆に友人たちはそんなヘンリーを気遣い、長い夏季休暇はもちろんのこと、短いハーフタームでも、彼を自宅に呼んではもてなしてくれた。叔父を除く唯一の親戚でもあるデヴィッドたちラザフォード家と同じく、セドリックの家も、温かく彼を迎え入れてくれていた家庭の一つだった。


 セドリックは、明るく、活発な、ヘンリーを心から慕ってくれる弟のような後輩の一人。友人の一人だったのだ。確かに。


 ――ヘンリーが、サラに出逢うまでは。




 きっかけはとても些細なことだった。サラとアレンの誕生日が近すぎる。子どもながらに疑問に思い、彼らが生まれる直前の自分の記憶を(さかのぼ)り、その頃の父の業務内容、行動を調べた。記憶の中でも、記録でも、思い返せば不思議なほど父と母の接点がなかったのだ。これまで何の疑問も持たなかったことが不思議なくらいに。


 髪の毛があれば、DNA鑑定はできる。その年のクリスマス、ヘンリーは初めて目的を持ってフェイラーの家を訪れた。そしてその訪問は、彼にとってあの家で迎えた最後のクリスマスになった。


 遠く離れて別々に育ち、元々兄弟であるという意識は希薄だった、とヘンリーは思う。同性のアレンでさえそうなのだから、キャルともなると、自分の妹というよりも母の娘という程度の認識しかなかった。母をそのまま幼くしたようなあの娘に、弟に対する以上の嫌悪感を抱いていた。


 だからDNA鑑定の結果に驚くことはなかったばかりか、あの二人に尊敬する父の血が流れていないことに安堵したほどだ。



 そこで終わらせておけば良かったのかもしれない。

 おそらく、それに気づくきっかけも単なる偶然だったのだろう。それとも、それを知ることは必然だったのだろうか。


 閉め切られていたマーシュコートの父の部屋の壁を飾る写真の一つに、ヘンリーはふと吸い寄せられたのだ。

 それは、父とラザフォード侯、そして直接お逢いしたことはなかったが、テレビや写真で頻繁に目にしていたブラッドリー大臣、父の友人たちが並んでいる十数年前の、いやもっと古い写真だった。

 既視感があった。彼を知っていた。記憶の中に確かにいる。

「まさか――」

 初めはメディアで接することがあるからだ、と単純に思った。だが記憶のなかの彼は今現在の彼ではなく、この写真に近いもっと若々しい彼なのだ。


 振り払おうとしても浮かびあがってくる記憶に捉えられ、ヘンリーはどうにも落ち着かなくなった。何のためにこの部屋に入ったのかも忘れるほどの焦燥に囚われていた。



 その朧な霞みのような記憶が形になったのもありきたりな当然の帰結で、母に呼びだされてロンドンの滞在先のホテルを訪れた時だった。

 その場所で、母と共にいる彼を見かけたことがあったのだ。


 それはほとんど直感といってよかった。


 レイモンド・ブラッドリー大臣の毛髪を手に入れることは難しくとも、セドリックのものならたやすい。それで充分なはずだ。


 想像通りの結果は、弟と妹が父を同じくしないと判った時よりもよほどヘンリーには衝撃だった。あの母が父を裏切っていたことには今更驚くこともなかったが、父の友人が父を裏切ることは許せなかったのだ。


 そこにどれほどの事情があり、経緯があったのか慮れるほど、ヘンリーは大人ではなかった。


 セディは、セドリックは知っているのだろうか? いつも優しく自分を歓迎してくれていた彼の母親は? 知らぬはずがあるまい。


 すべてが欺瞞に思えたのだ。あの頃は――。


 その嫌悪感が、そのままセドリックに向けられていたのかも知れない。あんなに自分を慕ってくれていたのに。彼は無関係であると解っていても、理性と感情はそうそう思うようには操れなかった。

 だからエリオットを去る時も、彼に一言の言葉も残さなかった。このまますっぱりと、この(ただ)れた縁を断ち切ってしまいたかったのだ。だがそれだけではなかったのだろう。無意識のうちに、セドリックの何も知らず純粋に自分を慕うあの瞳を、重たく、煩わしく、憎々しいとすら感じていたのかもしれない。


 その自分の冷淡さが、アレンにいまだ癒されない大きな傷を抱えさせることになろうとは、思ってもみなかった。――いや、そうじゃない。予測できていても、あの頃の自分は何もしようとはしなかっただろう。愚かさに囚われて。




 たった一つの間違いが、大きな歪みを作りだした。その歪みを正すためにあの子(アレン)は今でも苦しんでいる。垣間見たあの虚ろな瞳の中に、今頃になってその想いの暗さを、傷の深さを思い知らされたのだ。


 吉野はこれからキャルをどんなふうに利用してくるのか、アレンの過去さえも手段として使うのか。


 吉野を止めなければ、と思う反面、その思惑を知ってアレンがどうするのか、それでも吉野に従い続けるのか、知りたい思いを押さえられない自分がいる。


 

 決して自分に振り向くことのない吉野を、アレンはそれでも、どこまでも信じ続けるのか、ヘンリーは自分自身のことのように、知りたかった。




 

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