切望6
それぞれのカレッジで夕食を終え帰宅したアレンたちが、居間でお茶を飲みながら思いおもいにくつろいでいる。窓外は細やかな雨が降り続いている。静かで穏やかな時間が流れていた。
アレンがついっと顔を窓に向けた。通りに停まった車のヘッドライトに目ざとく気づいたらしい。
「デヴィッド卿だ」
嬉しそうに顔をほころばし、玄関に出迎える。その背中にちらりと目をやりクリスも頬を緩めている。
「アレンはなんだか、すごく充実している感じだね」
「毎日に張りがあるって本人も言ってたよ」
フレデリックも穏やかな口調で同意する。
詳しい経緯は聴いていないものの、アレンはここしばらく、ヘンリーと飛鳥との仲違いの責任が自分にあると感じていて、酷く落ちこんでいたのだ。ところが、それがどうやらアレンのせい、というわけでもなかったと解ると、安堵するどころか余計に難しい顔をして考えこむようになっていた。
数日前に、飛鳥がヘンリーとサラの待つ彼らの地元を訪れると聴き、やっと蟠りも解消されたのか、と浮上し始めたところなのだ。
それまでは、そんな心の中の澱に足をすくわれてなるものかとばかりに、必死な形相で大学の課題やインテリアのデザインに打ちこんでいたのだが。もうすっかり、ふわりと肩の力の抜けた様子だ。
「デヴィッド卿の影響もあるんだろうね」
フレデリックは、かすかに声の漏れ聞こえる閉ざされたドアを眺め、どこかしら淋しそうな笑みを結んでつけ加えた。
彼は、自分では力不足なのだ、と諦めに似た羨望に胸を塞がれていた。それでも、アレンが前向きに何かに取り組んでいる現状は喜ばしい気持ちに嘘はない。だから、そこに居るだけで周囲を陽気な気分にし、盛り立て、なおかつアレンに殻に籠る時間を与えないデヴィッドの隠れた気遣いを、尊敬せずにはいられない。とても敵わない、そう思わずにはいられない。
「フレッド、クリス!」
そんなフレデリックの物思いを打ち破る、アレンの悲鳴にも似た声があがる。何ごとかと、ソファーから跳ねあがった二人の前で、ドアがいささか乱暴なほど勢いよく開く。
飛びこんできたアレンは、興奮した面持ちで上気している。
「アスカさんが!」
事故か、事件か――。
二人は不安に固まり、室内には緊張が走る。
「婚約だって! サラと!」
嬉しくて堪らないふうに上擦った声音で叫ぶと、「やった!」と、アレンは我を忘れて叫んでいた。
その内容にも、伝えたアレンの様子にもあっけにとられた様子で、フレデリックも、クリスも、言葉を忘れて立ちつくしている。
「まぁまぁ、落ち着いて、落ち着いて」
アレンの背後にいたデヴィッドが、ぽんぽんと彼の両肩に手を置いて宥めている。
「兄弟になるんだ! アスカさんと、ヨシノと! 奇跡みたいだ!」
そこまで考えが及んでいなかったクリスは、目をまん丸にしたまま、呆然と「おめでとう」と呟いた。
「なんだか、アスカさんとレディ・サラにおめでとうっていうより、きみへお祝いを告げているみたいだ」
くすくす肩を震わせて笑いだし、クリスは傍らのフレデリックに眼をやる。
「ね?」
「また、急な話なのですね」
フレデリックは、なにか思惑有りなのではないかと疑っているのか、ふぅ、とため息をつきながら苦笑している。
奇しくも米国では、アレンの姉キャルの婚約話がたけなわのはず。そこへもってサラまでなんて――。
「急ってことはないよ。アスカさんはずっとサラを想っていたもの。やっと兄のお許しがもらえたんじゃないかな。アスカさんの帰国の話で、サラもアスカさんがかけがえのない人だって再認識したんだよ、きっと」
いつになく饒舌に語るアレンは、蕩けそうな笑みを浮かべている。
「なんだ、僕よりきみの方が詳しいじゃないか! 僕は全然知らなかったよ!」
今度はデヴィッドが頓狂な声をあげる。だがアレンは、ふふふっと笑うだけで、それ以上は口を噤んだ。本人に確かめたわけではないのだ。憶測でそれらしいことを言ってはいけないことに、遅ればせながら気づいたのだ。
「戻ってこられたら、アスカさんにくわしく教えてもらわなくちゃ」
「まったくだよ~。よくあのヘンリーが頷いたな、って仰天したからねぇ、僕にしたって。サラなんてきみらと同い年だよ、早すぎないかな、って気もするよぉ」
納得しきれていない様子のデヴィッドに、クリスは頷き、フレデリックは思案顔だ。
「でも、サラですよ。逆に兄は安心なんじゃないのかなぁ。兄にしたっていつまでも独り身ではいられないでしょうし――。一番信頼している親友に、彼女のことを託せるなら、ってことなんじゃないでしょうか」
軽く小首を傾げて言うアレンに、デヴィッドも吐息交じりに頷いた。
「まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「それでね、クリスマスに婚約披露のパーティーをするって。ヨシノも戻ってくるんだって!」
「そうだよね! アスカさんのお祝いだもの!」
素直に歓声をあげるクリスを尻目に、フレデリックは、あのなによりも兄思いの吉野はこの婚約をどう思っているのだろうか、とこの二人のように手放しで喜んでいいのか判らないまま、ふとアレンの傍らのデヴィッドを見遣っていた。
その口許は微笑んでいるのに、彼もまたいつになく緊張感を湛えた思案気な瞳をしているように、フレデリックには感じられたのだ。




