決意6
互いの要件を終えるとすぐに、ニューヨークへとんぼ返りしたアーネストといれ違いに、ウィリアムがヘンリーの部屋のドアを叩く。もう夜も更けている。「明日になさいますか?」と問う従者を、ヘンリーは頭を振って招きいれた。
高層階の窓からは、こんな時間でも星空を落としたような煌びやかなネオンの海が広がっている。ソファーの背もたれに肘をかけ、ヘンリーは身体を捻るようにしてそのさんざめく光の連なりに視線を据えたまま、ウィリアムの報告を聞いていた。
「本当の目的は、キャルでもフェイラーでもない、っていうことでいいんだね?」
自分自身に問いなおしているような呟きに、ウィリアムは慎重に頷いた。
「まさか、アッシャムスをこんなことに使ってこようとはね」
深い吐息とともに向き直り、ヘンリーは嫌悪感を露わにしたセレストブルーの瞳でウィリアムを静かに叱咤する。
「お前がついていて、よくもこんな愚かな真似をさせるなんて」
「あなたも、そう望まれるかと思いました」
「僕を見くびるなよ」
見つめ返した彼の黒い瞳の下の、コンタクトに覆われた本来の色がヘンリーの脳裏をよぎっていた。確かに、復讐――、にはなるのかも知れない。だが、これはあまりにも筋が違うではないか。
「それで、あの馬鹿息子と、取り巻き連中は乗り気なの?」
返事を聞くまでもなかった。パーティでも話題の中心は株だの投資だのの金儲けの内容ばかりだったのだ。自分の財産を増やすことと、いかに使うかしか興味のない連中だ。祖父の周りにはそんな人間しかいない。キャルの婚約者候補のロバート・カールトンにしても御多聞に漏れず、といったところか。
それにしても、いくら相手がカールトンの息子だからといって、吉野のやりくちは見すごせるものではない。もう数か月のうちに倒産することが決定している国営企業、アッシャムスへの投資を持ちかけるなどと。
いったいどれだけの額を取りつけるつもりなのか――。
ロバートのあの能天気な様子からして、彼は自分の父親と杜月家の確執など、知る由もないのだろう。それどころかウィリアムの話によると、このわずかな期間に、本来ならばキャルを巡ってのライバルであるはずの吉野に心酔しきっているのだという。
「彼もシリコンバレーで自分の会社を立ちあげているのだったかな?」
「尊敬する起業家は、父親ではなくあなただそうですよ。先進性とそれを支える高度な技術力、そして父親とは違う、透明性の高いフェアトレードに憧れてやまないそうです」
「それは皮肉で言っているの?」
世にその名を知らぬ者などない、高名な父親に対する青臭い反抗心だ。そのために自分の名を使われるなんて御免こうむりたい、とばかりにヘンリーは口の端で嗤った。
「それよりも、あの子、どういうつもりなんだろうね。メリットが見えないよ。いくらリック・カールトンの子どもだからって、たかだか学生起業家だろ? 無意味な投資に誘ったところで破産するまではいかないだろうに。そんな容易い手に引っかかる馬鹿でも、いずれはカールトンの財産を継ぐ身であることには変わらない。彼の地位は揺らがないさ。せいぜい、一時の笑い者にして終わりじゃないか」
馬鹿馬鹿しい、とばかりの呆れ顔の主人に、ウィリアムは柔らかな笑みを浮かべて問うた。
「どうなさいますか?」
「ロバートに逢えるかな? できれば偶然を装って。ヨシノにはもちろんないしょでね」
「アッシャムスへの投資を止めるよう、助言されるのでしょうか?」
「ヒントくらいは教えてやるかもしれない。それよりも、ヨシノがこんな稚拙な罠を仕掛ける意図を知りたいんだ」
「了解いたしました」
納得した様子でウィリアムは頷く。
「アレンから連絡をもらったんだ」
立ちさりかけたウィリアムを、ヘンリーの物憂げな声音が引き留めた。怪訝な視線で座り直した彼から顔を背けたまま、ヘンリーは喋り続ける。
「アスカの帰国希望の理由だよ」
「ヨシノは考えがあると」
「ヨシノは――、あの子、今どこの会社に投資しているの? それとも、てっとり早く買収してるのかな?」
ヘンリーの声は抑揚がなく、どこか冷たい。
「お前は、あの子のヴィジョンに賛同するの?」
「仰られる意味が判りかねます」
「ロレンツォに先に問い質すべきなのかな?」
おもむろに向き直ったヘンリーの冷ややかな瞳を、ウィリアムはまっすぐに見つめ返した。
「お前は、動じないんだね」
まさか、このウィリアムまでが吉野に懐柔されようとは――。
そんな内心の苛立ちをよそに、ヘンリーはゆるりと笑みを浮かべた。
「ヨシノのこと、頼んだよ。お祖父さまだって、そうそう指を銜えて見ていては下さらない。とくに、鼻先にこんな美味しい餌がぶら下がっている時にはね」
ウィリアムもまた、微笑でもって主人に応えた。
「承知いたしました」




