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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
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  決意4

 大学の講義を終えたアレンは、カレッジからフラットに続く道を息せききって駆け戻っていた。

 今日は新事業の企画会議の日なのだ。デヴィッドと自分の練りあげたTSインテリア進出の企画が通るかどうか審議される日だ。その会議を終えたデヴィッドから、早く帰ってくるようにとのメールを受けとった。彼はもうすでにフラットにいるという。


 やっと帰り着いたアレンを、デヴィッドが満面の笑みで迎えてくれる。「お帰り。今日は冷えるねぇ」とすぐにお茶を淹れてくれる。その楽しげな様子にアレンの期待も否応なく高まっている。そわそわと落ちつきなく居間のソファーに腰をおろし、用意されていたTS画面で、会議でのプレゼンテーションの録画に目を通す。


 だがそこに彼が見出したのは、自分やデヴィッドの思い描いたものとは、はてしなくかけ離れたものだった。


「兄はやはり――、すごい人ですね」

 無理に笑みを作るアレンの唇は、泣きだしそうに震えている。



 提出された企画は、流行のタイプ別に網羅されたインテリア雑誌のようだった。その日の気分で選べる壁紙やカーテン、装飾的な調度品。本物と見紛うばかりのTS映像インテリアは、大した労力もなく自由に取り換えがきくうえに、本物のように使わないときに倉庫に閉まっておく必要もない。カタログの中から好きなものを選び、登録してある間取りに合わせてタブレット上で配置するだけでいいのだ。

 もちろん、それすら面倒くさいという、この手のセンスを持ち合わせていない人のためのモデルプランもある。あるいは人気インテリアデザイナーのアドバイスをもらってのセミオーダーも。

 通常のインテリアを選ぶのと変わらない感覚で、ドールハウスで遊ぶように自室を好きに着せ替えできるのだ。


「問題は、ソファーやベッドなんかの実用使いの家具をどう合わせるか、なんだよねぇ。今日の気分はジョージアンでも、自分の座っているモダンなソファーのデザインまでは変えられないからねぇ」


 会議の様子をかいつまんで説明しながら、デヴィッドはもっともらしく吐息を漏らす。


 そうなると手持ちの家具にあわせた無難な選択をするようになる。それがヘンリーの言い分だそうだ。


 眼前の参考資料の画像を食いいるように眺め、淡々としたその解説に聞きいりながら、アレンは歯を食い縛って耐えていた。


 なにを浮かれ飛んでいたのだろう、と。


 自分のような夢見がちな現実感のない人間は、やはり、こうした生きた世界の中では、なんの役にもたたないのだ……。


 必死で涙が零れるのを我慢していた。


 せっかく、あの兄が、特別に機会(チャンス)をくれたのに――。

 吉野と向きあえるように、そのための機会を。




「こんなことくらいでショック受けるんじゃないよ!」


 デヴィッドが、バンっとアレンの背中を叩いた。


「そりゃ、僕らのプランだけで押し通すのは無理だったけどね。きみの案だって採用なんだからね! ヘンリーがね、どっちも必要だってさ。特別な日も、日常もね!」


 空中画面に流れる企画書のページが切り替わる。きょとんと見上げるアレンの瞼が瞬く。


「採用……? でも、」

「実際に購入して選ぶ段になったら、そりゃあ、自分の日常に馴染みやすい無難なものを選ぶ、ていうのも解るよ。でも、そんなものを新商品として売りだしたって、新しくも面白くもないだろ! TSでしか実現できない突拍子もない映像で惹きつけて考えさせる、そんな選択をさせるんだってさ」


 デヴィッドは次々と画面を滑らせて、平凡なカタログだった資料を、アレンの考案した落書き部屋を始めとした動くモダンアート、そしてアニメーションの世界のような、とても部屋には見えないようなサンプル集に切り替えていく。


「きみは芸術家肌だからねぇ。非日常的で、現実の憂さを忘れさせてくれる特別の装いをガンガン考えてくれってさ。ヘンリー、期待していた以上に満足だって!」


 にっこりと向けられたデヴィッドの顔を見つめ返すと、アレンの双眼から今度こそ我慢できないほどの涙が溢れてきた。


 デヴィッドは、もとより解っていたのではないだろうか。解っていたからこそ、アレンの想像力を刺激し、らしさを表現できるように、お膳立ててくれたのではないだろうか。そんな気がしてならなかった。


「頑張ります」

 拳で涙を拭いながら、アレンもまた笑みを刷く。




「本当にねぇ。さすがに今日のテレビ会議は、ヘンリーも、人工知能のスペアじゃなくて本物がでてきていたからね。むこうが大変なのも解るけどさぁ、」


 画面に目を据えたまま愚痴を零したデヴィッドは、急に言い淀んで唇を引き結ぶ。アレンもきゅっと拳を握りしめる。そして、一呼吸おいてから真摯に呟いた。


「すみません」

「きみはぁ、関係ないでしょ」


 つっと目を逸らしたデヴィッドのヘーゼルの色合いに、つい口を滑らせた自分への苛立ちが見てとれた。


「いいんです。知っていますから。兄が今米国にいるのは、アスカさんのことだけじゃなくて僕のためでもあるのでしょう? 僕はすぐに目先のことに惑わされて、本質が見えなくなってしまって……」


 すっと背筋を伸ばして身動ぐと、アレンは横に座るデヴィッドに向き合った。


「教えて下さい。兄は、そしてラザフォード家は、どちらを望んでいるのでしょうか? フェイラーを継ぐのは、僕か、姉か――」


 

 そして、吉野、きみは……? きみは、どちらを望んでいるのだろう?


 



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