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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
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  決意2

 今は、飛鳥のことは吉野に任せておけばいい。

 わざわざ米国まで出向いた目的はそれではないのだから。飛鳥はどれほどごねていようと、やりかけの仕事を放りだして姿を消すような、そんな無責任な人間ではない。まだどうとでも対処できるだけの時間はあるのだ。それよりも――。


 ヘンリーの本来の目的は、敵地といっていいこのフェイラーの屋敷へ、新しい狩場へと乗りだしてきた吉野の意図を探ることだ。

 飛鳥がヘンリーを信じないように、吉野もまた。

 彼は、杜月一家を苦しめ続けたガン・エデン社、そしてそのCEOのリック・カールトンを世界の表舞台から葬り去るまで、その歩みを止めることはないだろう。共通の敵を掲げていられる間だけなのだ、今の協調は。次の一手がこの屋敷から始まるというのなら、黙って見すごすことはできなくなるかもしれない。ヘンリーはそれを見極めにきた。加えてここでの吉野の出方次第で、飛鳥もまた考えを変える。それはおそらく、自分が言葉を尽くすよりもよほど説得力あるものになるに違いない、との思惑も働く。

 飛鳥は吉野もまた、信じていない。愛してはいても信じてはいないのだ。だから吉野を守るために、いずれまたヘンリーを頼ることになる。そんな打算が、今のヘンリーを突き動かす動力源になっていた。



 次々と話しかけてくる見知らぬ顔を適当にあしらいながら、ヘンリーは煌びやかに着飾った大勢に囲まれていてなお、ひと際多くの視線を惹きつけてやまない吉野と、傍らに寄り添う妹の姿を冷たく見据えていた。


 シャンデリアの煌々とした灯の下で、その煌めきに負けじとばかり自己を誇示する、美貌自慢の母親そっくりに成長した二つ下の彼の妹キャルは、高慢な態度で自分の取り巻きなど鼻にもかけない。その彼女が吉野ただひとりの気を引くために、全身で滑稽なほどの媚態を振りまいているのだ。

 当の吉野は、口許にいかにもな作り笑いを張りつけたまま、彼女を適当にあしらっているようにしか見えない。傍から見ていて哀れなほどに、キャルは相手にされていない。


 そんな二人を、周囲は眉を寄せ、侮蔑的な冷笑を浮かべ眺めているのだ。


 あんな東洋の犬ころに、なんの(うつつ)を抜かしているのか、この娘は、と。そして、場をわきまえることも知らない無知で野蛮な野良犬が、なぜこの場にいるのか、と。




 煩くつきまとう連中を振りきって、ヘンリーは距離をおいて控えている久々に顔をあわせる従者に目配せして、邪魔の入らない死角へとその身を移した。遅れてウィリアムは主人のカクテルを手に歩みよる。

 

「お祖父さまの血圧がいっそう上がりそうだな。まさか、それが彼の狙いじゃないだろうね?」


 喧騒からわずかに離れた柱の陰で、ヘンリーは冷笑を浮かべて呟く。主人の前で、ウィリアムは軽く顔を伏せて顎をひく。


「どうでしょう。あの方も相当な方ですから。手放しで喜んでいる、とは言いませんが、あの二人の交際を反対もしていないようなのです」

「あの差別主義者(レイシスト)が?」

「跡取りを掠めとられるくらいなら、孫娘の方がまだ我慢できるのでは?」


 後継者問題か――。


 ヘンリーはふっと口の先で嗤い、頷いた。

「それにしたって、とても交際しているようには見えないけれどね」


 差しだされたカクテルを受けとり、口に含む。


「これからです。彼が本気をだすのは」

 ウィリアムはさりげなく体勢を変え、この広間の入り口を一瞥してみせた。その方向に目線を向けて、ヘンリーも、そういうことかと合点がいった。そして吉野の目的にも。


 リック・カールトンの息子、ロバートの姿を見つけたのだ。まだ学生にすぎないのに、彼はキャルの婚約者候補の筆頭にあがっている。

 着慣れないタキシード姿はどこかぎこちない。吉野の方が年下なのに、こういう場も、正装も、彼とは比べ物にならないほど馴染んで落ちついている。吉野にしても、エリオットで学ぶべきことは学んでいたらしい。


 ヘンリーはふわりと微笑んでいた。こんなことで保護者(ガーディアン)らしい気分を味わえるとは、とヘンリー自身が意外に思いながら。


「ヘンリー!」


 喧騒の中をかき分けて近づいてくる呼び声を潮時として、ウィリアムはにこやかな笑みを湛えて頷いた。


「かしこまりました。何がよろしいでしょうか?」

「同じものを」


 空になったグラスを渡し、ヘンリーは顔見知りに笑みを向けた。「やぁ、きみも来ていたのか。久しぶりだね」ウィリアムは、踵を返してその場を離れる。



 これから始まる吉野の茶番劇の観客となり、ヘンリーに漏らさず報告することが今のウィリアムの第一の任務だ。つかず離れず、この会場の若手連中の輪の中心にいる吉野とキャルを眺めながら、TSネクストから伝播される、鼓膜に直接響く彼らの会話に、彼は耳を(そばだ)てていた。





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