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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第十章
624/805

  幕開け2

「それできみは何て答えたの?」


 深夜をかなりまわっているというのにキッチンの片隅にぼんやりと座りこんでいた飛鳥に、ヘンリーは声をかけ、お茶を淹れ、彼を悩ませている理由を聞きだし、最後に尋ねた。飛鳥はため息をひとつついた。


「分からない、って。それはきみが決めることだ、って」


 ヘンリーは意外そうに軽く眉を持ちあげる。


「きみ、安易にあの子を慰めたりはしないんだね」

「当たり前だろ。軽々しいことが言えるわけがないじゃないか。相手は、」


 吉野なのだから。


 そう呟くことにすら罪悪感を覚えて、飛鳥はおし黙る。


 アレンは吉野に逢うたびに酷く落ちこむ。それが段々酷くなっていっている気さえする。だがこうなるまでの過程を飛鳥なりに振り返ってみても、吉野がアレンとの距離の取り方を間違っていたとは思えないのだ。

 ボタンをかけ違えたのはアレンの方だ。ここまで想いが深まる前に踏み留まらなければならなかった。そうしなかった彼自身の責任だ。

 そうは思っても、彼を叱責することなど飛鳥にできるはずがない。逆に飛鳥としては、彼を応援してやりたい気持ちの方が勝っている。

 だが、それこそが無責任というものだ。

 アレンの想いがどこにも行き着く先がないことは、飛鳥こそが一番良く知っている。だからこそ、こうして傷ついた心を持てあまし、虚ろなまま時をすごす彼の姿を見守り続けている現状がやるせなく、心が痛むのだ。



「あの子を――、自己憐憫に浸る暇なんてなくなるくらい忙しくしてあげるよ」


 ふいに耳に飛びこんできたヘンリーの声に、飛鳥は意味が解らず面をげた。膝が触れあうほどの距離で、彼は普段とかわらず優雅にティーカップを口に運んでいる。


「デヴィッドが正式にアーカシャーに入社しただろ? 新部門を立ちあげたいと言っているんだ」

「初耳だ」

「まだ誰にも話していない。まずはきみに相談するのが筋だからね」


 飛鳥は、そうだったかな? と首を捻る。会社の運営にはノータッチだ。事後報告の方が多かった気さえするのだが……。まぁ、そんなことはどうでもいい。


「新部門って、今度は何をするの?」

「なんだと思う?」


 現在のアーカシャーはTSの通信端末が主力商品だが、TSガラスを用いた広告宣伝用ディスプレイや、今回行ったような3D立体映像を使ったイベントの提携や依頼申し込みも殺到していると聞いている。

 子会社の「コズモス」のIT部門も「杜月」のガラス部門も、TS端末製造に欠かせない部門だ。だが、買収ではなく独自で立ちあげるべき部門などがあるのだろうか?


 考えこんでしまった飛鳥に、ヘンリーは彼の想像とは違う返答をにこやかに伝えた。


「インテリア部門だよ」


 ずいぶん畑違いな事業に乗りだすのだな、と飛鳥は呆気にとられた。だがすぐに思いなおした。ヘンリーはその貴族然とした外見に違わずアンティークに造詣が深い。まるで美術館の中で暮らすようなマーシュコートのマナー・ハウスを思い浮かべ、飛鳥は、眼前で微笑んでいる彼ならそれもアリかと頷いた。


「TSを設置してね、気分によって室内デザインを自在に変えられる部屋として売りだすんだよ」

「――インテリアっていうよりも、不動産に進出するってこと?」


 飛鳥は息を呑み、慎重に問い直した。

 TSで室内装飾を手掛けることはそう難しい問題ではない。だが、それが千差万別の間取りに合わせたオーダーメイドとなると話は別だ。一定の規格がないと手間ばかりかかることになる。ヘンリーにそう伝えると、彼はすぐになるほど、と頷いた。


「確かにそうだね。そのあたり、もっと具体的に考えるようにデイヴに伝えておくよ。企画書があがったら駄目だしをしてくれるかい? 会社に正式に提出するのは、それからにするつもりなんだ」


 ヘンリーはいったん言葉を切った。すっかり新しい事業立ちあげに必要となる、TSガラスの青写真を頭に描き始めているに違いない飛鳥の独特の表情に目を細めてくすりと笑う。


「それでね、デイヴがアレンにも手伝ってほしいと言っているんだ。あいつもあいつなりに、あの子を気遣っているんだと思う。しばらく彼に、アレンのことは任せてみては、と思うんだ。それから様子をみて事業として立ち行くようなら、この部門を独立させてもいいなって。きみはどう思う?」


 飛鳥は驚いているのか、目を瞠ってぽかんとヘンリーを見つめていた。


 アレンのため、というわけではないのだろう――。


 デヴィッドにしても、自分の本当にしたいこと、すべきことを考えぬいた末の進路変更だったのだから。

 だが確かに、アレンが今探し求めるべき相手は、吉野ではなく自分自身のあるべき姿の方が望ましい。そしてそんな彼をサポートするのは、彼の心酔する兄であるヘンリー、そして吉野の兄である飛鳥よりも、デヴィッドの方がよほど気安く安心できる。新しい環境に慣らしてくれる相手として相応しい。


「デイヴも、きみも、一石二鳥を狙うというか。僕なんか自分のことだけで手一杯だってのに。――そうだね、アレンは学部も経営だしね。新しいなにかに取り組めれば、今までとは違った景色が見えてくるかもしれないものね」


 いつか吉野が帰ってきた時、仕事仲間として、自分の居場所を確立する事ができるなら。きっと――。


「ヨシノは忙しすぎるし、あの子は暇をもてあましすぎている。せめて時間の流れるスピードくらい合わさなければ、噛み合うものも噛み合わない。そう思わない?」


 どことなく投げ遣りな口調で、ヘンリーは薄く笑みを刷く。そんな彼の表情に、飛鳥は、ああ、と苦笑して視線を伏せた。


「アスカ、紅茶のおかわりは?」

「ありがとう、いただくよ」


 自分のためでもあるのだ。


 吉野やアレンに囚われ、振り回されすぎる自分を冷静にさせるためでもあるのだ。と、飛鳥はひとり納得し、お茶を淹れなおすために立ちあがったヘンリーの背中にそっと目を遣ると、自分を戒めるためのため息をついたのだった。







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