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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第九章
621/805

  夢8

「今の時期はさ、暑いだろ? だからこの国の人間は欧州や、世界中のリゾート地に逃げているよ。それ以外の働いている奴らは皆、建物の中だ。その辺をふらふら歩いているわけないだろ?」


 子どもに聞かせるような説明に、アレンはむっとして軽く吉野を睨んだ。吉野はそんな彼にふわりと笑顔を向けて、穏やかに言葉を継ぐ。


「だけど、お前や飛鳥の考えてる通りだよ。自国民は圧倒的に少ないんだ。自国民といえる連中はこの国の人口の二割しかいない。どれだけ長期間この国で働いたところで、外国人労働者は、国籍も、永住権も、保証も与えられない。このシステムがこの国の経済を支えてきたと同時に、いつまでたっても依存的な体質のまま、国家として自立できない理由でもある」

「アスカさんは、きみはその人口比率を変えるために、移民政策を取るつもりだろう、って」


 率直なアレンの視線に、吉野は軽く頷いた。


「有事になれば、外国人は逃げだすんだよ。人口は激減、国家として、あまりにも脆弱なんだ。だからアブドにしろ、サウードにしろ、今のような経済優先、西洋諸国にどっぷり依存した体制から脱却したアラブ国家を造りたいと願ってるんだ」


 アブドの名に、アレンは怪訝そうに眉根を寄せた。敵として認識している彼が、なぜサウードと並び称されるのか理解できなかったのだ。だが吉野はアレンの戸惑いに気づきながらも、とくに説明もせず話し続けた。


「欧州に移民として定住している、すでにある程度の技能を身に着けたアラブ人を雇ってこの国に移住させて、国民としての意識を育てていきたいんだ」


 そして、高所得者である欧米系技能労働者から職を取り戻していく。外資系企業であっても、発言権、決定権を持つ管理職に自国民を増やしていく。その意識を育むために、教育から取り組んでいくのだ。


 そう理想を語ればアレンは納得して安心するだろう――。


 吉野は柔らかな微笑を湛えて噛んで含めるように説明する。サウードと吉野の掲げる理想とする国家の在り方を。今がその過渡期で、新体制を築きあげるためのとても重要な道程であることを。



 マシュリク国は国とはいえない。アル=マルズーク家という支配者層である王家と、代々従属していたわずかな部族のみが国民なのだ。それは彼ら特権階級を大株主とする会社組織に例えるとより理解が容易いかもしれない。石油と経済特区の金融・不動産投資が生みだす配当で贅沢な生活を謳歌する一握りの王族株主と、その会社で働く外国人労働者の構図は、会社が利益をあげ続けている間しか成り立たないのだ。


 軍隊や警察までが雇用契約で結ばれた外国人の集まりだ。自国民の就業する職種は、ほぼ公務員しかない。外部から政治顧問を雇いいれ、国家としての体裁を保っているだけの張りぼて国は、わずかな原油価格の変動でその体裁すら保てなくなるほど危ういのだ。



「この摩天楼は、まさしく砂漠の上に築きあげた蜃気楼だよ。幻の都を、人間の暮らす実態のある都市にしたいんだよ。俺も、サウードもな」


 だが、現実はそんなに甘くはない。


 サウードの掲げる統一アラブという理想を、アブドにしろ、吉野にしろ信じてはいなかった。そんなものを語るのは、民主国家に生まれ育った西洋人や、英国のパブリックスクールで育ったサウードくらいのものだ。彼に比べれば、大臣職に就き日々諸外国の要人と渡りあっていたアブドの方が、よほど現実的だったといえるだろう。


 同じ言語を用い、アラビアと呼ばれる地域で生きてきた民族であっても、そこに暮らすのは多種多様な文化、風習、慣習をもつ異なった部族なのだ。トルコやイランのような、国家としての歴史を背景にその地で育まれた国民とは違う。


 英国・欧州からアラブ系移民を受けいれる、あるいは近隣諸国の戦争難民を労働力として雇いいれると提案した時、まず一番に声があがったのは、部族間の対立懸念であり、治安の悪化を恐れる内部からの反発だった。今までのように、外国企業が自社の雇用者として雇いいれ、景気に応じて人員の増減を調節するのとはわけが違うのだ。増やしていく人口を確実に養える産業を発展させなければならない。それでも――。


「サウードな、あいつくらい馬鹿な夢を見る奴、俺は知らない。世界トップのガン・エデン社のシェアを奪いとってやる、って豪語したヘンリーにも驚いたけどさ。それ以上だよ。だからさ、楽しいんだ。あいつといると」


 目を細めてにっと笑った吉野に、アレンもまたなんともいえない微笑を返し、そのままきゅっと唇を結んだ。


 これはパラドックスだ。


 サウードは、吉野を英国へ連れ帰ってくれと口では言いながら、自分と吉野の絆の強さをアレンに見せつけている。彼自身が一番良く解っているのだ。


 吉野がサウードを捨て置いて去るはずがないことを――。


 この吉野の頭を悩ますほどの難問を突きつけることのできた己を誇って、アレンに通告しているのだ。


 諦めろ、と。



「どうすればいい? 僕はどうすればいい?」と、声にならない声でアレンは呟いていた。自分自身が、急に判らなくなっていた。吉野と一緒にいて、自分は彼になにを差しだせるのか? サウードのようにともに追える飽くなき理想も、飛鳥のようにともに抱ける夢も――、なにもないのだ。


 ただ、ともにいたいと願うだけ。そんな空虚な自分――。


 ガラス一枚隔てた、高層階から見下ろすパノラマ風景に、あまりにもちっぽけな自分が砕け、塵芥(ちりあくた)のごとく霧散する錯覚に、アレンは蒼白な面を伏せて歯を食いしばって耐えるしかなかったのだ。


 



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