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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第九章
620/805

  夢7

 高層ホテルの最上階にあるレストランから見下ろす市街地には、乱立する高層ビル、長くうねる道路、並行して広がる紺碧の海、そして遥か彼方に揺らいで見える黄色く濁った地平線が見渡せる。一見不可思議なこの景色は、眼下の横たわる大都市が潮が内陸部にまで満ち満ちていくように、少しづつ砂漠を侵食して広がっていった街だということを教えてくれる。


「ショッピングモールだけで半日潰れたな」

 コーヒーカップを手にした吉野がにこやかに微笑んでいる。体力のないアレンはもとより、クリスも、フレデリックも若干くたびれた様子で顔を見合わせている。

「それでもまだ半分も回れてないよ!」

「疲れたか?」

「圧倒されて――」

 クリスは感嘆の息をつき、窓外の展望に視線を泳がせる。


「百聞は一見にしかずって、こういうことなんだねぇ」

「そうだね、英国にいた時に持っていたイメージとはまるで違う」

「それに僕は、どんな酷い内乱の傷痕が残っているかってドキドキしていたのに」


 顔を上気させて代わる代わる感想を述べ合うクリスとフレデリックの会話には加わらず、アレンは心ここにあらず、といった風情で景色に視線を固定している。アレンのそんな態度は珍しいことではない。だからテーブルを囲む面々は、そんな彼をとくに気にすることもなく喋り続けていた。


「内乱っていうほどのものでもなかったんだ。ここから王宮までは距離もあるしな。この新市街地には戦火は及んでないよ。王宮と、離宮、目に見える被害があったのはそれくらいだ」

「そう言うけどさ、王宮だってそんな名残りなんか何もなかったじゃないか。あの正面広場で銃撃戦があったなんて、とても信じられなかったよ!」

「玄関は顔だからな。そりゃ、さっさと修復したさ」


 クリスのボヤキに、事もなげに吉野は答える。

 

 内乱を仕組んだのはアブドなのだから、彼が癒着する外資系企業ばかりで成り立っているこの新市街地が危険に晒される訳がない。自分の思惑からは外れ、身勝手な親族が引きこんだハイエナ外資を追い払うための、サハイア開発地区の意図的な爆撃とは趣旨が違った。

 だが、吉野はそんな内情まで眼前の友人達に説明する気などさらさらない。彼らには、安全な、欧米に追従する豊かさを享受する、この国の国力をアピールすればそれでいいのだ。


「こうやって地上を見下ろしている限り、平和そのものだものね」


 そう。人並み以上の洞察力をもつフレデリックでさえも、そうしみじみと呟いているのだ。こうして今日の目的が達成されていることに、吉野は満足そうに微笑んでいた。




 遅めの昼食と休憩を終えると、もうしばらく休んでいたい、と言うアレンと吉野を残して、クリスとフレデリックは、サウードのつけてくれた案内人と一緒に残りの行程を消化するため席をたった。


「無理に僕につきあわなくてもいいのに」

 アレンは顔を伏せたまま呟いた。

「疲れたんなら、先に戻ってもいいんだぞ」


 いつもの優しい吉野の声音は、アレンに、自分が酷く我儘を言っているような気分にさせる。同じ王宮にいる時でも、あまり顔をあわすことができないほど忙しい吉野が、こうして自分たちのために時間を割いてくれているというのに。

 想いに囚われ、すぐに動けなくなってしまう自分が情けない。それなのに考え始めると止まらないのだ。答えを知りたくて堪らなくなる。自分の中から吐きだしたくて。


 ――こうして吉野がいると。

 なんでも受け止めてくれる吉野がいると。


 当の吉野は、そんなふうに自分の頭の中だけでぐるぐると堂々巡りを繰り返しているアレンの想いを解っているのか、いないのか、とくに気にするふうでもなく、食後二杯目のコーヒーを飲んでいる。静かに、音もなく。



「きみの醸しだす空気が変わった」

 唐突に、だがはっきりとアレンは吉野を見つめて言った。

「だからサウードが心配しているんだ」


「そうか?」

 吉野は目を細めてにっと笑う。

「希薄になった」

「それって、存在感が薄いってこと?」

「砂漠の蜃気楼みたいだ」

「そうかもな」


 真剣なアレンの視線から目線を外して、吉野は声をたてずにくっくと喉を震わせて笑っている。


 だからサウードが不安になるんだ。吉野自身が自分の空虚さを自覚しているから――。


 アレンは唇を引きしめて吉野を睨めつけた。


「アスカさんが言っていた。きみのやろうとしていることは危険な賭けだって。でも、誰にもそれを止められないし、前に進むためには、きみは、賭けるしかないだろうって」

「飛鳥が?」


 訝しげに眉をひそめた吉野を真っ直ぐに見つめて、アレンは淡々と喋り続ける。


「この市街地にはこの国の人はいないんだね。モールを歩いているのは観光客ばかりで、お店の人もこの国の人種には見えなかった。内乱からまだひと月もたっていないのに、何事もなかったみたいに平穏で――。一時は王宮が占拠されていたっていうのに。この国の人たちはどこにいるの?」


 まるで関係のないアレンの返事に、吉野はくすくすと笑いだす。


「やっぱり飛鳥だな。もうバレてるのか――」

「僕にはアスカさんのおっしゃることがよく解らなかった。なぜ危険なの? なにがそんなにきみを苦しめているの?」


 吉野は薄く笑みを湛えたまま、眼下の市街地に視線を移した。


「話せばお前も、英国に帰ってこいって言うか?」

「――きみの意志を尊重する。本当にきみに危害が及ぶようなことなのなら、僕がきみの傍に来る。ここに住むよ」

「お前、ほんと、極端だな!」


 吉野は声をたてて笑いだし、ゆっくりと首を横に振った。


「どんな想像してんだよ、お前。今までみたいな、そんな危険を伴うような話じゃないよ」





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