洞窟8
「最後の部屋だね」
暗闇から薄紫の霧の中へと突き進む。するとやがて、その霧が凝固したような岩石が連なる洞窟が現れた。しっとりと濡れたようなてらてらと輝く岩肌は、七色の光彩を放つ苔に覆われている。
「ここで参加賞の薔薇を受けとるんですよね?」
四方の壁面や、足下に広がる澄んだ湖面から、青や緑の照り返しを受けて青白く浮かびあがってみえるアレンが、少し疲れ気味な声をあげる。
「そうだよ。ここはもう共有スペースだからね、こっちへ来て」
デヴィッドは手招きしながら林立する鍾乳石の柱をぬって進む。そして、やがて壁に沿って現れた外部からは判らない作りの階段にヘンリーとアレンを誘った。
天井の迫る上部にバルコニー状に設置された空間から、三人はそっと眼下を見おろす。
「ほら、どんどんお客様が増えてきたよ。間一髪だったねぇ。きみたちの姿を見られたりしたら大騒ぎになるとこだ」
「この場所は? 下からは見えないようになっているの?」
一見つるりとした光沢のある石でできているようにみえながら、触れると明らかに金属の冷たさが伝わってくる手摺りに手をかけ、ヘンリーは物珍しげに地上を覗きこんでいる。
「そうだよ。団体予約が入っているときとかさ、お客様がごった返すときがあるのを見越してね。この場所は警備員配置用スペースなわけ」
のんびりとした声音で答えながら、デヴィッドもヘンリーに並んで眼下に行きかう親子連れや、友人同士らしいグループを眺める。
映像酔いの可能性を言われた「人魚姫」の場面も、それ以外の自然のダイナミックな揺らぎが描かれた場面も、アレンは特別に変調をきたすことはなかった。そこでヘンリーの眩暈は過労からくるものだろうと結論づけられた。新たに加えた変更箇所も問題なく機能している。
三人はざっくりといくつかの場面を回り終えて、最後の部屋となるこの洞窟を訪れたところだった。おのおのがようやく緊張を解きほぐして、寛いだ笑みをみせ始めている。
「それにしても、初めの予定からすると、ずいぶん変化に富む内容になっているんだね。僕はコンセプトにそった主要場面しか見ていなかったんだね。かなり驚いたよ」
素直な感想を述べるヘンリーに、デヴィッドはにやりと笑って肩をすくめてみせる。
「負けたくなかったからねぇ、ガン・エデン社に」
「アスカはこれだけこなすのは、大変だったんじゃないのかい?」
「実はね、」
デヴィッドはちらりとアレンの顔を見て目配せする。だが当のアレンはそれにはちっとも気づかず、階下に広がる地下湖の中央にある小さな島の祭壇に置かれた金色のランプをぼんやりと見つめている。デヴィッドはそんな彼に苦笑して、ヘンリーに向かって続きを喋ることにする。
「アスカちゃんのイメージを基にして、下絵は彼と二人で手分けして描いたんだ。それをスタッフが映像に起こして、最後の仕上げをアスカちゃんとサラにしてもらった。パリのテロ以来、ていうより、ヨシノがニューヨークのイベントに参加してからかなぁ。スタッフが使えるほどに育ってるんだよ~。やっぱり、ヨシノの作った学習プログラムがね、効果大だったってこと!」
報告は受けている――。
だが、使える、がどの程度の使えるなのか、そして、どこからどこまで彼らが制作に参画していたのか、国外の生産拠点を飛び回っていたヘンリーは把握してはいなかったのだ。
これは、飛鳥の創造する夢の世界。
そう思っていたこの立体映像の世界が、いつの間にか飛鳥一人のものではなくなっていた。多くの人の手をへて作られるものになっていたのだ。
聞いていたはずの事実が、こうしてじっくりと観て回ることでやっと、実感として理解できるなんて……。
ヘンリーもまたアレンの横に肩を並べてこの狭いバルコニーから身を乗りだして、眼下に広がる情景を感慨深い面持ちで見守った。
「デイヴ、答えが見つかったよ」
同じく傍らに身体を寄せたデヴィッドを振り返り、ヘンリーは吹っ切れた爽やかな笑みを刷く。
「僕は誰かと問われたら、こう答える。アスカの紡ぎだす良質な夢を人々に届けて、新技術でこの世界をさらなる飛躍に導く。そのために、僕たちの仲間の先頭に立って盾となって守り、鉾となって戦う、僕はこの会社のCEOだ、とね」
「きみらしい返答だね」
ヘンリーと顔を見合わせて、デヴィッドはにこにこと頷く。
バルコニーから正面に見える地底湖の中央に見える小島には、小さな祭壇がある。彼らがこうしている間に、その対岸に行列ができていた。そこで待つ人たちが、一人づつ順番に飛び石を渡って小島へとあがり、祭壇のランプを擦ると、白い煙に乗って現れる青い肌のランプの精が、紫の薔薇を差しだしてくれるのだ。彼らはその薔薇を自分のTSタブレットで写真に取って保存しておく。そうすることで新タブレットの発売日に、旧タブレットに保存された薔薇も3D映像として立ちあがり、本物の薔薇と変わらない繊細で儚いその姿を画面の中から浮きあがらせてくれることになる。そういった趣向が仕掛けてある。
「これは誰の夢――。アスカさんの夢なのでしょうか?」
すぐ横でかわされていた会話さえ、まるで耳には入っていなかったような深刻な物思いに耽っていたアレンが、宙に浮かぶ青紫の薔薇をじっと睨めつけながら唐突に呟いた。
「僕たちの夢だよ」
すっと目を細めて、笑い声をあげながら洞窟内をきょろきょろと見廻している数多の人を眺めながら、ヘンリーがふわりとした微笑を浮かべて応じる。アレンは自信なさげに続けて訊ねた。
「僕も、同じ夢を見れるのでしょうか?」
「もう見ているだろう? 今、ここにいるじゃないか。彼の紡ぎだした夢の中にね」
不安げに、アレンは小首を傾げる。そうなのだろうか、と自信なさげに――。
「僕たちはアスカの夢を共有し、彼とともに夢を紡ぎ、同じ方向を向いて未来の夢を追っている。もちろん、その中にはきみも、ヨシノもいるだろ。そうじゃないの、アレン?」
ヘンリーの問いに、アレンは煙る睫毛を暫かせて瞳を伏せる。そして「そうあればいいな、と願っています」と、感情の感じられない消え入りそうな声音で呟いた。




