寮室内の蛍3
とても先月と同じ人間には思えない。
ヘンリー・ソールスベリーから見た杜月飛鳥は、とてつもなく不可思議だった。
夜、ヘンリーがベッドに入る時間になっても、まだパソコンをいじっている。ベッドに寝ころがってはいるが、朝になっても大方同じ姿勢のままなので、いつ寝ているのか判らない。一日の授業が終わると、今度は消灯時間まで机に置いてあるモニターを覗き込んでいる。消灯後はノートパソコンに切り替えて前日と同じことが繰り返される。
「きみはいったい、いつ寝ているんだい?」
あまりに気になって、一度彼に訊いてみた。
「僕はクマみたいに寝だめができるから。ほら、9月は寝てばかりだっただろ? しばらくは寝なくても平気なんだ」
ヘンリーは、一瞬納得しそうになった。
だが、そんな筈がない!
「冗談だろう? 人間の生理現象に反している」
「L'homme n'est qu'un roseau、 (人間は自然の中で最も弱い
le plus faible de la nature、 一本の葦に過ぎない
mais c'est un roseau qui pense. だがそれは、考える葦である)」
飛鳥はモニターから目を離さないまま、返答した。
「きみは、葦なのか?」
「眠ると思考が途切れてしまうんだ」
本気で言っているのか冗談なのか判らないが、あまりにも淡々とした彼の口調と、決してこちらに注意も関心も寄せることのないその集中力に、一抹の寂しさと悔しさ、そして、これ以上の邪魔をすることへの申し訳なさを覚えて、ヘンリーは口を噤むしかないと悟った。
「答えが出たらちゃんと眠るよ。ありがとう、ヘンリー。心配してくれて」
それでも、間を置かれて突然気づいたように付け加えられたその一言に、自分でもなぜだか判らないまま、ヘンリーはほっと胸を撫で下ろしていた。
飛鳥とサラは似ている。だが違う。サラは他人の感情に鈍くて、何でもはっきりと直接的に言わないと理解できない。飛鳥は感受性が強くて、言葉にしていないことまで察して答えてくれる。
ヘンリーにしてみれば、すでに5年目となるパブリックスクールの寮生活で誰かと同室になるのは、幼馴染のアーネスト以来だった。正直、ストレスが溜まりそうだと危惧していたのに、飛鳥は空気のように存在感が薄くて邪魔にならなかった。
寝てばかりだから、と思っていたが、眠っているところを見なくなってもそれは変わらなかった。いつも静かで、かといって喋らない訳じゃない。喋りかけてくる間合いが絶妙なのだ。幼少の頃から指導を受けてきた合気道の師範みたいに、空気や距離感を常に読み、図っているかのようだ。
それに話を終わらせるタイミングも。見事なまでにこちらの呼吸を読んで気遣い、いらぬ自己主張をしない。かといって、こちらの言いなりになっている訳でもなく、自分の世界を構築し崩さない――。
飛鳥のことを考えだすと、やっぱりサラとはまるで違う、いったいどこが似ているんだ、といつも同じ結論に行きつくのに、同じものを表と裏から見ているように似ている、とも思う。
そばにいる時の空気が同じなんだ。
身動ぎもせずモニターに向かっている飛鳥の背中を眺めながら、とりとめのない物思いに耽ることが日に日に増えている事実を、ヘンリー自身は、自覚してはいないのだ。




