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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第二章
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  寮室内の蛍2

 また、ヘンリーを怒らせた……。

 さすがに、散らかりすぎか? 彼は几帳面だからなぁ。彼が僕を見るとき、いつも眉間に皺が寄っている気がする。せっかくの美人さんが台無しじゃないか。

 でも、こればかりは譲れない。できるだけ邪魔にならないようにさっさと仕上げてしまおう。部屋の真ん中に線でも引いて、はみ出さないようにしたらいいだろうか? 


 飛鳥は黙々と手を動かしながら、とりとめもなくそんなことを考えていた。






 ヘンリーが心を落ち着けて部屋に戻ってみると、足元の床のタイルから部屋の端と端に置かれた二つのベッドの丁度真ん中を通って窓辺へと、赤のビニールテープが一直線に貼られていた、部屋がまっぷたつに分けられているのだ。


 そんなに僕が嫌いか?


 ただでさえ落ち込んでいたところを、容赦なく追い打ちをかけられた気分だった。

 飛鳥は机に置いたパソコンのモニターに向かっていて、ヘンリーが帰ってきたことにも気づかない。

 直接的な暴力や、誰からか判らない嫌がらせはあっても、こんな形の面と向かった拒絶を受けたことのなかったヘンリーは、どうしていいのか判らず立ち尽くしている。腹が立つというよりも、胸がもやもやとして、息苦しい淋しさが沸き上っていた。


「それで、この国境線を超える時にはパスポートの提示が必要なのかい?」


 押し殺した声で、やっと飛鳥の背中に声をかけ、足元のテープを踏みつける。


 びっくりして振り向いた飛鳥は、慌てて立ち上がった。


「違うよ、ヘンリー。このテープは、僕の私物が、きみの領域にまではみ出さないようにするためだよ!」



 領域? 二人部屋をこんなふうに境界線を引いて分けるのは、入ってくるなということだろう?


 苦々しい思いを口にすることもできないまま唇を引き結んでいるヘンリーを、飛鳥はこわごわと上目遣いに見やりながら弁解がましく言い足した。


「けっこうさ、危ないんだ。ケーブルがごちゃごちゃしているからさ。僕はしょっちゅう足に引っ掛けてしまうんだ」

「上の棚に置くのでは、駄目なのかい?」


 ヘンリーは陰鬱な気分のまま、机の上部にある作りつけの広い棚を示した。

「棚?」

 飛鳥は本を並べてある頭上の棚を見上げる。

「その手があったか! ぜんぜん思いつかなかった。ありがとう、ヘンリー」


 飛鳥は本を下ろし、ケーブルをいったん取り外してから、足元に並べてあった機材を棚に並べ始めた。


「このテープは剥がしても?」

「うん」


 戸口から窓辺までのビニールテープを一気に剥がし取って丸めて捨てた。ヘンリーは胸のつかえが取れたかのようにほっとしていた。飛鳥との目視(もくし)できる境界線が、自分の手によってとり除かれた瞬間のように感じられたのだ。




「それ、ゲーム機だろ? テレビがないのにどうやって使うんだい?」

 ほっとした勢いで、ヘンリーは飛鳥に話しかけた。デヴィッドの家に遊びに行った時やらされたことのある見覚えのあるゲーム機を、飛鳥はいくつも並べて繋げていたのだ。

「これは本来の用途とは別で用いる事ができるんだ。ゲームをするんじゃなくて、クラスタ化して並列処理させることで、小型のスーパーコンピューターとして使うことができるんだよ」

「GPGPUかな?」

「良く知っているね!」

 飛鳥は嬉しそうに歓声を上げた。

「これで演算処理や、シミュレーションができるんだ」

 嬉々として機械の説明を語り始める。



 こういうところも、サラに似ているな。


 ヘンリーは無意識ににこやかな笑みを浮かべて頷きながら、延々と続く飛鳥の楽しそうな声に聴きいっていた。




「きみは本当にコンピューターが好きなんだね」

 柔らかなヘンリーの口調に、飛鳥は、はっとして口を噤む。

「ごめん。どうでもいいことをべらべらと」

「いや、面白いよ。エリオットでは、僕もコンピューター学を取っていたんだ」

 飛鳥は目を丸くしている。

「きみにはこんな地味でオタクな分野、縁がないと思っていたよ!」

「GPUとCPUの連携接続方法とそのソフトで、うちの会社は特許を持っているんだ」

「the Cosmosコズモス?」


 窓辺にある椅子を飛鳥の方に向けて座っていたヘンリーは、軽く頷く。


 去年発売されたばかりの格安のスーパーコンピューターだ! まったく新しいタイプのヘテロジニアス・マルチコアで一挙にコストダウンを図り、パソコンそのものの方向性を変えた画期的な発明品だ。


 飛鳥は感動のあまり声もでない。


 あのコズモスを開発した会社が、ヘンリーの家の会社だなんて!




「なんて羨ましい! コズモスを開発した人、知っているんだね! 会ったことある?」


 衝撃から覚めると飛鳥は顔を上気させ、興奮したまま一気に捲し立てていた。ヘンリーは笑って頷いた。


「彼女も、きみみたいにコンピューターが大好きだよ」



 彼女? “シューニヤ”だ! あんなものを作れるなんて、“シューニヤ”しかいない! だからヘンリーは、“シューニヤ”を知っていたんだ!


 だが飛鳥は喉もとまで出かかった言葉を、寸前で呑み込む。

 ヘンリーは再会してから一度も“シューニヤ”の話題に触れてこない。だから飛鳥からも切り出しにくくなって、いつの間にか、これは口にしてはいけない話題になっていた。




 大きく目を見開いたまま、穴の開くほど自分を凝視している飛鳥を、ヘンリーは穏やかな優しい眼差しで見つめていた。


 またサラに助けられた……。

 こんなことでも、少しは名誉挽回できただろうか?

 いや、それとこれとは別か。


 他愛のない内容でも、飛鳥が友達のように話してくれることが、ヘンリーは、ただただ無性に嬉しかったのだ。






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