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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第九章
582/805

歪み

 ヘンリーにしてみれば、杜月吉野とサウード・M・アル=マルズーク、この二人がなぜ友人同士なのか、とそのことからして疑問だ。


 彼の見る限り、吉野が友人をその人格で選んでいると思えたことはほぼない。しいていうならフレデリック・キングスリーくらいか。彼だけが、取りたてた後ろ盾もないにもかかわらず、自身の能力でエリオット校内での地位を掴み取っている。亡くなった彼の兄、フランクがそうだったように。それ以外の友人たちは、あくまでその出自、家名ゆえの選択だろう。


 そんな事を考えながら、ヘンリーは、無防備にソファーに横たわって静かな寝息をたてている吉野を眺めていた。


 アレンにしろ、サウード殿下にしろ――。しょせん、手駒にしかすぎないのだろう、と。


 この無邪気な仮面の内側にどれほどの野望を秘めているのか、想像することすら難しい。ヘンリーは皮肉げに笑い、「まったく世話の焼ける子だよ」と一人ごちてこの部屋を後にする。




 隣室に移ると、そこで待機していたウィリアムに頷きかける。「良く眠っているよ。よほど疲れていたんだな」と吐息混じりの苦笑を見せ、「さぁ、彼が起きるまでに状況を説明してもらおうか」と、どこか陰りのある表情でソファーに腰をおろす。ウィリアムは用意していた書類をさっそく差しだした。




 しばらくの間、ウィリアムの淹れた英国式の紅茶を飲みながら、ヘンリーは書類にざっと目を通していた。だがやがて考えこむように視線を漂わすと、おもむろに面をあげ、正面に立つ忠実な従者を見上げる。


「それで、ヨシノの思惑は?」


「俺に訊けよ。別に今さら隠しやしないよ。いろいろ世話かけちまったしな」


 続き部屋の垂れ幕を跳ねあげ、吉野が大あくびをしながら怠そうに首を回して入ってきた。


「朝まで起きないかと思ったよ」

「腹が減った」

「すぐに用意させます」




 ウィリアムが退室するのを尻目に、吉野は待っていられないとばかりに、自分でローテーブルの上のポットからティーカップにお茶を注ぐ。


「きみは本気でサウード殿下を玉座に就けるつもりなの?」

 その一挙手一投足を眺めながら、ヘンリーは率直に問いを投げかける。


「今すぐではないけどね、あいつはまだ若すぎるもの」

「本気で?」

「何か問題でもあるのか?」

 不敵に笑う吉野に、ヘンリーは眉根を寄せた。


「あくまでも、傀儡の王、か……」

「理想的な国を造る。それがあいつの望みだ。でもさすがだな、よく気づいたね。サラと同じだから?」

「同じ――、ではないよ」


 怜悧な瞳で吉野を見据え、サラの名をだされることは不快だといわんばかりに、ヘンリーは重々しく横に首を振る。



 サウード殿下には、軽い障害が見受けられる――。


 秘密裡に囁かれるそんな噂があるのだ。


 公の場で笑顔を見せる事もなく、黒曜石の瞳は焦点が合わずいつもぼんやりとして見える。高い知性を垣間見せるが奇行も多く、その興味、能力の範囲には偏りがある。交友関係は狭く、プライベートはベールに包まれたまま。他の王族のように自分の趣味や私生活をSNSで発信する事もない。自分で応えるよりも、側近が代弁することが多いとすらいわれている。


 その懸念は、ヘンリー自身何度か本人を目の前にするうちに確信に変わっていた。



「あんたたちが抱える問題と、サウードも同じだものな」


 追い打ちをかけるように言われたその言葉に、ヘンリーはかすかな苦笑を浮かべた。


「良く知っているね。だからこその断行か」

「断行したのはアブドだ。サウードじゃない」



 ウィリアムの用意した書類にあった通りだ。アブドが反体制派、あるいは反乱軍に加担したとして秘密裏に処刑した王族の数は百名近く。逮捕、拘束に至ると千名にものぼり、この粛清は王位継承権を持つ王族を震えあがらせた。一見これは現国王派閥の王族を断罪し、宮廷を掌握するためのもののようにみえるが、それにしても数が多すぎる。



「敵の敵は味方、そういうことかな?」

「事が成就するまではね」


 吉野はくすくすと笑って返した。ヘンリーは、そんな彼を不愉快そうに睨めつける。


「アブド大臣にあれだけの事をさせた目的は?」

「俺がさせたんじゃない。ましてサウードでもない。アブドの意思だよ」


 ティーカップで表情を隠すように、吉野は一気に紅茶を煽る。


「増えすぎなんだよ。もう国庫で養いきれないくらいにな。それがアブドの第一の懸念だ」

「第二は?」

「ビント・アンム婚」


 予想通りの言葉にヘンリーは表情を変えることなく、続きを促すためにだけに軽く頷いた。


「王室は、近親婚率六割を超えてるんだ」

「血を薄めるために、これほどの殺戮を断行したというのか――」

「遺伝性疾患を断ち切るためだよ。処刑されたのは、初代直系男子、王位継承権を持ち、かつ顕著な遺伝性疾患のある王族だけだ。こればかりは、口で説得できることじゃなかったんだんだ」


 千四百年に渡って行われてきた伝統なのだから。

 西洋教育を受けてきたアブドやサウードならば納得のいく理屈、近親交配に因る乳幼児死亡率の高さ、奇形率の高さ、遺伝性疾患の多さ。これをどう説いたところで、引き継がれた慣習を疑うことなく繰り返すことを至上とする彼らに、その慣習を覆すほどの説得などできはしないのだ。育ち難いからこそ数を産み、増やす。そうやって人口を増やしてきたのだ、と言い返されるだけだったのだ。


「サウード殿下もこの因習の弊害を被った一人、ということだね。だから大臣は玉座に固執した。サウード殿下を王座に就けるわけにはいかない。彼は、王としての判断能力を著しく欠けている可能性がある。そして、多くの王族をその病ゆえに殺戮した。これは――、人道的に許されることではない」


 静かな口調に込められたヘンリーの怒りに、吉野はすっと瞼を伏せた。


「彼にそう行動させたのは、きみなのだろう?」

「まさか!」


 睨みつけるヘンリーの瞳を、今度は真っ直ぐに見つめ返す。


「そんなわけないだろ?」

「統治能力が疑われるサウード殿下を玉座に据えようとしているきみの言い訳など、信じられないな」

「それはあんたが無知だからだよ」


 吉野はすっと目を細め、薄らと笑う。


「イスハーク、奴を知ってるだろ? この国の政治を動かしているのはあいつの氏族だ。王族ってのは元から傀儡なんだよ。それを忘れて好き勝手してるから粛清された。単純に、そういう筋書きだよ」


「そして、その筋書が劇的に盛りあがるようなシナリオを書き加えたのが君、というわけだね?」


 ヘンリーも冷笑を浮かべていた。一歩も引かぬ気構えで、吉野の鳶色の瞳に視線を据えていた。








ビント・アンム婚… イスラム世界で広く行われる父方平行いとこ同士の結婚。

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